234.「《『それで
「《『それで、
立体交差の下じゃなくて、ちょっと手前の場所で自転車を降りたの。
丘の上に小さなお寺さんがあったんだけどね、
そのお寺さんの裏手に出る、古い上りの階段が、
そこの新道の、道端から上に続いていたの。
その階段のふもとに自転車を駐めると、
ふたりで階段を少し上ったわ。
そうして、
途中で、脇にある手すりを乗り越え、
丘の斜面の下の方だけ覆ってるコンクリート壁の、上の部分の、
細長い縁を歩いていって、
立体交差の下に着くと、
お父さん、そこから丘の斜面をちょっと上っていった。
で、
そこに立ってた、コンクリートの太い柱の土台部分に腰掛け、
あとから上がってきた私を見て、
“ここならいいんじゃない?”って。
私も、
お父さんの隣に座りながら、
“うん。”って言って、“良い眺めだね”って続けた。
“うん。
オレも、結構 気に入ってる”って返ってきた。
私たちの真正面には立体交差のスロープがあったから、
そっちの視界は塞がれてたんだけど、
ただ、
その横には、田んぼや畑の風景が向こうの方までずっと広がっていて、
遠くで、私の街の色々な建物が こまごまと たくさん並んでた。
セミが大きな声で鳴いていて、
私たちの頭上や下を通る道路をときどき車が走り抜けて、その音が聞こえた。
“風がちょっとあって気持ち良いね”って言ったら、
“うん”って返ってきた。
そのまま少し、ふたりで景色を眺めてた。
そしたらね、
不意にお父さんが言ったのよ、
“・・・◎◎、病院変えよう”って。
“え”って驚いた私は、すぐにお父さんを見た。
お父さん、
前を向いたままで言った。
“実はさ、
元々思ってたんだよ、ちょっと失敗したなぁ・・・って”
“・・・”
“その・・・、
えっと、
も、もし産むんだったらさ、
病院って絶対に近くにあった方がいいだろ?
だって、
病院には定期的に何回も通うことになるわけだし、
それに、
お腹が大きくなってくると、歩くのだけでも相当に大変って話だし、
◎◎にそんな無理はさせられないよなぁ・・・って”
“・・・”
“だから、
もし、産むことになったら、
病院を近くに変えない?、って言うつもりだったんだよ、元々。
そしたら、今日のあの態度はなんだ。
◎◎が謝ったときなんて、
隣で聞いてて、堪忍袋の緒が切れそうだった。
最初の診察のときも実はちょっとムッとしてたんだけどさ、
流石に今日のは・・・え? あ、えっと・・・、”
私、そのタイミングで鼻をすすったの。
産むことも考えててくれたんだ・・・って思ったらホッとして、
なんか、お父さんの話を聞いてるうちに泣けてきちゃったの。
で、
ポシェットから出したハンカチを目元に当ててたら、
お父さんが言ったわ。
“・・・いや、
オレ、
そんなにイヤだったとは気付かなくてさ、ゴメン”
私、ハンカチで目を押さえたまま首を振った。
“ううん、違うの。
そうじゃなくて・・・、
あ、そうじゃなくはないんだけど、
その、なんて言うか・・・、
産むことも考えていてくれたことが嬉しくて・・・”
“・・・”
私、
ちょっとしてから、ハンカチから顔を上げて、
目の前の景色を見ながら、ふぅ・・・ってひと息ついて、
それから言った。
“病院を変えるのは、
産むことに決まったら・・・でいいよ。
2、3回くらい我慢する。
お金、もったいないし”
“・・・分かった。ゴメンな”
“いいって。仕方ないよ。
だって、
そんなの、実際に行って診てもらわないと分からないじゃん。
それよりも、・・・どうしよう”
私、
話の流れに乗って、思い切って そう訊いてみた。
そのときの私ね、半分くらい覚悟してたの、
きっと、
堕ろしてほしい、って言われるんだろうな・・・って。
そのちょっと前、
私が、
産むことを考えていてくれて嬉しかった・・・って答えたときに、
お父さん、黙ってたから。
だから、
やっぱり そうなんだろうな・・・って、なんとなく思ってた。
で、お父さんに、
堕ろそう・・・って言われたら、
うん、分かった・・・って返して、そうするつもりだった。
私、遠くの街並みに目を向けて、
お父さんからの返答を じっと待っていた。
でも、なかなか返ってこなくてね、
心臓をドキドキさせたまま、
セミの声と、ときどき通る車の音をずっと聞いていた。
しばらくして、お父さんが私に言った。
“・・・◎◎は、どう思ってる?”
