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Summer Echo  作者: イワオウギ
I
51/292

51.「着いたねー」

「着いたねー」


そう言った少年は、

手すりを掴んだまま、体を捻って振り返り、

後ろに立つ私を見上げた。

私は、その少年の顔を見て微笑んだ。

「うん、着いた」


「降りるー?」


「うん。でも・・・」


私は顔を上げた。

運転スペースの向こう側の、乗降口の方へ向き直す。

人溜まりが出来ていた。

ひとりずつ、順番に降りていく。


「また、()くの待つー?」


少年の声。

そっちへ顔を向けると、

少年も、乗降口の方へと向き直していた。


「うん。ゆっくり降りよう」


私が、そう答えると、

少年が尋ねた。

「こういうの、何て言うんだっけー?」


「ことわざ?」


「うん」


「急がば回れ?」


「もっと長いヤツ」


「・・・急いては事を仕損じる?」


「うーん、そんな難しい言葉じゃなくて・・・。

 何だっけー?」


「何だろ・・・」


私は、

運転スペースの向こう側の、乗降口を見ながら考える。

人溜まりは、なかなか解消されなかった。

誰かが降りるたび、

車内階段に出来た行列から、別の誰かが上がってきて、

その人溜まりに加わっていく。


「あ!、思い出したー!」


少年の、嬉しそうな声が聞こえてきた。

私は、すぐにそちらを振り向く。

「何だった?」


「んーとね・・・」


「うん」


「残り物には福があるー」


私を見上げていた少年は、

そう言って、ニッコリと微笑んだ。

ちょっと誇らしげ。

私は、少し間を置いてから言った。

「・・・それ、

 残り物じゃなくて残る者じゃない?」


少年は、不満そうな表情をした。

「えー、どっちも変わらないよー」


「変わるよ・・・」


「えー」


言いたいことは他にもあったけど、

それは黙っておくことにした。



ケーブルカー内が、少し閑散としてきたところで、

残り物(・・・)の私たちも降りることにした。

先に少年。

私は、そのあと。

車外に出ると横に並んで、

階段状のホームを、一緒に下りていく。


私たちの前には、

コンクリートに囲まれた、平たいカマボコ型の空洞が、

斜め下へと、まっすぐ延びていた。

窓は無い。

ひとつも無い。

天井にある、たくさんの蛍光灯が、

構内のホームを明るく照らしている。


眼下には、

階段を下りていく観光客たちの、たくさんの後ろ姿。

長い列になっていて、

およそ2階分ほど下にある階段の終わりを通り越し、更にその先へと延びている。

ザワザワとした話し声。

私のすぐ後ろでは、

中年の男性が、

ちょっと大きめな声で、誰かにずっと喋り続けている。

大勢の、バラバラの足音が、

カマボコ型の構内に、絶え間なく響いていて、

そんな中、

ケーブルカーの行き先を告げる放送が、

その僅かな余韻とともに、広く鳴り渡っている。



階段の、最後の段を下りた。

正面には、

トンネル状の通路が、まっすぐ向こうへ続いている。

ただし、今は通り抜けられないようだ。

通路の少し先で、

太眉の、ちょっと強面の係員が後ろ手を組んで立っていて、

係員のすぐ後ろには、

(たる)んだ真っ赤なロープが、何本もの設置式の支柱とともに通路の右から左まで渡されている。


その、真っ赤なロープの波の向こう側には、

こっちを向いた観光客たちの列があった。

ケーブルカーの、更に次の乗客なのだろう。

最前列に立つ年配の女性ふたりが、

私の背後の、ホームの上の方を指差し、

互いに顔を寄せ合って、盛んに何かを喋っている。

私は、

足を動かしつつ、そのふたりの頭の上へ目を向ける。

グリーンの標識。


《← クロバダム》


顔を左へ向けると、

そちらに、別の通路への入り口があった。

少々、狭そうだった。

