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Summer Echo  作者: イワオウギ
I
33/292

33.大勢の観光客たちとともに、薄暗い階段を上りきると

大勢の観光客たちとともに、薄暗い階段を上りきると、

正面は、すぐに突き当たりになっていた。

左に、外へと続く明るい出口が見える。

前を歩く人たちが、

ひとりずつ、そこを通って外へと消えていく。

私も、出口の前へと進み出た。

顔をそちらに向ける。

瞬間、

太陽の強い光が、視界の一面に広がった。


眩し――。


前の人の肩越し、

黒いシルエットの、その向こう。

ただ白く。

ただ明るく。

何も見えない。

光しか見えない。


私は、

顔をしかめつつ、足を前に踏み出す。

目は、すぐに慣れた。

まばゆい明かりは、急速に遠のいていき、

その中から、

代わりに、イスに座った沢山の人影が、

そこかしこに、次々と現れた。


楽しそうな声。

はしゃぎ声。

誰かを呼ぶ声。

笑い声。


そこは、屋外テラスだった。

キレイな白色の丸テーブルが、あちらこちらに置かれており、

そのテーブルを、

イスに腰掛けた観光客たちが囲っていた。

夏の日差しを浴びつつ、柔らかな表情を浮かべて、

山の澄んだ風に吹かれながら、気持ち良さそうに優しく語り合っていた。

各々が自由に、

それぞれが気ままに。

のどやかで、穏やかで。



都内の日常は、ここには無かった。


雑居ビル1階のファストフード店。

遅めの昼食をとっている、作業着を着た私。

その視線の先では、

派手な服装の女性たちが、テーブルに向かい合って座り、

互いに一言も喋らず、目も合わさず、

手元のスマートフォンを、慣れた手つきで操作している。


顔を横に向け、

店の、ガラス張りのウィンドウから外を見ると、

どんよりとした曇り空のもと、

スーツに身を包んだ会社員が、横断歩道の手前に立っていて、

腕時計を何度も確認しながら、

信号が変わるのを、今か今かと待ちわびている。

更にその向こうの、アスファルトで舗装された道路は、

鉄の車が、人間よりもずっと速いスピードで行き交っている。

無感情な風切り音と、用済みの排気ガスを残して、

横断歩道で待つ人々の前を、

ひっきりなしに、

ただ淡々と、通り過ぎていく。


やがて、信号が変わると、

車が一斉に停まって、今度は人々が動き始める。

大勢が交差点を行き交う。

けれども、

その大勢の誰もが誰も見ていない。

皆、無言のまま足早に歩き、

私の視界の外へと、黙って消えていく。


いつも何かに縛られ、

何かに怯え、

何かに急かされ。


都内は、ありとあらゆるものが目まぐるしく変わり、

ありとあらゆるものが(せわ)しない。

有り余る豊かさの中に身を置きながらも、

どこか満たされない。


走り続け、

ひたすら毎日、走り続け、

朝も昼も夜も、走り続けて。


ときどき、

何故、自分が走っているのか、

分からなくなる。

どこに向かって走っているのか、

分からなくなる。

何を目指して走っているのか、

分からなくなる。


夜、

部屋の明かりを消し、ベッドに潜り込み、

静まり返った、暗い室内の壁をじっと見つめていると、

ときどき無性に不安になってくる。


無性に寂しくなり、

無性に心細くなり、

無性に虚しくなり、

無性に胸が苦しくなり、

そして・・・。


私は、部屋の空気を深く吸い込み、

深く深く吸い込み、

しばらくの間、肺に押し留めて、

次いで、ゆっくりと、

慎重に、

少しずつ少しずつ、吐き出していく。

胸の(うち)に溜まったもの、その全てを、

ひとつ残らず、

徐々に体外へと吐き出していく。


それが終わると静かに目を閉じ、毛布の中へと顔を(うず)める。

明日も頑張ろう。

今日は、

もう、

おやすみ。



オオカンポウの屋外テラスは、

晴れ渡った、明るい太陽のもと、

とても、ゆったりとしていた。

穏やかな空間が広がり、時間が緩やかに流れていた。

効率も、成果も、評価も、

ここでは一切、気にする必要がない。


私は、観光客たちの列を外れた。

正面のテラスを迂回することなく進んでいき、足を止める。

夏の強烈な日差しが、私の肌を焼き付ける。

熱さと、(かす)かな痛み。

でも、

その、熱くて痛い部分に当たっている空気は、

逆に、とてもよく冷えていた。

熱いのに冷たいような、

そんな、ちょっと不思議な感覚に陥っている。

この感覚は、

都内では、なかなか味わえない。


私は、大きく息を吸い込んだ。

山の清々しい空気を、肺の中にたっぷりと取り込む。

そうして、

胸を膨らませたまま、片方の手を額に宛てがい、

目の上に簡素な(ひさし)を作り、

直上の空を仰ぎ見る。


肺に留めていた空気を、

ゆっくりと吐き出していく。

肩の力が抜けていき、

緊張が(ほぐ)れていき、

心が静かに、安らいでいく。


そこには、

高層ビルに囲まれた、窮屈な空は存在しなかった。

抜けるような、澄んだ青空が、

ただ、

どこまでも広がり、どこまでも美しく続いていた。

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