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Summer Echo  作者: イワオウギ
25/289

25.「じゃあ、猫の話でもしようか」

「じゃあ、猫の話でもしようか」


私は、

天井に向けていた視線を、隣に座る少年に移し、

そう切り出した。

少年は、両方の足の先っぽを、

シートとシートの間の狭いスペースで、交互にバタバタと動かした。


「うん、」


少年は、そう返事をし、


「どんなお話?」


と言って、日に焼けた顔をこちらに向けた。

すぐ近くに、

少年の、あどけない顔。

汚れない、2つの大きな目。

私を見ている。

まっすぐな心で、私をじっと見つめている。


「・・・実家で、猫を飼っているんだ」


私は少年から目をそらし、前を向き、

話を切り出した。


「うん!」


すぐに、少年の元気な声が返ってきた。

猫の話は、好きなようだ。


「黒猫のメスで、全身まっくろ」


「うん」


「これくらいの大きさの頃から飼っていて」


私は、そう言って、

自分の手のひらを少年に見せ、


「いや、これくらいかな?」


と、

そこから、ほんの少しだけ指を曲げた。


少年は、私の手をじぃっと見つめた。

やがて、

自分のお尻の下に敷いていた手を、片方だけ抜き、

私の、軽く握り込んだ手の横に並べると、

熱心に見比べつつ、

その手を握ったり、少し戻したりした。



「これくらい?」


少年は、

ほんの少しだけ握りしめた小さな手を、こちらに差し出し、

私の顔を見上げ、尋ねた。


「うん、それくらい」


私が、そう返すと、

少年は、その手を自分の胸元に戻し、

じっくりと見つめた。

小さく、細かく、

何回か握り、

感触を確かめている。

少ししてから、

少年は、また顔をこちらに向けた。


「赤ちゃんの頃からー?」


少し嬉しそうにしながら、私に訊いた。

私は、少年に向かって頷いた。


「うん、多分」


「たぶん?」


「拾ってきた猫だし、正確には分からない」


それを聞くと、

少年は、急に表情を曇らせてしまった。

少し間を置いてから、

静かに私から視線を外し、目を伏せ、

力なく、項垂れてしまった。

そのまま、無言で前に向き直し、

軽く握った、その手を、

また、お尻の下に、

ゆっくりと差し戻した。


「・・・捨てられてたの?」


少年は、

俯いたまま、ポツリと尋ねた。


「うん。公園に捨てられてた」


「そっか・・・」


「妹が拾ってきたんだ」


「そっか・・・」


「小さな紙の箱に入れられてて・・・」


「・・・」


「みぃみぃと鳴いていて・・・」


「・・・」


「それで・・・」


「・・・」


少年は黙ってしまった。

背中を小さく丸め、両手をお尻の下に敷き、

うつろな表情で、

ただ静かに、

自分の膝の辺りを、じっと見つめている。


私は、口を開いた。

息を吸い込み、

息を止め、

少ししてから、小さく更に息を吸い込み、

再び息を止め、

やがて、

ゆっくりと、

そのまま、

何もしないまま、

その、開けた口を、

声を発することなく、

ただ静かに、

そっと、閉じた。


少年の横顔を、じっと見つめる。


窓の向こうに広がる、

夏の太陽に照らされた、光に満ち溢れた明るい世界。

次々に流れ行く、鮮やかな木々の緑。

その手前には、

項垂れた少年の小さな横顔が、影のように暗く。

止まった横顔。

沈んだ横顔。

少年は、凍りついたように動かない。

何も喋らない。


バスが、縦に大きく揺れた。

ガタガタン・・・という音とともに、

少年も私も、シートの上で小さく揺れる。

少年は下を向いたまま。

私は少年を見つめたまま。


揺れは、すぐに収まった。

バスのエンジン音が、再び聞こえるようになり、

その、細かい振動が、

シートから体の芯へと伝わってくる。

私たちを乗せた、大きな白い観光バスは、

舗装された山の道を、

晴れ渡る青空の下、

ただ、ひたすらに登っていく。


少年は、下を向いたままだった。

動かない。

私も、少年を見つめたままだった。

動かない。

ふたりとも、

そのまま、ひと言も喋ることなく、

しばらくの間、

ただ静かに、バスに揺られていた。

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