24.バスが、カーブの途中で停車した
バスが、カーブの途中で停車した。
そこは、
カーブ外側の、膨らんでいる部分が、
山の斜面の、谷の方へと、
若干せり出していて、
そのおかげで、ちょっとした高台のようになっている・・・そんな場所だった。
視界をずっと遮っていた、道沿いの林も、
ちょうど、
このカーブの、この僅か数mほどの区間にだけは存在しない。
見晴らしが良さそうだった。
私は、
体をシートから起こすと、背筋を伸ばし、
少年の背中の向こうに広がっている、窓の外の景色に目を向けた。
遠く、目線と同じくらいの高さの位置に、
青みがかった緑色の山々の稜線が、
左右に長く、なだらかに延びている。
そして、
そうした遠くに構える山々の、広々とした裾野は、
青みがかった緑色を保ったままで、
私たちの遥か眼下に小さく映っている渓谷の、ほっそりとした川のところまで、
ずうっと続いていた。
運転手が、この場所の説明を始めた。
それによると、ここからは、
落差日本一の350mを誇る、ミョウショウ滝を一望でき、
それ故に、タキノゾミ台と名付けられ、
長年、観光名所として親しまれている・・・とのことだった。
350mの高さとは、
ビルで言えば、およそ100階ほどに相当する。
そこから、白く細かく砕かれた川の水が、
遥か下に小さく霞む滝壺へと、
荒々しく、少しも止まることなく、
一気に流れ落ちていくのだ。
あっという間に、350m下に辿り着き、
凄まじい勢いのまま、
滝壺の水面を、
その身ごと、強く打ち付ける。
何度も何度も、
際限なく、休むことなく打ち付けていく。
きっと、その滝の轟音に、
辺り一帯の音は、全て飲み込まれてしまっているのだろう。
水しぶきも、相当なものに違いない。
私は、
背筋を伸ばしたまま、外の景色を見渡し、
ミョウショウ滝を探してみた。
すぐに見付かった。
尾根の辺りから、
糸のように細い、1本の白い筋が、
山の麓の方へと、
ほんの少しだけ斜めに、スッと延びていた。
日本一の落差を誇るミョウショウ滝は、
ここから見る分には、
もの静かで、控えめで、
おっとりとした、
とても上品そうな滝だった。
車内のあちこちで、乗客たちの、
凄いな・・・、
綺麗ね・・・という、感嘆混じりの声が響いている。
写真を撮るときのシャッター音も、
パシャッ、パシャッ・・・と、間断なく続く。
私は、しばらくの間、
遠くの小さな滝に、目を向けていた。
少年も、向こうを向いて、
私と同じように、窓の外を眺めていたが、
やがて、体の向きを前に戻すと、
そのまま深く座り直し、
シートの背に、もたれかかってしまった。
見ることに飽きたのかな・・・。
そんな感想を抱きつつ、
そう言えば、今、何時くらいだろう?・・・と、
顔を前に向けたときだった。
通路に立つ乗客たちの姿が、私の目に入った。
皆、懸命に背伸びをし、
谷側の窓の向こうに広がる山間の景色を、バスの通路から眺めている。
瞬間、ハッと気付く。
少年は、この人たちのために視界を譲ってあげたのだ。
私は、すぐに少年を見る。
少年は、シートに深々と座ったまま、
ただ静かに、目をつぶっていた。
私も、少年に倣うことにした。
座り直し、シートに背中をぴったりと押し付けると、
それから、黙って目を閉じた。
「では出発します。お席にお戻り下さい」
運転手が、落ち着いた声でアナウンスし、
バスは、再び動き出した。
それを聞いた少年は、
目を開けると体を起こし、背もたれから背中を離した。
上体を捻って、こちらに背を向けると、
両手を窓辺に置き、
外の景色を、また眺め始めた。
しかし、程なくして、
少年は体の向きを前に戻し、座り直した。
両手の先っぽを、自分のお尻の下に差し込み、
そのまま顔を下に向け、
自分の膝頭を、
しばらくの間、じぃっと見つめる。
そして、
両足を何回か、ぶらんぶらんさせてから、
その足を止め、
少ししてから、隣に座る私の顔をゆっくりと見上げた。
少年と目が合う。
しばし無言。
私は、口を開く。
「どうした?」
「何かお話してー」
「え?。
うーん、山の景色はもう飽きたの?」
取り敢えず質問を返し、時間稼ぎをする。
「飽きてないけど・・・」
少年は、私から目を逸らし、
また、自分の膝先を見つめた。
「飽きてないけど・・・何?」
私は、その先を促す。
少年は、
曲げていた膝を、ググッと伸ばしていく。
生地のちょっと破けた白いスニーカーの、靴の先っぽを、
前のシートにギリギリ触れるところまで持ち上げると、
そのまま、
「・・・僕、ずっと横向いてたから、
首が疲れちゃった」
と答えて、両膝の力を一気に抜き、
上げていたスニーカーを、勢い良く下ろした。
「あぁ・・・」
なるほど、そういうことか。
「ねぇ、何かお話してよー」
少年は、
再び、ふたつの靴先をググッと持ち上げていく。
そして、
前のシートに触れそうな高さでキープし、
少ししてから力を抜き、
勢いを付けて、ガタンと下ろした。
私は前に向き直し、
それから、バスの薄暗い天井を見上げた。
「うーんと・・・」
何が良いかな・・・。




