225.「《『でね、電車を乗り継いだあと
「《『でね、
電車を乗り継いだあと、
公園の最寄りの駅に到着して、改札を抜けると、
すぐ目の前にある通りの向こうに池が見えて・・・じゃなくて、
ほとんど見えなかったんだ、
池の手前に大きな建物があったんだ、貸しボートをやってるお店の。
お父さんが言うにはね、
ボートを漕いで、
あまり人のいない、静かなところまで出ていって、
そこで話したら良いんじゃないか・・・って。
前に来たときは雨で乗るのをやめてしまって、ちょっと残念で、
で、
機会があったら・・・って思ってたんだって。
待っていた信号が青に変わったから、その通りを渡って、
念のため、
貸しボート屋さんの前で曲がって、建物の横まで行ってみたわ。
そこからは公園の広いお池が一望できて、
あっちこっちで、スワンボートとか手漕ぎのボートとかがゆっくり動いてた。
結構いた。
ただ、
お池の奥、お社のある島の手前ら辺はすっきりしていて、
ボートの姿は1艘も無かった。
お父さん、
こっちを振り向くと、その奥の場所を指差しながら私に訊いた。
“◎◎、あの辺りでいい?”
私、
正直、そのときは少し不安だったんだけど、
“うん・・・”って返した。
“よし、行こう”
“うん”
“・・・大丈夫だって”
“うん・・・”
改めて貸しボート屋さんの前に戻って、建物の中に入った。
借りたのは、
屋根付きでふたり乗り用の、小さなボートだったわ。
お父さんたら、
乗り込むときに、ボートの屋根に思いっきり頭をぶつけちゃってね、
少しの間、手で押さえて悶絶してた。
先に席に着いたお父さんに、私は自分のハンドバックを渡して、
座席中央にある、ハンドルの前に置いてもらって、
私もボートに乗り込むことにした。
思ったより大きく揺れて、足元に注意が行った瞬間、
私も頭を軽くぶつけちゃったわ。
で、
係員の人が、ボートの乗り込み口のところに鎖を渡して、
桟橋に結わえてあったロープを外して、立ち上がって、
“では、ごゆっくりお楽しみください”って言った。
お父さん、
“じゃあ、行こう”って言って、
私も、
“うん”って頷いて、
ふたりでペダルを漕ぎ始めた。
ボートがゆっくりと前に進んだ。
背中をシートに押し付けるように意識すると漕ぎやすい、ってことが分かってきて、
お父さんもそれが分かったみたいで、
スピードが段々と上がっていった。
お父さんが片手でハンドルを回し、池の真ん中へと舵を切った。
水面近くの冷えた風が顔に当たって、気持ち良かったわ。
少しの間、ふたりで黙々とペダルを漕いでたんだけど、
途中、
6月に歩いた歩道へ寄ってからは、
そのときの思い出話をしつつ、お社のある小島へと向かったわ。
通りを走っている車の音や、公園の広場で元気にはしゃぎ回る子供たちの声、
あとは、
池の畔の木でたくさん鳴いてるセミの声のおかげで、
隣で話してるお父さんの声が、
ときどき、少し聞き取りにくかった。
これなら・・・って、ちょっと安心した。
島のすぐ近くまで行ったんだけど、セミの大合唱でうるさ過ぎたから、
旋回して、ちょっと引き返した。
お父さんがペダルを漕ぐのをやめて、
“ここら辺でいい?”って私に訊いた。
私も漕ぐのをやめた。
下を向いて、
ふぅ、って息をひとつついてから、
“うん・・・”って頷いた。
“じゃあ、話してくれ”
“・・・うん”
けどね、
私、なかなか言い出せなかった。
話したあとのことを考えると怖くなってしまって、どうしても決心がつかなかった。
下向いたまま、
しばらくの間、黙り込んでいたわ。
そうしたらね、
不意に、お父さんの声が聞こえてきたの、
“これ、下に置くぞ”って。
え?、って思って隣を見ると、
お父さん、
私のハンドバッグを自分の足元へ下ろしていて、
頭を上げると、こっちを向いて、
ちょっと窮屈そうにしながら、片方の足をハンドルのこちら側へと出してきて、
それから、
体を私の方にちょっと寄せて、座り直したわ。
でね、
“これだったら、
余程近付かれない限りは大丈夫だろ?”って。
私、顔をゆっくりと前に戻した。
下を向いてから、
“うん、”って頷いて、
“ありがと・・・”ってお礼を言った。
そしたら、ちょっと間があって、
それから、
控えめな感じで、“ん・・・”って返ってきた。
恥ずかしがってるのが分かった。
私、息をゆっくりと吸って、
また、ゆっくりと吐いていった。
そうして声に出そうとしたんだけど、
でも、まだ無理そうだったから、
だから、
間を置いて、もう一度息を吸って、
ゆっくりと吐いて・・・。
それでね、
ようやく、ほんの少し気持ちに余裕が出来た私はね、
覚悟を決めて、隣のお父さんに伝えたの、
“あのね・・・、
私、実は1週間くらい前が予定日だったんだけどね、
まだ、
その、来てないの・・・”って』
続きます》」




