26.「猫は飼ったことあるの?」
「猫は飼ったことあるの?」
息を大きく吸い込んだ私は、
そのまま、
やや大きめの声で、少年に尋ねた。
「・・・え?」
少年は、ハッと顔を上げ、
驚いた表情をして、私を見つめた。
「猫は飼ったことあるの?」
もう一度尋ねると、
「えーと・・・、」
少年は下を向き、考え込み、
すぐに、また、
私を見上げて、答えた。
「昔、ちょっと飼ってた」
「どんな猫?」
「えーと・・・、どんな猫って?」
「毛の色とか」
「確か・・・、白」
「肉球の色は?」
「え?、肉球?」
少年は声を高くし、
キョトンとした顔を私に向けた。
「そう、肉球」
「うーん、何色だっけ・・・」
少年は、また下を向き、
考え込んだ。
「ピンク?」
「うーん、覚えてないけど多分」
下を向いたままの少年は、
自信なさげに、そう答えた。
「ウチの猫も、
最初はピンクの肉球だったんだけど、いつの間にか黒くなってた」
「え?」
猫を外に出すようになったから・・・、と説明しようとしたところで、
少年が、急に笑いだした。
私の方に顔を向け、
「何で突然、色が変わるわけ?」
と、
笑いを堪えつつ、尋ねる。
その顔を見た瞬間、
私の中に、ちょっとしたイタズラ心が芽生えた。
「進化したんだよ、多分」
少年は、すぐに吹き出した。
「猫が進化するなんて聞いたことないよー」
そう言って前かがみになると、
大声で笑い始める。
「え?、そっちの白猫だって進化したでしょ?」
私は、
澄ました顔のまま、少年に尋ねる。
「進化なんてしてないよー」
「夜な夜な、こっそりしてたでしょ?」
「してないよー」
「えー、色変わってたでしょ?」
「変わってないよー」
「よくよく思い出してみてよ。
ひとつだけ、
多分、こっそりと色が変わってたから」
「も、もうやめてー。苦しー」
少年は笑いながら、シートの背に体を預け、
足を交互にバタバタさせた。
「大変そうだね」
「だ、だって・・・変なこと・・・言う人、隣・・・いる・・・」
少年は、
激しく何度も呼吸しつつ、
ときどき、思わず笑い出しそうになるのを必死に抑え込みつつ、
途切れ途切れに、どうにか答えた。
「私、すごく真面目だけど」
「どこがー」
「だってすごく真面目な学問なんだよ、猫進化論って言って・・・」
少年は吹き出し、また笑い出した。
途中、私の方を向き、
何か言い返そうとしたみたいだが、
すぐに咳き込んでしまい、それは言葉にならない。
そのとき、
前のシートに座る男性が、こちらを振り返った。
不機嫌そうな表情で私を睨む。
私は、頭を軽く下げた。
男性は、そのまま私をしばらく睨んだあと、
また元通り、前を向いた。
私は、隣の少年の方に顔を向けた。
少年は、
口を大きく開いたまま、バスの天井を見上げていた。
一生懸命に、呼吸を繰り返している。
「ちょっと外を見てごらん」
声をかけると、
少年は、すぐに笑顔をこちらに向けた。
「なにー?、また変なことー?」
やや大きめな声を出し、ニコニコと私に尋ねる。
「い、いや、そうじゃなくて・・・」
前のシートに座る男性の方を、横目でチラリと確認しつつ、
慌てて、そう返した。
窓の外を指差す。
「ほら、外見て、外。
さっきまでと景色が全然違ってるでしょ?」