63.ふたり並んで、階段の上り口まで戻ってきた
ふたり並んで、階段の上り口まで戻ってきた。
私は、そこを通り過ぎ、
そのまま、更に2、3歩ほど進んでから立ち止まった。
後ろを振り返る。
少年は、
私とは違って、上り口のところで足を止めていた。
こちらの様子を、じっと窺っている。
私は、その少年の顔を見つつ、
腕を階段の方へと、僅かに振り上げ、
すぐに下ろした。
少年は、
それを見ると私に背を向け、改めて階段の方に向き直した。
一段目に足をかけると、
コンクリートの壁伝いに延びる、簡素な鉄板の階段を上っていく。
私も、少年についていく。
カン、カン、カン・・・。
階段を上がり、ある高さまで来ると、
右手側の壁は、
そこから上は、コンクリートの斜面へと切り替わっていた。
60度ほどの、傾斜のキツイ坂が、
まっすぐ上の方まで、ずっと続いている。
その、ザラザラとしたコンクリートの坂は、
夏の強い日差しを受け、
白い明かりを、
全体的に、ぼんやりと放っていた。
斜面には、
背丈の低い草が、あちこちに点々と芽吹いており、
それぞれが風に、僅かにそよいでいる。
更に上がっていくと、
それまで進路の右手側に、ずっと続いていたコンクリートの斜面は、
一旦、そこで途切れていた。
およそ5m先の地点から、再び向こうの方へと長く延びており、
要するに、ここは、
幅5mほどの、ごく狭い谷への入り口だった。
階段は、その入り口にあたる角で右に折れ、
谷の奥へと延びている。
少年は、その角のところまで来ると右を向き、
斜面の向こう側へと消えていった。
私も少年に続き、角を曲がる。
その谷の両側は、ともにコンクリートの斜面だったが、
谷を挟んだ向こう側、左側の斜面の方が、
傾斜は、よりキツくなっていた。
谷の奥行きは、それほど無い。
観光バスの車体と、同じくらいの長さしかなく、
突き当たりには、
コンクリートの壁が、高く垂直にそびえ立っている。
私たちの進む階段は、
谷の、右の端に延びていた。
突き当たりの壁まで来ると、そこで手前に折り返し、
再び谷の入り口に向かって、右手側の斜面伝いに上っている。
そのまま、目で辿っていくと、
階段は、
少し上ったところで、また折り返し、
谷の突き当たりにそびえる壁面の、中腹辺りに行き着き、
そこから、テッペン近くまで、
つづら折りに、ジグザグと上っていた。
遥か上の、真っ青な空と灰色の壁との境界に、
線のように細い手すりが、まっすぐ左へ延びている。
あそこまで上っていくのか・・・。
私は、息をひとつ吐くと、
上げていた目線を、水平に戻した。
そして、
今度は、顔を進行方向の左手側に向け、
階段の手すりの上から、その下を覗き込んでみた。
そちらには、
地面がむき出しの、未舗装の道があった。
道の両端は、ジメジメとした感じで、
地べたを這いつくばるような、ぺしゃんこの丸い葉の草が、
数多く群生していた。
その、未舗装の道は、
谷の奥へと延びている。
突き当たりの、コンクリートの壁面からは、
トンネルの入り口が、こちら側に若干せり出しており、
道は、そこへと続いていた。
トンネル内に目を向けると、そこは真っ暗だった。
明かりは一切なく、ひっそりとしている。
入り口の脇の壁には、
すっかり赤錆びた、金属製の小さなボックスが据え付けられていた。
そのボックスの、前面扉は取り外されており、
中には何も入っていない。
空っぽ。
ガランとした内側を、
山の涼やかな空気に、寂しげに晒している。
その上に目を向けると、
トンネル入り口の、
壁からせり出た部分の屋上にあたる、ごく狭いスペースに、
色鮮やかな緑のシダが、深々と茂っていた。
コンクリートの表面から、直に生えているように見えたが、
階段を進み、近付いてみると、
そうではないと分かった。
そこには、細かくなった落ち葉や枯れ枝と、
その下には、
それらを微生物たちが分解して生み出した、茶色い腐葉土が、
