22.観光バスの乗車口の前まで来た
観光バスの乗車口の前まで来た。
ステップの一段目が、私の膝よりも高い位置にある。
私は後ろを振り返ると、少年の顔を見た。
少年も、私を見上げた。
どうしたの?、とでも言いたげな、
不思議そうな顔をしている。
私は乗車口の方に向き直すと、
腿を高く上げ、バスのステップに片足を乗せた。
ズボンの膝部分の生地が、肌に擦れる。
次いで、乗せた方の足に力を入れ、
自分の体を、バスの車内へと運び入れた。
そのまま、ステップを1段登り、
更に、その上の段に片足を置いたところで、
私は後ろを振り返った。
少年は、一呼吸置き、
神妙な面持ちをし、
乗車口の両脇にある手すりを、左右の手でしっかりと握った。
そして、右の腿をぐいっと高く上げ、
ステップの一段目に、右足を何とか乗せた。
しかし、その体勢から先に進めなかった。
地面に付いたままの左足で、何回も爪先立ちになり、
その度に上半身を前に倒し、
勢いをつけ、
自分の体を持ち上げようとしていたのだが、なかなか上手くいかなかった。
しばらくすると、
少年はステップに乗せていた足を、また地面に下ろしてしまった。
私はステップを1段降り、少年に手を伸ばす。
少年は私を見上げて、口を開く。
「ちょっと、
そこ、どいてて」
「後ろの人が待ってる」
「いいから、ちょっとどいてて」
仕方ないので、私はバスのステップを1段上り、
そこで改めて、少年の方を振り返った。
少年は、顔を下に向けた。
両膝を曲げ、
乗車口の両脇の手すりを掴んだまま、左右の腕を伸ばしていき、
精一杯に低く屈んだ。
そして、次の瞬間、
えいやっ・・・と勢いをつけ、伸び上がり、
ジャンプすると、
一気に、バスのステップに飛び乗った。
私は、更にステップを1段登り、
そこで少年の様子を見ていた。
少年は、
ふぅ・・・と、短く息を吐いた。
すぐに顔を上げ、私を見ると、
それから、不機嫌そうに言った。
「後ろの人が待ってるよー?」
座席は、既に半分くらいが確保されていた。
埋まっているのは、
主に、向かって右側のシートだった。
何人かが、シートの前で横を向いて立ち、
自分の荷物を上の棚に乗せている。
逆に左側のシートは、そのほとんどが空いていた。
窓から見える景色の差だろう。
右側のシートは諦めた方が良さそうだ・・・。
そう思いながら車内の通路を進んでいくと、
奥の方から女性の声が聞こえた。
「こっちー」
目を向けると、
小さなリュックを背負った女性が通路の奥に立ち、半身の体勢で振り返り、
こちらの方を見ていた。
すぐに、私の斜め前の、
右側のシートに座っていた、ふたりの女性が、
少しだけ腰を浮かせて、バスの奥を振り返った。
膝上のリュックが、ずり落ちないよう、
片手で抱えている。
「ここ、みんなで座れるよー」
奥の女性は、
もう一度そう言って、手招きをした。
ふたりの女性は、
それを聞くと、リュックを持って立ち上がった。
私の目の前の通路に出ると、
そのまま奥のシートに、いそいそと移動していった。
ちょうど良かった。
そう思いつつ、ふたりの女性の後ろ姿を見ていると、
その先に、
ひとりの男性が、こちら向きで立っていた。
厚手のチェックの長袖を着た、やや恰幅の良い中年の男性で、
髪はパンチパーマ。
鼻の下に、短めの黒いヒゲを蓄えており、
いかめしい顔つきで、私を見ていた。
そのまま横にずれ、脇のシートに入り、
歩いてくる女性たちをやり過ごし、
またすぐに通路に戻った。
じっと、こちらを見ている。
仕方ない。
私は、その男性に向かって、
空いたばかりのシートを、片手で促す。
すると男性は急に慌てだし、
滅相もない、といった表情になり、
顔の前に立てた手を、左右に細かく激しく振って、
それから、その手で、
どうぞどうぞ、と促した。
私が軽く頭を下げると男性は笑顔になり、
片手を上げ、
そのまま、左側のシートに入っていった。
見た目とのギャップが、私は少しだけ可笑しかった。
男性に譲ってもらったシートの真横まで来た。
後ろを振り返って、片手で促し、
先に少年を座席に通す。
少年は、体を横にして入っていき、
奥の方の、窓際のシートの前に立ち、
勢いをつけて、ドスンと座った。
私も少年に続き、通路から横に入る。
そして、自分の黒い通勤カバンを上の棚に乗せ、
シートに、ゆっくりと腰掛けた。
レバーを引き、少しだけ背もたれを倒す。
天井を見上げ、一息つく。
少年は、今は窓から外を見ているようだ。
こめかみの辺りを窓ガラスに押し付け、
そこから下の方を、熱心に覗き込んでいる。
私は車内前方の、天井近くのデジタル時計に目を向けた。
《11:26》
あと14分か。
時と分の間の、1秒周期のコロンの点滅を、
そのまま、何となく見ていると、
やがて、座っているシートが揺れ始めた。
私は顔を横に倒して、隣を確認する。
少年が、
座ったまま、
シートの上で、ボヨンボヨンと小さく弾んでいた。
私は、
少年の、その様子を、
顔を横に倒したまま、しばらく眺めていた。
立山黒部アルペンルートの高原バス(美女平と室堂間のバス)のステップは、
ネットの画像で確認してみたところ、実際はそれほど高くなさそうでした。
多分、子供でも普通に乗り込めます。