前を歩く人たちも、次々とそこへ入っていく。

多分、

正面のケーブルカー待ちの行列を()けて、その向こう側へ出るための、

迂回路だろう。


少年と私は、

太眉の係員の前まで行き、左へ曲がった。

狭い通路に、そのまま入っていき、

20mほど直進し、突き当たりを右に折れ、

また20mほど直進し、右に折れ、

現在は、

さっきの、ケーブルカー待ちの列の、

ちょうど裏に出る道を進んでいる。


迂回路の幅は乗用車1台分くらいで、ちょっと狭かった。

天井の高さも2mと少し。

背伸びをすれば、私でも手が届きそうだった。

そして、

その天井には蛍光灯があったが、

設置間隔が広いため、通路内は(ほの)暗かった。


私は、歩きながら、

すぐ横の、コンクリートの壁に目を向ける。

あちこちに、

抹茶の粉をまぶしたような、緑色のシミがあった。

すっかりカビている。

そうして、

その、カビた壁の表面には、

ところどころ、水が薄く流れていた。

空気も湿っていて、ひんやりとしており、

辺りには、

雨の日の、路面の匂いが漂っている。

そうした、

陰気で、うら寂しい少し窮屈な通路に、

ダムに向かう人々のたくさんの足音と、明るい話し声が響き渡っている。



迂回路を抜け、列の裏に出ると、

天井が高くなった。

それまでの薄暗さも、幾分マシに。

私は、

そのまま少し歩き、足を止める。

目線を上へ。


どうやら、

ここを左に折れて進んでいけば、ダムに出るらしい。


天井近くの標識を見上げ、順路を確認した私は、

目線を下ろした。

向かい側にも、通路があった。

その通路は、

天井が低くて、狭くて、暗めで、

まるで、

今、抜けてきたばかりの迂回路の続きのように、

向こうへ延びていた。


《遊覧船のりば》


通路入り口の上にある標識に、そう書いてある。

ロープウェイのゴンドラから見えた、

あの、エメラルド色の貯水湖を巡るのだろう。


私は、その通路入り口の脇に目を向けた。

そのまま、そちらへ歩き出す。


「あれ?、そっちー?」


「うん、ちょっと時間だけ」



入り口のすぐ脇の壁に設置された、白い照明パネルの前まで来た。

照明パネルは、上の方に《遊覧船時刻表》と書かれていて、

その下には、

出航時刻と到着時刻が、それぞれズラッと並んでいる。


えーっと、

14時20分の船があるけど、これは最終便で、

今は・・・14時8分か。


私は、

スマートフォンを内ポケットに戻しつつ、顔を隣へ向けた。

「どうする?」


少年は、こちらを見上げた。

「乗れるのー?」


「ぎりぎり」


「ちょっと待って。考えるから」


そう言った少年は、

腕組みをし、下を向いた。

うーん、うーん、と唸りつつ、

首を、

右へ左へ、ゆっくり傾けている。

そして、

その首が3往復したあと、少年は動きを止めた。

組んでいた手を下ろし、私を見上げて言った。

「いい」


「いいの?」


少年は、うん、と頷き、

口を開いた。

「僕は、ダムを見るためにここまで来たんだ。

 だから、まずはダムに行かなくっちゃ」


力強い、まっすぐな眼差し。

いつかの、揺るぎない瞳。

いつかの、純粋な瞳。

遠い過去。

古い記憶。

胸の奥が、僅かに(うず)く。


「・・・そうか。そうだったね」


「うん」


私は顔を上げた。

ダムの方へ、ゆっくりと向き直す。

後ろの遠くで、発車を告げるベルが鳴っている。

それが止まり、静かになると、

甲高い、クラクションの音が通路に響く。

次いで、

石臼を挽くときのような、ゴォゴォ・・・という重たい音。

徐々に離れていく。


私は、溜めていた息を吐き出すと、

少し間を置いてから、顔を少年の方へと向けた。

「・・・じゃ、行こう」


声をかけると、

すぐに、元気な声が返ってきた。


「うん!」

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