44.席を立つ人が増えてきた
席を立つ人が増えてきた。
内ポケットからスマートフォンをちょっと引き出し、
顎を引いて画面を見ると、13時32分だった。
そろそろ向かわねば。
ペットボトルの、すっかり微温くなった緑茶の残りを、
上を向いて、一気に自分の口に流し込む。
キャップを手早く閉め、持っていたペットボトルを脇に置くと、
返す手で、
その近くにあったビニール袋を、自分の正面に持ってくる。
袋の中に、
カラのパックと使用済みの割り箸、
タレが少し付着した平らな竹串をガサガサッと入れる。
「ほら、そっちの分も」
私は、そう言いながら、
ビニール袋を机の上で半回転させ、その口を向こうへ向けると、
手の先で、少年の前へと押し出していく。
「・・・うん」
気のない返事。
私は、
ビニール袋から手を引くと、そのまま視線を僅かに上げる。
少年は、
自分の胸元にある、机の端っこの何もないところを、
ぼーっと見ていた。
口も、あまり動いていない。
机の上に置かれた、少年の手に目を向けると、
その手に握られた白い包み紙の中から、
齧りかけのサツマイモの、黄色い断面が顔を覗かせていた。
かなり残っている。
「私が食べようか?」
少年が、慌てて顔を上げた。
「・・・え?、何?。
今、何て言ったの?」
「私が食べようか、って言ってる」
「ううん、いい・・・」
少年は顔をうつむけ、モグモグと口を動かし始めた。
少ししてから、持っている焼き芋に目を向け、
それに、ゆっくりと齧りつく。
「でも、もう時間が無いし、
それに、さっきから食があまり進んでないし・・・」
「・・・」
「あ、いや、その・・・、
お腹がいっぱいなんじゃないのかな・・・って」
「ううん、まだ入る・・・」
そう答えた少年は、
下を向いたまま、静かに口だけを動かし続ける。
私は、少年の姿をじぃっと見つめる。
「・・・そうだよね、入るよね」
私が、そう言うと、
少年は、すぐに顔を上げた。
「え?。
うん、そうだけど・・・」
「さっき、
あんだけお腹がグーグー鳴ってたもんね」
「えっ、聞こえてたの?」
「うん」
「えー」
「凄く大きかった」
「え、そんなにー?」
「うん」
「えー」
「カタウデマンのお腹の音がね。
だから、いざとなったら食べてもらえば――」
「もー!。
そんなの、聞こえるわけないでしょ!」
少年は大きな声を出し、私の言葉を遮った。
机の向こうで、
ものすごい顔をして、こちらを睨みつけている。
「ホントだって。確かに聞こえたんだって」
「・・・何が?」
「カタウデマンのお腹の音」
「ウソばっかり」
「ほら、そっちのゴミも早く入れて」
「まったく。ほんと適当なんだから・・・」
小さな声で不機嫌そうに呟いた少年は、
手に持った焼き芋に、かぶりつき、
モグモグと口を動かしながら、
空いている方の手で、ビニール袋を自分の近くに引き寄せた。
そのまま、その手を使い、
袋の中に、割り箸と竹串を入れる。
続けて、カラのパックを入れようとしたが、
片手では、なかなか上手くいかなかった。
パックの角が、どうしても袋の口に引っかかってしまう。
ガサッ・・・、ガサッ・・・という乾いた音が、
何度も響く。
私は机の上に身を乗り出し、手を伸ばす。
「いい」
短く無愛想に断った少年は、パックから手を離して、
その手でビニール袋を掴んだ。
反対の手にある焼き芋を、パクっと口にくわえて、
そのまま、芋を包み紙から引っこ抜く。
もぬけの殻になった包み紙を、クシャッと握り潰して、
袋の奥に、ポイッと投げ入れ、
続いて、
先ほどの、強情だったパックを雑に押し込み、
最後に、
口にくわえたままの焼き芋から、そのヘタの部分だけを指でちぎると、
それを放り込んだ。
私は、席を立ち上がった。
少年が、口をモグモグさせながら私を見上げる。
私は、
足元のカバンを拾い上げ、それを机の上に乗せると、
少年に目を向けた。
「ゴミ捨ててくる。ちょっとカバン見てて」
それを聞いた少年は、両手をビニール袋に伸ばして、
その口を結び始めた。
私は、カラになった自分のペットボトルを掴んで、
次に、少年のペットボトルに目を向ける。
緑茶が、まだ残っていた。
少年が結び終えるのを、
そのまま、大人しく待つことにする。
少年が、
口を動かしながら、
