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Summer Echo  作者: イワオウギ
I
60/292

60.少年は、階段の前まで来ると立ち止まり

少年は、階段の前まで来ると立ち止まり、

目線を上に向け、階段の先を静かに見据えた。

両肩を僅かに持ち上げ、

その上げた肩を、短い鼻息とともにパッと下ろした。

それから、すぐに下を向き、

足元にある、一段目の鉄板を確認すると、

そのまま何も言わずに、

目の前の階段を上っていく。


私も少年に続いて、息を小さく吐き捨てた。

カバンを左に持ち替え、

空けた右手を壁沿いの手すりに添え、

階段を上っていく。



カン、カン、カン・・・。


私の黒い革靴を、えんじ色をした鉄の板に乗せるたび、

乾いた音が、辺りに鳴り響く。

一定のリズム。

ひとり分。

私だけ。


少年の足音は、無いわけではなかった。

ただ、

私のそれに比べれば、かなり小さかった。

少年はスニーカーを履いているし、

体重も、

大人の私に比べれば、ずっと軽いはず。

聴こうと意識しなければ、その足音は聞こえてこなかった。


私は、顔を上げた。

眩しい日差しの、その少し先に、

少年の、小さな背中がある。

一段ごとに上下に動き、

ヒラヒラとした薄手の長袖シャツの、紺と白のボーダー柄が、

左右交互に、斜めに歪む。


その、勇ましく上っていく少年の足元の、

全ての、段と段の隙間からは、

階段を支えている、

すぐ近くの、か細い鉄の骨組みと、

ダム下流に続く渓谷の片側を担っている、

ずっと向こうにある、

山の、緑に覆われた斜面が覗いていた。

粒のような、木々の細かい葉っぱが、

遠くの方で色鮮やかに、

ギッシリと隙間なく茂っている。

正面は、

そうした渓谷の風景が、ほぼ筒抜け(・・・)になっていた。


私は、

階段越しに景色を見据えたまま、何段か上がっていき、

それから視線を、再び自分の足元へと戻した。


カン、カン、カン・・・。


高く響く、乾いた音を耳にしながら、

視界に次々と入ってくる、えんじ色の鉄板に、

左右の足を、

(なか)ば作業的に乗せていく。

風は無かった。

それでも、

私自身の歩く速度で、山の涼やかな空気が顔に当たった。

ふたりで、ただ黙々と、

壁伝いに続く階段を上っていく。



私の視界に、

階段の新たな段とともに、

突然、少年の片足が映り込んだ。

動いていない。

立ち止まっている。

私は顔を上げた。


少年は、

もう片方の足を次の段に乗せたまま、

階段の先を、黙って見上げていた。

私も、そちらに目を向ける。


少年の頭の向こう、高いところに、

階段を上っていく、3人組の女性たちの後ろ姿が見えた。

その、最後尾の女性が足を止め、

こちらを振り向く。

笑みを浮かべて、軽く手招きをし、

また向こうを向いて、

階段を上っていく。


「進もう」


少年の背中に声をかける。

少年は、

それを聞くと、階段を上り始めた。

さっきまでより、若干ペースが速い。

私も遅れないよう、ついていく。



上り階段は、少し行ったところで、

一旦、途切れていて、

そこからは、平坦な道になっていた。

右手側にそびえる、コンクリート壁の裏側へと回り込むようにして、

道は、すぐに右へと直角に折れている。


少年に続き、その角を曲がると、

幅が急に広がっており、

先ほどの女性たちは、そこで谷側に寄り、

道を空けてくれていた。

3人とも、

柵の上に手を添えて、こちらをじっと見ている。

私は、先頭に立つ女性に目を向ける。


リボンを片側にあしらえた、オシャレな帽子。

お忍びの有名人が顔を隠すときに使っていそうな、

鼈甲(べっこう)柄のフレームの、

目元を広く覆うタイプの、チェーン付きサングラス。

ハイキング用とは思えない、

意匠のキメ細かい、高そうな服装。

金色の金具が散りばめられた、

どこかのブランドの、ショルダーポシェット。

上着をパレオのように、

自分の腰に巻きつけている。


後ろのふたりも、似たような格好で、

3人とも、

私より、かなり年上に見えた。

多分、私の母親と同世代。


「すみません」


私が、そう言って頭を下げると、

半身で振り返って私を見ていた少年も、慌てて女性たちの方へと向き直り、

ちょこんと頭を下げた。

女性たちは、皆一様に顔を(ほころ)ばせ、

一番前に立つ、さっき階段で手招きをした女性が、

道の先を、黙って手で促した。

少年が、

すぐに、こちらを振り返り、

私を見上げる。


「行こう」


そう声をかけると、

少年は、再び前に向き直し、

歩き始めた。

私も、少年に続いて歩き出す。



「お若いけど息子さん?」


先頭に立つ女性の、すぐ近くを通ったとき、

急に声をかけられた。

私は足を止め、その女性の方に顔を向ける。


「いえ、従弟(いとこ)・・・みたいなものです」


答えている途中で、

同じく足を止めていた少年が、振り向いてこちらを見たので、

私は、セリフを慌てて付け足した。


「やっぱり。道理で似てないと思った」


その女性は、それから、

ほらね、言ったとおりだったでしょ・・・と、

他のふたりの方に顔を向け、上機嫌そうに語った。

その、”言ったとおり”の内容が、

個人的には気になったが、

私は黙っていた。


「お仕事帰り?」


先頭の女性は、再びこちらを振り返ると、

真っ黒なスーツの私を見据えて、そう尋ねた。


「えーと・・・あ、はい、そうです」


「そう、大変ねぇ。どちらから、いらしたの?」


「えーと・・・」


返答に迷っていると、


「ちょっとぉ・・・。この人たちの邪魔しちゃ悪いでしょ?」


と、

その女性を(いさ)める声が、聞こえてきた。


「あらら。可愛い坊やだったから、つい長話しちゃった。

 ごめんなさいねぇ」


話しかけてきた女性は、

私にそう言うと、口元を手で隠し、

上品そうに笑った。

そして、

他のふたりの女性の方に顔を向け、

それじゃあ行きましょ、と声をかけ、

次に、私に向かって、

それじゃあね、と、

微笑みを浮かべつつ、軽く手を振り、

歩き出した。

途中、

コンクリート壁の向こう側へと曲がる、その直前で、

先頭を歩く女性が、

もう一度こちらを振り返り、手を振ったので、

私は軽くお辞儀をする。


頭を上げると、列の最後の女性が、

ちょうど、壁の裏へと消えるところだった。

階段を下りていく、3つの足音。

やや興奮した様子の、明るい話し声。

次第に、遠ざかっていく。

私は、

ふぅ・・・と、小さく息をつく。


「ねぇ」


後ろから、少年の声が聞こえた。

私は、そちらを振り返る。


「何?」


「可愛い坊や・・・って、僕のことだよね?」


少年が、私を見上げて尋ねた。


「うん、多分ね」


「ふーん・・・」


少年は、

納得のいってなさそうな表情を浮かべて、黙り込んでしまった。


「どうしたの?」


「僕、ちっとも長話してないよー?」


「・・・え?」


「あと、

 僕の方、ほとんど見てなかったし・・・」


「・・・」


「それで、変だなーと思・・・あれ?、

 急にどうしたの?」


「・・・いや、何でもない」


これ以上は深く考えまい。

女性たちが去った方に目を向けながら、

私は固く、心に誓った。

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