56.堰堤の、緩やかなカーブの部分を渡り終えた
堰堤の、緩やかなカーブの部分を渡り終えた。
私たちは道なりに、右へ直角に折れる。
少年は、今度は大回りをしなかった。
カーブの内側を、
私と一緒に、まっすぐ斜めに突っ切っていく。
角を曲がり終えると、
少し先に、山の険しい斜面が迫っていた。
トンネルの入り口が、そこに大きく空いており、
堰堤上の道は、
その奥の、闇の中へと続いている。
トンネルの左脇を見ると、
3階建ての、広そうな建物があった。
《レストハウス》と、目立つ字で壁に書かれている。
建物の2階と3階部分は、
大きな窓が横に隙間なく、たくさん並んでおり、
そのガラスの向こう側には、
こちら向きで座る観光客たちの姿が、チラホラとあった。
そこの席から、
巨大なダムの上を歩く私たちや、
あるいは、眼下の一面に広がる山間の景色を眺めているのだろう。
2階に並ぶ窓の、右隅の方に目をやると、
子供と、その父親と思しき男性が座っており、
それぞれ外を見ながら、
胸元で水平に持った何かをときどき口元へ、ゆっくりと運んでいる。
恐らく、スプーン。
手の動きが、ちょうどそんな感じだ。
カレーだろうか。
じんわりと舌に湧いた唾を呑み込みつつ、私は顔を右に向ける。
レストハウスの反対側、トンネルを挟んだそちら側にも、
道は延びているようだった。
トンネル入り口の少し手前で、右へと分岐しており、
その道が、山の斜面沿いに続いている。
歩きながら、目で辿っていくと、
少し行ったところに、
人の形を象った、いくつかの黒い彫像があった。
何の像かは、ここからではよく見えない。
「何だろね、あれ」
少年に訊いてみる。
「どれー?」
「ほら、あっちの黒い像」
彫像を指差しつつ、少年の方を見た。
少年は、こちらに顔を向け、
それからすぐに、私の指の先へ視線を走らせる。
「んー・・・。
よく分からないけど、何かの工事をしてるみたいだよー?」
「え、そうなの?」
「多分。ツルハシとかトンカチとか持ってるから」
そう言われた私は、改めて彫像の方に顔を向けた。
目を凝らして見てみると、
黒い彫像の中に、
確かに、それらしい道具を持つ像が混じっている。
「あぁ、あれかぁ。よく見えるなぁ」
「えー、楽勝だけど・・・。目、悪いのー?」
「ちょっとね。勉強し過ぎたから」
「そうじゃなくて、ゲームのし過ぎでしょー?」
「バレたか」
「もー。すーぐ嘘つくんだからー」
「ごめんごめん」
「嘘つきは泥棒の始まりだよー?」
「私は泥棒なんかしないよ?」
「えー。
さっき僕からチョコをいっぱい泥棒してたじゃん」
「いや、あれは泥棒じゃないでしょ・・・。
貰っただけだよ・・・」
「4コもー?」
「4コくらい、別にいいじゃん」
「別に良くない」
「だって、まだたくさん残ってるんでしょ?」
「あと2コしか残ってないよ」
「え、もうそれだけ?」
「うん。無事なのは、ね。
他のは全部、割れちゃってるからー」
「あぁ、そっか・・・。
調子に乗って貰い過ぎました。どうか許して下さい」
「うむ、仕方ない。許そうぞ」
「・・・」
「・・・どうしたのー?」
「近くに行ってみようか」
「どこー?」
「あの黒い像のところ」
「あー。うん、分かったー。
行こ行こ」
堰堤を渡り終えると、
すぐそこにあるレストハウスの手前で、
道は、まずは左に枝分かれしていた。
そちらは、レストハウスの建物の壁沿いを抜ける道で、
先ほど私が見上げていた、
コンクリートで固められた崖の方へと延びていた。
その脇道に入ってすぐのところ、
左端の、谷沿いに備え付けられた柵の近くに、
路面からまっすぐ生えた、設置式の双眼鏡があった。
お金を入れて覗くと、
一定時間、遠くの景色がよく見えるヤツだ。
太い木の幹を輪切りにしただけの踏み台が、下に置かれているが、
高さは、それほどない。
上に乗る子供の、安全面を考慮してのことだろう。
私は脇道を見るのをやめ、丁字路を直進していく。
分岐を過ぎると、
そこからのレストハウス前には、
白色の、木製のベンチがたくさん並んでおり、
大勢の観光客たちが、
そこで、それぞれが思い思いに寛いでいた。
夏の強い日差しの中、白く輝くソフトクリームを舐める男の子たちの前を、
少年と私は、通り過ぎていく。
トンネル入り口が、近付いてきた。
目的の黒い彫像へは、ここを右に曲がり、
山の斜面沿いを進めば良い。
そちらに目を向けると、
およそ20m先に、黒光りする像が何体か見えた。
人だかりが、少し出来ている。
私は、
右手側の、像の方を見るのをやめ、
正面にぽっかりと空いている、薄暗いトンネルの中を覗いてみた。
入り口近くの内壁に、案内プレートがある。
《クロバダム駅 アオギサワゆき でんきバスのりば 徒歩5分》
アオギサワは、都内へ帰るときの駅だった。
そこから、
更に、バスや電車を乗り継いでいけば、
自宅には、順調に行けば約4時間ほどで着く。
私は少年の方を、なるべく見ないようにした。
歩く速度も、できるだけ変えないように意識し、
トンネル手前で、黙って右に折れる。
少年も、一言も喋らなかった。
私と一緒に右に曲がり、山沿いの道を並んで歩く。
さっきまでと、ほとんど同じ。
ほとんど変わらない。
ただ、私の耳に届く足音は、
気のせいか、少しだけ大人しくなっていた。




