4.私は、 向かい合わせの4人がけのシートに
私は、
向かい合わせの4人がけのシートに、ひとりで腰掛けていた。
足を組み、窓辺に頬杖を付いて、
そうして、後ろへ流れていく外の景色に目を向け、
ただ、列車に揺られていた。
トミヤマ駅を出発したのは、ついさっき。
まだ、3分も経っていない。
窓のすぐ向こうでは、
併走している高架線の太い支柱が、次々に私の目の前を横切っていき、
その横切っていく柱たちの向こう、少し離れたところでは、
市街地の家々が、そろそろと動いている。
2両編成の列車だった。
その、後ろの車両の真ん中辺りに私が座っていて、
ちょっと離れたところの、通路を挟んで向かい側のシートには、
ハイキングらしい身なりをした、中年の男女がいた。
ふたりで隣り合って座っていて、
ともに、
ベージュの、お揃いの登山帽をかぶっている。
ここの席に来る途中、すぐ横を通ったが、
そのときには、
男性が、
茶色の薄い線が複雑に入り組んだ、山の等高線の地図を大きく広げていて、
横から手を伸ばした女性が、
地図の上を指でなぞりつつ、楽しそうに何かを喋っていた。
この車両の乗客は、
他には、
重そうな大きなザックを床に置き、その近くで立ち話をしていた3人の若そうな男性と、
窓際の席で参考書を開いて勉強していた、夏用の半袖カッターシャツを着た男子学生がひとりと、
あとは、
私がここに座ったあとで、背後の乗降口から乗り込んできているであろう数名と、
それで全部だった。
10人程度しか乗っていない。
座席のほとんどが空いていて、車内はガラガラだった。
前方の車両も、
きっと、似たようなものだろう。
山に向かうにしても、学校や仕事場に向かうにしても、
今は、ちょっと遅い時間だった。
ピンポーン・・・と、チャイムが鳴り、
続けて、
ちょっと音声の割れた、女性の車内アナウンスが流れた。
「間もなくイナミ町、イナミ町です。
降り口は左側。全ての扉が開きます」
トミヤマ駅を発って、最初の駅だった。
列車は、徐々に速度を落としていき、
間を置いて、
軋む音ともに、車両全体が左へと傾き出した。
イナミ町の駅はカーブの途中にあり、
ホームも、路線に沿って曲がって延びていた。
列車は、
ちょっと傾いたままで、ホームをゆっくりと進んでいく。
やがて、
エンジンの駆動音が下がっていき、
少ししてから、
〆のブレーキの甲高い金属音が、より一層大きく鳴り響くと、
列車は、最後に、
プシュー・・・と蒸気音をさせて、完全に停まった。
カコン、と軽い音がしたあとで、
扉が、ガラガラっと勢いよく開く。
「イナミ町、イナミ町です。
駅の出口は、ホームに降りて左に見えます階段を下って・・・」
運転士らしき男性のアナウンスを耳にしつつ、
私は、
窓辺に頬杖をついたまま、窓の向こうを見ていた。
すぐそこ、2mくらいのところに、
私の目線と同じ高さの、相当に古そうな木の柵が設置してあって、
その裏側では、
青々とした雑草が大量に生い茂っていた。
草たちの、細長い葉が、
木の柵を乗り越え、覆い被さるようにこちら側へ溢れてきていて、
イナミ町の駅の、曲がったホームは、
そうした旺盛な草たちの手前の、幅2mほどのスペースに、
ちょっと窮屈そうに設けられていた。
ひとけは、まったくない。
少なくとも、
私の座っている場所からは、ひとりも確認できない。
ホームの、くたびれ尽くした木の柵と、
伸び盛りの若い雑草たちの背後は、鬱蒼とした深そうな森になっていた。
中は薄暗く、向こうは全く見通せない。
ブザーが鳴って、扉が閉まった。
停まっていた列車が、のっそりと動き出す。
ピンポーン・・・と、明るいチャイムが響いたあと、
車内に、
割れ気味の、女性の声のアナウンスが流れ始める。
「お待たせしました。テラハタ、イオイシ方面、タチヤマ行きです。
次は、
タイショウスズキ、タイショウスズ・・・」
そのとき、
車両の前方で、ガラッ・・・と音がした。
私は目だけを動かし、そちらを見る。
向かい側のシートの、その背もたれ越しに、
連結部の扉の上の方だけが見えていて、
それが、3分の1くらい開いていた。
目を向けたまま、じっと様子を窺っていると、
また、ガラッ・・・という音がして、
扉がちょっと動いた。
今は、半分と少し開いている。
誰かが、この車両に移ってこようとしているみたいだった。
ただ、その誰かの姿は、
私の正面にあるシートの陰になっていて、まだ確認できない。
更に開くかと思われたその扉は、
間を置いたあと、
今度は逆へ、
ガララッ・・・と、一気に大きくスライドした。
ピシャッと、勢いよく閉められる。
そのまま目をそちらへ向けていると、
少しして、
正面のシートの、背もたれの向こうから、
日焼けした、子供の顔が現れた。
髪は短く、スポーツ刈り。
背は高くない。
小学3年生か4年生くらいだろう。
紺と白の、ボーダー柄の長袖シャツを着ていて、
手ぶらだった。
リュックも背負っていないようだ。
その、日焼け顔の小さな少年は、
ちょっと遅れて、
シートにいる私の存在に気付いたみたいだった。
こちらに目を向け、ハッとした表情をすると、
すぐに顔を伏せ、そのまま足早に横を通り過ぎていく。
多分、
さっきの駅で、列車の先頭のドアから乗り込んだのだろう。
ここからだと、そちらは死角になっていた。
今日って金曜だよな・・・。
そう思ったが、
でも、
すぐに、学校はまだ夏休みだったことに気が付いた。
私は静かに鼻息を漏らし、視線を窓の方へ戻した。
頬杖を窓辺についたまま、
外の景色を、
また、ぼんやりと眺めることにした。