薄く堆積していた。
シダは、その上に茂っている。
私は、
そちらに目をやりながら歩いていき、
谷の突き当たり近くで、階段を折り返そうとしたが、
ふと、群生するシダの中に、
コンクリートの大きな欠片が、無造作に転がっているのを見付け、
途中で立ち止まった。
谷の向かい側を見上げると、
そちらにある、角度のキツイ斜面の上端が、
少し欠けて凹んでいた。
そして、
その、欠けたところからは、
太い立派な木の根が、横腹を覗かせていた。
斜面の上には、
他にも多くの木々が生い茂り、
それぞれ瑞々しい緑葉を、こちら側へと大きく広げている。
秋になれば、それらは全て枯れ落ち、
下に積もり、
土となり、
春になって、
またたくさんのシダたちが、そこに一斉に芽吹くのだろう。
私は足を止めたまま、
その場で、谷の反対側の木々を仰ぎ見ていた。
少ししてから、上げていた視線を下ろし、
階段の折り返し地点を、グルッと旋回していく。
カバンを持ち替え、空いた方の手で手すりを掴み、
次の段に足を乗せて、顔を上げる。
階段のちょっと先で、少年が待っていた。
半身の体勢で振り返り、こちらを見ている。
私の足音が聞こえなくなったので、それで気付いたのだろう。
私は、
足元に視線を落とし、階段を上っていく。
途中、顔を上げると、
少年は、こちらを振り向いたまま、
まだ待っていた。
私は、
すぐに、視線を自分の足元に戻した。
そして、
ほんの少しだけ歩調を速め、急ぐことにした。
「お待たせ」
追いついた私は、
そう言って、顔を上げる。
「・・・」
少年は、
しばらくの間、じぃっと私を見つめていたが、
やがて、それをやめ、
捻っていた上半身を戻し、こちらに背中を向けると、
そのまま無言で、階段を上り始めた。
何となく、機嫌が悪そうだ。
「ねぇ、どうしたの?」
少年についていきながら、私は尋ねた。
「・・・2回目だから」
「2回目?」
「分かんないなら、いい」
恐らく、
オオカンポウの、屋外テラスでのことを言っているのだろう。
再び少年のことを放ったらかしにし、
ひとり、山の景色を眺めていたことを怒っているのだ。
「・・・また、やっちゃった?」
顔は下に向けたまま、
視界に入ってくる階段に、左右の足を交互に乗せていきながら、
私は、少年に訊いた。
「うん」
「そうかぁ。またやっちゃったのかぁ・・・」
「うん。またやった」
「しょうがないなぁ・・・」
「しょうがなくない」
「まぁ、生きてるから仕方ないよね」
「・・・?。何で生きてるのが関係あるの?」
「え?。だって、みんなするでしょ?」
「だから何で」
「生きてたら、誰だっておならはするじゃん」
「何で急におなら・・・あ!」
突然、大きな声を上げ、
少年は、その場に立ち止まった。
私も立ち止まる。
顔を上げると、
すぐ目の前に、少年の小さな後頭部があった。
下を向いたまま、
左右のコブシを、ぎゅーっと握りしめている。
「あれ?、どうしたの?」
素知らぬ顔で尋ねてみる。
少年は、すぐにこちらを振り向き、
コブシを高く振り上げた。
「・・・」
しかし少年は、
その体勢のまま、ピタッと動きを止めた。
私の顔を、黙って見つめている。
「あ、もしかして3回目が・・・イテッ」
喋ってる途中で、
少年のコブシが私の頭に降ってきた。
甲ではなく、掌の側。
力も、それほど強くなかった。
首をすくめていた私が、面を上げると、
すぐさま少年は、
顔を、プイッとそむけた。
そして、
私に背を向けて、
そのまま、
階段を、一歩一歩やや強く踏みしめ、
足音をわざと立てつつ、
ひとりで階段を上り始めた。
「あ、ちょっと置いてかないでよ」
「・・・」
「ごめんごめん、悪かったって」
「・・・」
「もう、からかわないから許して」
「・・・」
「ねぇ、許してったら」
「・・・まったく。なんにも分かってないんだから」




