62.「あー、面白かったー」
「あー、面白かったー」
路上に仰向けのまま、ひとしきり笑った少年は、
自分の正面に広がる青空に向かって、満足そうに言った。
「気が済んだ?」
「うん!」
「じゃ、そろそろ立ち上がろ?」
「えー・・・、やだー」
「え?。
いや、そんなこと言わずに・・・立ち上がろ?」
私は、
道の右手側の、展望台に続く階段を見上げつつ、
少年を促した。
「やだー。
僕、笑い疲れちゃったから、
このまま寝てるー」
「いや、他の人に変な目で見られちゃうから・・・」
私は、
今度は、自分の後ろを振り返った。
人影は、こちらも無し。
幸い、誰も見ていないようだ。
「あー、そっかー。
そうだねー」
素直に応じる、少年の声が聞こえてきた。
私は、
胸を撫で下ろしつつ、少年の方に向き直す。
仰向けの少年は、
体を横に倒そうと、片側の肩を浮かしかけた・・・が、
すぐに、体の動きをピタッと止めた。
その肩を、路面にゆっくり下ろし、
また、仰向けの体勢に戻ると、
空を見上げたまま、
片方の手を、ズボンのポケットに突っ込む。
中をまさぐり、カタウデマンを抜き出し、
自分の眼前に、両手で掲げた。
無言。
しばし見つめる。
やがて少年は、
手に持ったフィギュアを口元に近付けた。
フッ・・・と、息を短く吹きつけ、
すぐさま離し、
自分の眼前に、再び掲げると、
その真っ赤な顔を、
指の腹で、何度か拭った。
少年は、少しの間、
キレイになったフィギュアの顔を、じっと見ていたが、
やがて、
フィギュアの全身を、指でゴシゴシと擦り始めた。
少しずつ持ち替えつつ、
様々な角度からじっくり真剣に眺めては、ときどき息を強く吹き付け、
その表面を、
隈なく、丁寧に、
指の腹で拭っていく。
ひと通りそれが終わると、
少年は、
眼前に掲げたフィギュアを、自分と向き合うように持ち直した。
フィギュアの顔を、改めてじぃっと見つめ、
指の腹で、もう一度だけ拭うと、
それを、ズボンのポケットに戻した。
仰向けの少年は、
空に向かって、ひとつ息を吐いた。
そして、
今度は、さっきとは逆側の肩を浮かせ、
そのまま、体を横に回転させていく。
浮かせた方の腕を、その回転した先の路面に伸ばし、
手のひらをつき、
更に体を回転させて、
お腹を下に向けた姿勢で、上体だけを路面から離した。
その、オットセイのような体勢から、
少年は、もう片方の手も下につき、
四つん這いの格好になると、
右足、左足の順に、路面をしっかりと踏みしめ、
上体を起こし、頭を持ち上げ、
その場に、
すっくと立ち上がった。
すぐさま下を向き、
左右の手のひらについた細かい砂を、黙って払い始める。
私は、口を開く。
「・・・後ろ向いて」
「え?、何でー?」
少年は、顔を上げずに訊き返した。
両手を、まるで手裏剣を飛ばすかのように、
シュッシュッ、シュッシュッ・・・と、
熱心に擦り合わせている。
「いいから後ろ」
「・・・んー」
少年は、
手を動かしつつ、こちらに背を向けた。
私は、少年の頭へと手を伸ばす。
髪に纏わり付いた砂粒を、
少年の頭を叩かないように気を付けつつ、
丹念に、入念に払い落としていく。
少年は、
少しすると上半身を捻り、自分のお尻を覗き込み、
そこに付いた砂粒を、
手で、はたき落とし始めた。
私も、
少年が上半身を捻ったのに合わせて、ちょっとだけ移動し、
今度は、少年の背中をはたく。
やがて、
少年がお尻の砂を落とすのをやめ、
下を見たまま、前に向き直し、
ズボンを、両手でパンパンと叩き始めた。
徐々に腰を曲げつつ、ちょっとずつ頭を低くしていきながら、
上から下の方へと、
順番に、砂を落としていく。
私は、
途中で背中をはたくのをやめ、手を引いた。
そのまま、静かに見守ることにする。
「砂、もうへいきー?」
頭を上げた少年が、
上半身を捻り、私の方を振り返って尋ねた。
「背中、ちょっと見せて」
「んー」
私は、
顔を向こうに向けた、少年の頭を軽く払い、
それから、背中を少しだけはたき、
手を戻した。
「もう大丈夫」
「うん、ありがと」
少年は、
お礼を言って、こちらを振り返った。
私を見上げ、
続けて尋ねる。
「もう行くのー?」
「うん、行こう」
「あと、どれくらい上がるのー?」
「うーん、まだ半分も来てないと思うけど・・・」
私は、顔を少しだけ右に向けた。
道を遮っている金網フェンスの向こう側でそびえ立つ、コンクリートの壁を見上げる。
私たちのいる、フェンスのこちら側でそびえ立つ壁と違って、
そちらの壁は、やや薄汚れている。
全体的に黒く煤け、ところどころ表面が欠け落ち、
ヒビ割れも、あちこちに走っていた。
そのまま上の方へ、目で辿っていくと、
壁の表面を、
焦げ茶色の苔が、フェルトのようにモコモコと広く覆うようになり、
更に、その上の、
壁のテッペンの向こうには、鬱蒼と茂る木々の枝葉が見えた。
「展望台?」
少年が尋ねた。
「うん」
上を向いたまま、答える。
「見えないねー」
「うん、見えない」
壁上の枝葉は、
厚く深く、隙間なく生い茂っており、
その背後に広がっているはずの青い空さえも、全く見えなかった。
私は、
木々を仰ぎ見るのをやめ、少年の方に顔を向けた。
少し遅れて、
少年も、こちらを見上げた。
「行くのー?」
「うん」
「分かったー」
「・・・」
「・・・なにー?」
「いや、何でも」
私は後ろを振り向き、道を引き返し始めた。
少年が、すぐに隣に駆け寄り、
私に並ぶ。
「ねぇ、なーに?。
教えてよー」
「え?。
いや、別に大したことじゃないんだけど・・・」
「うん」
「大きくなったな、って」
「・・・大きくなった?。なにがー?」
「たんこぶ」
「えー」
少年は、
すぐさま顔を俯け、左右の手を自分の額に宛てがった。
歩きながら、
その感触を、何度も何度も確かめる。
「ほんとだ・・・。
さっきより、ちょっとおっきくなってる・・・」
少年も私も怪我しない・・・って説明に書いてるけど、
このたんこぶは軽傷なので大目に見てください。