ビニール袋の2つの持ち手を、左右にキュッと引っ張る。
結び終えた袋を、
手の先で、トン・・・と軽く押し、
私の方に近付けると、
それから、
自分の、飲みかけのペットボトルに目を向けた。
「そっちはいいよ。持っていこう」
私が、そう言うと、
少年は、伸ばしかけた手を引っ込めた。
下を向いたまま、
モグモグと、口を一生懸命に動かしている。
私は、
机の上の、固く結ばれた白いビニール袋を拾い上げると、
そのまま休憩所の隅の、ゴミ箱の方に歩いていった。
手をカラにして戻ってくると、
少年は、ペットボトルを両手で持って、
緑茶をゴクゴク飲んでいた。
焼き芋は、
もう、口の中には残っていないようだ。
「あ、おかえりー」
少年はペットボトルを机に置くと、
顔をこちらに向け、私を明るく迎えた。
「え?。
・・・あ、うん。カバンありがとね」
ちょっとだけ戸惑いつつも、お礼を言う。
「もう行くのー?」
「・・・行けるの?」
「へいきー」
「じゃあ、行こう」
「うん、行こー!」
そう言った少年は、
イスに座ったまま、体の向きを横に変えて、
両足を床に伸ばし、イスから下りた。
すぐにイスの後ろへと回り、
背もたれを押して、元の位置に戻す。
そして、
机の上の、飲みかけのペットボトルを掴み、
隣で仰向けになって天井を見ていたカタウデマンを、もう片方の手で拾い上げると、
そのまま横を向き、駆け出した。
「ちょっと待ってて。入れるから」
私は、そう言いながら、
机の上にある、自分の開けたカバンに視線を落とし、
そのカバンの中に、手を突っ込んでいた。
ドライバーが差さったままの作業用ポーチや、様々な小ネジ入りの透明ケース、
ヘッドライトなどを、
隅っこの方にある、ちょっとした荷物の隙間に、
次々と押し込んでいく。
クシャクシャに丸められた、紺色の作業着の裾を引っ張り出し、
それを、空けたスペースの上に雑に広げると、
開いた自分の手を、黙って隣に差し出した。
「これ、お願い」
少年の声がして、
私の手に、ペットボトルが乗せられる。
「・・・そういや、チケットは?」
念のため、ペットボトルのキャップを締め直しつつ、
顔を隣に向けた私は、訊いてみた。
少年は、
「ちょっと待ってて」
と言って、カタウデマンを持ち換えると、
空いた方の手を、ズボンのポケットに突っ込んだ。
私は、自分のカバンに目を向けた。
ペットボトルを置いてみる。
もうちょっとだけ、スペースを広げる必要がありそうだ。
「あれー?、おかしいなー・・・」
少年の声がした。
私は、
手を止めると、顔を隣に向ける。
「・・・反対のポケットは探したの?」
「えー。こっちには入れてないと思うけど・・・」
少年は、
また、カタウデマンを持ち換えると、
逆のポケットに、手を突っ込んだ。
無かったときのことを考えつつ、
手を止めたまま、その様子を見守っていると、
少年は、
「あ、こっちだったー」
と、
嬉しそうな声を上げ、桜色のチケットを出した。
私は、安堵の息を小さく漏らす。
再びカバンに目を落とし、ペットボトルが動かないのを確認すると、
ファスナーを閉めつつ、尋ねた。
「整理券は?」
今度は、
すぐに元気な声が返ってきた。
「あるー」
「それは良かった」
「ねぇねぇ、チョコもあるよー。
食べるー?」
少年と一緒に階段を下りていくと、
ロープウェイの改札は、もう始まっていた。
観光客たちの列が、徐々に進んでいくのが見える。
ちょっとだけ急ぎ足になって、そちらの方へと歩いていき、
列の最後尾に、ふたりで並んだ。
「そういや、カタウデマンのチケットは持った?」
「そんなの無いよぅ」
「じゃあ、カタウデマンは乗れないね」
「え?」
「どうするの?」
「・・・」
「ほら、もうすぐ改札だよ?」
「もぅ!。
いいの!、ヒーローはチケットなんか必要ないの!」
「そうなの?」
「そうなの!」
「ふーん。
だったら、その・・・」
「・・・なに?」
「・・・」
「ねぇ、なーに?」
「・・・やっぱり何でもない」
「もー、ちゃんと言ってよー。
今、なんて言おうとしたのー?」
「・・・」
「ねぇったらねぇねぇ、聞いてるー?。
ねぇったらー」
女の子を守った、その小さなヒーローは、
あどけない顔を私に向け、しつこく何度もせがんだ。
「何でもないよ」




