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Summer Echo  作者: イワオウギ
I
58/292

58.白いベンチの前で振り返り、少年を待つ

白いベンチの前で振り返り、少年を待つ。


ここまで来てくれないかもしれない・・・、

もしかしたら、途中で立ち止まってしまうかもしれない・・・と、

力なく歩く、小さなその姿に、

私は、じっと目を向けていたが、

少年は、

ちゃんと、私のところに来てくれた。

そのまま、そこに立ち尽くす。

顔を上げない。

声も無い。

ただ、静かに項垂れている。


「少し休もう」


そう言って、

少年を、すぐ近くのベンチに促す。

少年は、

俯いたまま、そちらに顔を向け、

ベンチを見つめ、

少ししてから、

また、そろそろと歩き出し、

そこに、静かに腰掛けた。


「ソフトクリーム食べる?」


立ったまま、眼下の少年に声をかけると、

少年は、一呼吸置いてから、

頭を左右に、ゆっくりと振った。


「お茶は?、・・・お昼の残りの」


少年は、私の言葉の途中で、

一旦、頭を横に振りかけたが、

動きをすぐに止め、

改めて、縦に小さく頷き直した。


私は、少年の隣に腰を下ろした。

自分の、黒い通勤カバンを膝の上に立たせて乗せ、

ファスナーを開け、

少年の、飲みかけのペットボトルを取り出す。

気圧差で、ちょっと凹んでいる。


「はい、これ」


隣の少年に差し出すと、少年は無言でそれを受け取り、

続けて、オレンジ色のキャップを握り込んだ。

両手に力を入れ、

少ししてから、

その、入れた力を緩めて、

また、キャップを握り直す。


「ちょっと貸して」


手を差し出すと、

少年は、ペットボトルを私の手に黙って乗せた。

私は、それを掴むと、

逆の手で、すぐにキャップを握りしめ、

グルッと回す。

瞬間、空気が流れ込む。

パリッ・・・と、僅かに音をさせ、

ペットボトルは、

ほんの少しだけ、その凹みを戻した。


「はい、開いたよ」


「・・・ありがと」


「うん」


「・・・」


「まだ、温かい?」


「・・・ううん」


「そっか・・・」


「うん・・・」


私は、少年を見るのをやめて、

自分の顔のすぐ下の、開いたままのカバンに目を落とした。

顎を引いたまま、ファスナーを閉め、

それを、自分の膝上に寝かせると、

顔を上げ、

ひとつ息を吐き、

視線を、正面に向けた。


目の前を通る道を挟んで、

向こう側に、水色の安全柵。

視界の左右から、

木々に深く覆われた山の斜面が、

中央に向かって、なだらかに下っている。

角度の都合上、

貯水湖の、青緑色の湖面は見えない。

湖面は、

安全柵が立つ路面の(きわ)の、その下側に広がっている。

そして、左右の山並みに挟まれた風景の、

ずっと奥、

ずっと遠方には、

薄っすらと青みがかった、山々の稜線。

縦に、白いスジ。

何本も。

上の方には、まだ雪が残っている。


そう言えば、

同じ様なやり取りをタチヤマでもしたな・・・と、

景色を見ながら何となく思い出す。


ひんやりとした河原。

対岸の森。

水のせせらぎ。

つい、数時間前のこと。


あのときは、

ふたりでここに来ることになるとは、つゆほども考えていなかった。

随分と、遠いところまで来た。

そして、これから・・・。


辺りの穏やかな陽気とは裏腹に、

晴れぬ気持ちで、この先のことを考えていると、

隣から、


「ねぇ」


と、少年の声が聞こえてきた。


「・・・何?」


気持ちを急いで切り替え、

私は、そちらに顔を向ける。

少年は、左右の手をお尻の下に敷き、

顔を俯けて、

(もも)の間の谷に転がっている、カラのペットボトルに視線を落としていたが、

おもむろに頭を起こし、

こちらを向き、

私の目を、じぃっと見つめた。

口を開き、何かを話しかけ、

すぐに、それをやめ、

口を閉じ、

また顔を、ゆっくりと下に向ける。

私は、

そのまま少し、少年の言葉を待ち、

それから、

改めて尋ねた。


「・・・どうしたの?」


「帰っちゃうの?」


少年は下を向いたまま、ポツリと呟いた。


「いや・・・」


「・・・」


「まだ、帰らない」


「でも・・・、

 でも、そのあと帰っちゃうんでしょ?」


返答に迷った。


「・・・もう少しだけ、帰らないよ」


「もう少ししたら?」


「・・・」


「・・・」


「・・・うん、帰る」


「そっか、」


少年は、

そこで一旦、言葉を切り、

そして、


「そうだよね・・・」


と、弱々しく続けた。

私は、それには何も返さなかった。

少年の俯いた横顔を、

沈んだその表情を、

ただ静かに、黙って見つめていた。


「いよいよ、お別――」

「あのさ、」


少年が話し始めるのと同時に、

私は、慌てて声を出す。

少年は、すぐに言葉を止めた。

顔を上げ、

それから、その小さな左右の目を、

私の方に、まっすぐ差し向けた。


真っ黒な瞳。

丸い瞳。

まばたき。

二度、三度。

少し、濡れている。


私は、

少年から目を()らした。

顔の向きを正面に、ゆっくりと戻す。

そして、

眼前に広がる、豊かな自然の山間(やまあい)の風景を眺めつつ、

口を、おもむろに開いた。


「・・・上に行ってみない?」


「上?、上って?」


「ダムを歩いてるとき、遠くに見えてた展望台。

 ほら、あっちにあるコンクリートの崖上の」

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