36.「じゃあ、行こっか」
「じゃあ、行こっか」
そう言って、
ポスターの貼られたガラス戸に背を向け、足を踏み出すと、
すぐに背後で、
「あっ、あそこにお店があるー」
という声がした。
振り返ろうと、顔を横に向けた瞬間、
私の視界を、
小さな黒い頭が、あっという間に横切っていく。
急いで目で追うと、
少年は、
ちょっと先で、ピタッと足を止めた。
振り返り、私に尋ねる。
「ねー、お店に行ってもいーい?」
声をかけようと口を開けていた私は、
そのまま、言葉を返した。
「分かった、先に行っててー」
「来ないのー?」
「先にロープウェイの時間を確認してくるー」
「すぐ来るー?」
「すぐ行くー」
「分かったー。お店で待ってるー」
少年は、
また、売店の方を振り向き、
バタバタと走っていった。
紺と白のボーダー柄の、小さな背中が、
行き交う人々の流れをかわしつつ、離れていく。
売店に、少年が着いた。
立ち止まって、左右を見回している。
私は、
ロープウェイ乗り場の方に向き直した。
観光客たちの長い行列が、そちらへと延びており、
その向こうの壁には、
大きな液晶ディスプレイが設置されている。
《クロバダイラ行き 13:20発》
現在は13時ちょうど。
これだと、食事をとるのは・・・。
その液晶ディスプレイの、下の壁には、
ホワイトボードが設置されていた。
黒のマジックペンで、
整理券の番号らしき数字と、その隣には時刻が書かれており、
それが、縦にたくさん並んでいる。
しかし、
列が、その手前まで延びていたため、
ここからでは、ちょっと見えにくかった。
私は、
ホワイトボードの方へと1歩目を踏み出したが、2歩目で足を止めた。
少しの間、
ぼんやりと記憶を巡らす。
やがて、
スーツの胸のポケットに手を突っ込み、黄色の券を半分だけ抜き出すと、
顎を引き、それを見て、
すぐに戻した。
やっぱり47番だった。
行列を横目に、奥へ歩いていく。
ロープウェイを待つ、色々な服装の観光客たちは、
隣同士、ひとつのパンフレットを覗き込んだり、
構内のポスターをスマートフォンで写したり、
背負ったリュックに入ってる水筒を、後ろの人に取り出してもらったりしている。
そう言えば、
オオカンポウに着いてから、登山用の大きなザックを見なくなった。
リュックやナップザック、ハンドバッグばかりが目につく。
幸いなことに、
13時20分のロープウェイは、整理券の46番までだった。
ホッと胸を撫で下ろしたあと、
私は、
ホワイトボードに背を向け、少年がいるはずの売店の方を見た。
紫や緑の暖簾。
湯気の立つ、味噌の煮物が大きく映った看板。
真っ白な饅頭2つと、
冷たそうな緑茶が注がれた、水滴付きのグラスのポスター。
色とりどりの陳列棚に、色とりどりの箱が並び、
何人かの観光客たちが、それらの商品に目を落としつつ、
店内をゆっくりと歩き回っている。
私は、
視線を左右に走らせ、少年の姿を探す。
すぐに見付かった。
少年は、
ピラミッドの形に積まれた、黄色い瓶詰めの商品の、
その向こう側にいた。
お菓子の箱を手に取り、顔に近付け、
真剣な表情をして、じっくりと見ている。
私は、そちらへと足を踏み出す。
構内を行き交う人に注意しつつ、歩いていると、
不意に少年が顔を上げた。
周囲をキョロキョロと見回し、私と目が合うと、
手に持っていた箱を、急いで棚に戻した。
片手を上にまっすぐ伸ばし、それを左右に勢い良く振り始める。
「こっちこっちー」