私、
正面を向いたまま、改めてちょっと考えてみて、
それから顔を俯けて、お父さんに言った、
“分からない・・・”って。
“・・・”
“私ね、
今日の診察で妊娠してます、って言われたけどね、
それがどういうことなのか、正直 あまりピンと来てないの。
ツワリの症状が まだほとんど来てないから そのせいかもしれないけど、
なんか、いまいち実感がなくて、
あぁ、そうなんだ・・・って感じ。
だから、
どう思ってる?、って言われても、
今は、
まだ、よく分からない・・・”
“・・・”
“▽▽は、どう思ってるの?”
“・・・”
お父さん、なかなか答えてくれなかったからね、
私、
ちょっとイライラして もう一度訊いたの、
“ねぇ、どう思ってるの?”って。
そしたら、
少し間があってから返ってきたわ、
“オレも、よく分からない・・・”って。
“・・・”
“自分が子を持つなんて、
今まで ほとんど考えたことなかったんだ。
あ、
いや、子供が欲しくないとか そういう意味じゃないんだ。
その、
いつかオレにも子供が出来て、それで親になるんだろうな・・・ってのは、
昔から、ふとしたタイミングで思うことは度々あったんだ。
でも それって、
大学を出て、働くようになって、結婚して、
それからのことだと思ってて、
まだ何年も先の話で、まだ今の自分には関係ないことだと思ってて、
それが、急に妊娠してるかも・・・って話になって、
病院に行って診てもらったら実際に妊娠してて・・・。
正直、
どう受け止めれば良いか、よく分かってないし、
どうしたら良いかも分からない・・・”
“・・・”
また、会話が途切れたの。
お互い無言になった。
私、
堕ろしてもいいよ・・・って、言おうかどうか迷ってた。
そしたら、
お父さん、呟くように零したわ、
“やっぱ、親には言わないといけないよな・・・”って。
私、ちょっと考えたあと、
“・・・うん。
多分、そうだと思う。
その・・・お金の問題もあるし”って返した。
お父さん、
はぁ・・・って、深く ため息をついて言った。
“絶対 怒られる・・・”
“私も、
多分、怒られると思う・・・”
“・・・あのさ、
◎◎の両親って、どんな人?
電話での感じだと、
なんか、ちょっと厳しそうだったけど・・・”
“どんな人、って言われても・・・。
うーん、普通だと思う、
お父さんも、お母さんも”
“・・・怒ると怖い?”
“えっと・・・、
うん、
お父さんは、ちょっと怖いかも”
私が そう答えたら、
お父さん、
はぁぁぁ・・・って、深い深い ため息をついたわ。
で、
“どうしよう・・・”って呟いた。
隣を見たら、
お父さん、下向いて頭を抱えてた。
私、お父さんに言ったわ。
“でも、
私のお父さんもお母さんも、
▽▽のこと すごく気に入ってるみたいだから、
多分、大丈夫だと思う。
この前だって、
お父さんが、
あの、よくウチに電話をかけてくる△△君、
まだ若いのに言葉遣いがしっかりしてて、大したもんだ・・・って褒めてたし”
でも、
お父さん、それには何も返さずに、
少し間を置いてから、また ため息ついた。
私、お父さんに訊いてみた、
“▽▽の親は、どんな人?”って。
“ウチ?
ウチの親父は・・・まぁ、気は短い方かな。
何か気に入らないことがあると、割とすぐ怒る。
お袋は、
そこまで気は短くないんだけど、
ただ、色々とうるさくて、
子供の頃から しょっちゅう叱られてた。
あなた、いい加減にしなさい。何度言ったら分かるの・・・って”
“そうなんだ・・・”
“・・・ウチさ、
貧乏ってわけじゃないけど、そこまで生活に余裕がある方じゃなくてさ、
もともと親には、
大学に進学する気なら できれば地元にしてくれ・・・って言われててたんだ。
でも、
オレ、どうしても こっちに来てみたくてさ、
それで、
少し反対されたんだけど、
足りない分は自分でバイトして稼ぐから・・・って説得して、
冬に上京して大学の試験を受けさせてもらって、なんとか合格して、
で、
春から、あの大学に通ってるんだ。
入学したあとも、
毎月、お金とか食料を送ってくれてる。
なのに、どうやって説明したらいいんだ・・・”
私、
お父さんに なんか言ってあげたかったんだけどね、
でも、良さそうな言葉が思い浮かばなくて、
ちょっとしてから、顔を前に戻した。
見晴らしの良い景色を眺めつつ、
セミの声と、ときどき通り過ぎていく車の音を聞いて、
静かに ため息ついた。
そしたら、
お父さんがポツリと言ったの、
“オレ、
もしかしたら、大学をやめさせられるかもしれない・・・”って。
私、驚いた。
“え、大丈夫でしょ。
流石に、やめさせられはしないでしょ。
せっかく入ったんだし・・・”って言って、お父さんを見た。
お父さん、
下向いたままで、首を小さく横に振った。
“いや、分からん。
すぐ戻って こっちで働け・・・って言われるかもしれない”
“え・・・。
そんなこと、ないと思うけど・・・”
“・・・”
“ないよね?”
