227.「《『でね、翌日、
「《『でね、翌日、
起きたとき、お腹がちょっと痛かったの。
あ、もしかして来たのかな・・・って思ったんだけど、
でも、なんか、
小さい頃から朝はちょくちょくなってた、普通の腹痛って感じでね、
少ししたら、いつものように何事もなく治まっちゃったわ。
で、
朝の8時半過ぎだったかな・・・、
電話がかかってきたのよ、お父さんから。
待ち合わせ場所を変えよう、って。
その日は朝から雨が降ってて、
それでね、
雨の中、傘差して立って待ってるのは大変だから、オレの部屋にしよう・・・って。
お父さん、そのときはすごく慌てていてね、
それだけ言うと、
“ゴメン、時間ないんで。じゃあ、”って、すぐに電話を切ろうとしたんだけど、
“あ、そうだ。
今朝はどうだった? 測った?”って、付け足して訊いた。
私、
“うん、測った。
昨日とだいたい同じ・・・”って答えた。
“そっか。
あんまり無理すんなよ。
じゃあ、またな”
うん、またね・・・って返そうとしたときには、もう電話は切られちゃってて、
ツー、ツー・・・って鳴っていて、
私、持っていた受話器を静かに戻した。
ちょっと嬉しかった。
部屋の時計を見上げると、まだ時間には余裕があった。
だから、
大学のサークルに少し顔を出す予定だったけど、それはやめることにして、
台所に向かった。
あり合わせのものを使ってお弁当をふたつ拵えて、
それから、お父さんのアパートに向かった。
合鍵を使って部屋に入ると、
すぐ近くに、口の開いたリュックが置いてあってね、
その向こうには、
敷きっぱなしの布団と、斜めに捲れたタオルケットが見えててね、
その枕元には扇風機があって、まだ回っていたから、
私、
足元のリュックを脇に避けてから部屋に上がって、
自分のバッグを置いて、
扇風機のスイッチをパチンって押して、OFFにした。
通りに面した奥の窓も開きっぱなしになっていたから、すぐに閉めに行って、
そのあと、
布団のところに戻って、畳んでから端に寄せて、
上に、タオルケットと枕を載せて、
部屋の畳に放ってあるシャツとか下着を洗濯物用のバケツに入れて、
それから、
シンクに放ったらかしにしてあった、鍋とか食器を洗って、
流し台もお掃除して、布巾を戻して、
そうして、
ひと通りのことをやってから、
ふぅ、って息をついた。
他は・・・って思って、部屋を改めて見回してみると、
壁に寄せられている座卓の上に、私の貸した本があって、
隣に、レポート用紙とシャーペンが置かれてた。
紙には、何か書かれていた。
私、
ちょっと迷ったけど、そちらへ歩いていった。
そのレポート用紙には、
見ると、
ツワリのこととか、
診察時の持ち物、服装とか、
不用意には薬を飲まないこと、胃や腸のX線検査はなるべく避けること・・・みたいな、
妊娠初期の注意点とか、
出産までにかかる費用とか、
その費用を軽減するために利用できる様々な制度とか・・・、
そういったことが、
ざっと簡単に、箇条書きでまとめられていた。
初診の費用の欄は空白になっていて、
その下を見ると、“中絶”って書いてあった。
お父さんの字で改めて目にすると、ショックだった。
やっぱり考えているんだ・・・って思った。
中絶の項には、
“可能な週数”と“費用”の2つの見出しがあって、
費用の欄は、こちらも空白のままだった。
私、
少ししてから自分の腕時計を見て、
そのあと、また座卓の上の本に目を向けた。
帰ってくる時間まで、まだだいぶ余裕があったから、
今のうちに残りの部分を読んでおこうかな・・・とも思ったんだけど、
でも、
帰ってきたときのことを考えると、あまり気乗りしなかった。
結局、やめることにして、
漫画の並ぶ本棚の方へ歩いていって、適当に1冊選んで、
畳の上に座布団を敷いて、腰を下ろして、
その漫画を読み始めた。
途中、蒸し暑くなったから、
座布団ごと扇風機の近くにお引っ越しして、またスイッチを入れた。
ついでにラジオもつけようとしたけど、やめたわ。
雨の音って昔から好きなの。
聞いてると、なんとなく気が落ち着いてくるの。
しばらくすると、
廊下側から、誰かの足音が近付いてきて、
ドアの開く音がした。
顔を上げると、戸口にお父さんがいて、
私の傘のところに、自分の傘を立て掛けていた。
“おかえりー”って声をかけると、
お父さん、靴を脱ぎながら言ったわ、
“おう、サンキュー。
今日、ちょっと寝坊しちゃってさぁ・・・”って。
“テスト、間に合った?”
“うん。
全力で走ったら、2分ちょい前に着いた。
身軽だったから、割と余裕だった”
“身軽っていうか、
あれ? 荷物は?”
“あぁ、
財布とシャーペンと消しゴムしか持ってかなかった。
考えてみたらさぁ、今日は朝イチのひとコマだけじゃん。
テスト前の勉強も時間なくて無理だし、
じゃあ、これだけでいいじゃん・・・って”
お父さん、そんなことを説明しつつ部屋に上がって、
さっき避けたリュックを拾って、
私の目の前を通って、そのまま座卓の方へ歩いていった。
私、慌てて視線を漫画に戻した。
訊かれたらどうしよう・・・って思った。
ドキドキしながら待ってると、
お父さん、
少ししてから、こっちに戻ってきた。
私に言ったわ、
“これ、ありがとな。
だいたい読んだから返すよ”って。
“あ、うん・・・”って言って、
私、顔を上げた。
でね、
差し出されてる本に手を伸ばそうとして、ふと気付いたのよ、
本と一緒に千円札が1枚あることに。
あれ?、って思った私は、お父さんの顔を見上げた。
お父さん、
“オレも半分出す”って言った。
私、
少し遅れて、あ・・・って気付いた。
ジーンと来ちゃった。
でね、
なんで?、って訊こうかどうか迷ってたらね、
ちょっと思い付いちゃったの。
私、
伸ばしてた手を引っ込めて、すぐに後ろを振り返った。
お父さんの、
“あれ? えと・・・”って戸惑ってる声を背中で聞きつつ、自分のバッグを近くに引き寄せ、
中から、ポケットサイズのあの本を出すと、
また、お父さんの方へ向き直したの。
“はい、これ”って言って、差し出した。
“え? 何?”
“いいから、ちょっと見てみて”
私がそう言うと、
お父さん、怪訝そうにして本を受け取ったわ。
そうしてね、
私が口元に手を当てて必死に笑いを堪えているのをチラッと見て、
ちょっと首を傾げて、
それから、
お父さん、私の渡した本を開いたの。
でね、
中を見て、ぷっ・・・て。
私、
その瞬間、堪えきれなくなっちゃったわ。
ひとりで声を抑えて笑っていてね、
で、少しして、
目に溜まった涙を拭ってから、お父さんの表情を窺ってみたらね、
お父さん、
満面の笑みで、コノヤロウ・・・って顔してこっちを見てるの。
私、
それ見たら、また堪えきれなくなっちゃってね、
少しの間、そのまま声を抑えて笑っていたわ』
続きます》」