“・・・大丈夫、なんとかする”
“うん・・・”
“・・・”
そのまま沈黙が少し続いて、
そのあと、
私、お父さんに訊いた。
“・・・親には、いつ言う?”
お父さん、
ひとつ ため息をついた。
顔を上げて答えた。
“・・・分からん。
ただ、
次の診察が1週間後だから、
少なくとも そのときまでには言っておかないと・・・”
“そうだね・・・。
▽▽は、
その、・・・ウチに来てくれるの?”
“行く。当たり前だろ?
会って、オレの口から説明するべきだと思ってるし・・・”
“・・・▽▽の親は どうする?”
“電話で伝えるしかないと思ってる。
里帰りの予定も・・・あぁ、ちょっと早めたら良いのか。
でも、あれか、
確か、妊娠初期であっても旅行は なるべく控えた方が・・・って書いてあったな。
とすると、やっぱり電話か・・・”
“・・・”
“はぁ・・・”
その後、また お互いに無言になった。
私、
少ししてから、お父さんに訊いてみた。
“・・・ねぇ、
▽▽の親は、なんて言うと思う?”
“えっと・・・、
なんて って?”
“産んでもいい・・・って言うか、
堕ろせ・・・って言うか”
“・・・分からん。
分からんけど、
でも、
多分、堕ろせ・・・ってなると思う”
“・・・ウチも、
多分 そうだと思う”
“・・・”
“どうしよう・・・”
“・・・”
それっきり会話がなくなってね、
立体交差の下で柱の土台に ふたりで腰掛けたまま、
目の前にある田んぼと畑と遠くの街並みを、ただボーッと眺めてた。
で、しばらくしたら、
私、
検査で疲れてたせいもあって、眠くなってきちゃったの。
欠伸を噛み殺しつつ、腕時計を見てみたら時間が結構 経っててね、
それで、
続きは明日にして、今日はひとまず帰ろう・・・ってなって、
ふたりでコンクリートの斜面の縁を歩いていって、
古い階段を下りて、下に駐めてあった私の自転車のところに戻って、
でね、
ずっと日なたに置いてあったでしょ?
サドルが物凄い熱を持っていて、
だから、
私の眠気覚ましも兼ねて、丘沿いの新道を少し歩くことにしたわ。
で、
途中から、また お父さんに自転車を漕いでもらって、
そうして家の前まで帰ってきたの。
お父さんと別れたあとは、
部屋に戻って、少し休んでからバイトに出掛けて、
それが終わって、家に帰ってくると、
階段を上がって、自分の部屋に行った。
お父さんとの電話で最初の頃に使ってたミッション・ノートがあったでしょ?
あれを持って、1階の電話のところに行って、
念のため、
ノートに書いてある お父さんの実家の電話番号を確認しながら、
ジーコジーコと、ダイヤルを回したの。
親が出たらどうしよう・・・って、ちょっと緊張した。
そしたら、
“はい、△△ですけど・・・”って、お父さんの弟が出たの。
私、ホッとして、
“あの、
私、☆☆さんの友達の○○と言いますけど、
☆☆さん、いますか?”って訊いた。
“姉ちゃん?
いませんけど”
“あぁ、そうなんですか。
久し振りにちょっと話をしてみたくて電話したんですが、
何時頃だったら家にいますか?”
私が そう尋ねたらね、こう返ってきたの。
“え?
あー、
姉ちゃん、しばらく家に帰ってきてないから・・・”
“え。
あ、そうなんですか。
えと・・・、
じゃあ、
もしかして、何日くらいに帰ってくるのかも分からない、ってことですか?”
“あ、はい”
“・・・分かりました。
じゃあ、もし帰ってきたら宜しくお伝えください。
では”
私、
そう言って受話器を置くと、ノートを持って部屋に戻った。
このときはね、
相談する気は そんなになかったのよ。
ただ、お父さんとの会話で なんとなく義姉さんのことを思い出して、
で、
そう言えば ここ2、3ヶ月 話してないけど、どうしてるのかな・・・って気になって、
それで、ちょっと電話をしてみたの。
義姉さんの話に ときどき彼氏が出てきたから、
その彼と同棲するようになったのかな、って思ってた』
続きます》」




