211.お母さんの話の続きです
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│ お母さんの話の続きです。
│ 「お父さんの家に初めて電話をかけるとき、
│ すごく緊張してたのを今でも覚えてる。
│ 持ってきたメモを電話の脇に置いて、
│ それを見ながら一度深呼吸して、
│ 受話器に手を置いたあと、また深呼吸して・・・。
│ 念のため、
│ お父さんじゃなくて、お父さんの家族の人が出たときのセリフや、
│ その家族の人に用件を訊かれたときの答え方を、頭の中で何度か確認して、
│ そうして、意を決して受話器を持ち上げ、
│ ドキドキしながらダイヤルを回し始めたんだけどね、
│ 指を浮かせて、
│ そのダイヤルが、ジー・・・って戻ってくるのを待ってる途中で、
│ あれ?、
│ いま本当にこの番号を回したんだっけ、って急に不安になっちゃって・・・。
│ で、
│ 手で受話器の台を押さえて、そのまま何度か深呼吸。
│ ふたたび気合を入れ、
│ 押さえてた手を離して、
│ 最初の番号から、ジーコ、ジーコ・・・って、
│ そうやってね、何回やり直したか分からないわ。
│ 結局、5分くらいかかったんじゃないかしら。
│ 正直、ちょっと後悔してた。
│ その場の勢いで、
│ つい、直感的にあんなことを口走っちゃったけど、
│ やっぱりやめときゃ良かったな・・・って。
│ なんで言っちゃったんだろ・・・って。
│ メモにある電話番号の、ラストの数字に目を向けたあと、
│ ダイヤルをゆっくりと回していって、
│ 目的の数字で指を止めたまま何回か深呼吸し、気を落ち着け、
│ それから指を離して、
│ ダイヤルが戻っていって、止まって、
│ 耳に受話器を押し当てたまま、静かに待っていると、
│ 呼び出し音が鳴った瞬間、誰かが出たわ。
│ “もしもし、
│ △△ですけど・・・”
│ お父さんの声だった。
│ でも、
│ 一応、確認しておかなきゃ・・・って思って、
│ だから、
│ 私の名前を告げたあと、
│ 電話の相手がお父さんかどうか確かめようとしたんだけどね、
│ その名前がなかなか出てこなくって。
│ あ、そう言えばメモに・・・って、
│ ちょっとしてから気が付いて、
│ それを見ながら、慌てて確認してみたら、
│ “あ、
│ はい、オレです。
│ えと、ご、ご用件は・・・”って返ってきてね。
│ ご用件?
│ ・・・あれ? なんだっけ?
│ そもそも、
│ 今、なんで電話をかけてるんだっけ?・・・って、
│ 私、
│ もう、すごく焦り始めちゃって・・・。
│ で、少し遅れて、
│ あ、自己紹介をするんだった・・・って思い出したのは良かったんだけど、
│ “あの、私の名前は・・・”って始めちゃったのよ。
│ それ、もう昨日やったじゃないの・・・って心の中で悪態つきながら、
│ 通ってる高校のことを話して、
│ 夏休みまで所属してたソフトテニス部のことを話して、
│ あとは・・・、
│ あぁ、そうそう、
│ 自分の住んでるところの話をした気がする。
│ 昔と比べて車の数が増えてきて、そのせいで広い通りの近くは排ガスがすごくて、
│ 新しいまっすぐな道路が次々と敷かれ始めて、
│ それで、
│ 住宅地や団地がどんどん作られて、学校や公園も増えて、
│ 近所に、ファストフードのお店やコンビニがオープンして、
│ 少し遠い場所だけど、
│ 輸入盤も扱うレコード店の入っているショッピングセンターが出来て、
│ 駅前でも、何かの大きな建物の建設工事をずっとしていて、
│ 何か、段々と街っぽくなってきてるけど、
│ でも、
│ ちょっと歩くと、すぐに田んぼや畑ばっかりになってしまって、
│ 他には何も無くて、
│ そっちの方は、まだまだ田舎のまま・・・ってこととか、
│ 夏になると川で花火大会があって、浴衣を着た人がたくさん集まってくる・・・とか、
│ ちょっと離れた場所を駅伝のコースが通ってて、今年もテレビにチラッと映ったと思う・・・とか、
│ 多分、そんな感じね。
│ とにかく、
│ 話が途切れないように考えつつ、必死になって電話で喋り続けた記憶があるわ。
│ でね、
│ あ、そろそろお父さんの話も聞かなくちゃ・・・と思って、
│ そっちは、どんなところなんですか?・・・って訊こうとしたんだけど、
│ それだと、お父さんの高校の話が飛ばされちゃう気がして・・・。
│ でも、かといって、
│ じゃあ、代わりになんて言ったら良いのか・・・思い付かなくて、
│ 沈黙が続いてしまってね、
│ で、
│ 結局、少ししてから、
│ “私の自己紹介は終わりです”って言ったの。
│ そしたら、
│ “あ。えと、
│ ・・・ごめんなさい、オレの番ですよね。
│ そ、その、
│ ちょっと緊張してて”って返ってきて、
│ それで私、気が付いたの。
│ あ、お父さんを責めてるみたいな言い方だった・・・って。
│ もう少し気の利いた言い方にすれば良かった・・・って反省してたら、
│ ちょっと間があってから、お父さんの自己紹介が始まった、
│ ・・・私と同じように、まずは自分の名前からね。
│ もう、すごく恥ずかしかったわ。
│ それでね、
│ そのときのお父さん、
│ 自分の通ってた高校のこととか、頑張って喋ってくれたと思うんだけどね、
│ 私、ぜんぜん覚えてないの。
│ お父さんの話の合間に相槌を打つので精一杯だったわ。
│ あ、でも、
│ イノシシの話だけは覚えてる。
│ たまに、山から下りてきたイノシシが里に入ってきて、
│ で、ちょっと前も、
│ 学校帰りの小学生たちがウチのチャイムを鳴らしてくれて、
│ 裏の畑がそのイノシシに荒らされていることを報せてくれた・・・だったかな?
│ 私、
│ 野生のイノシシになんて出会ったことなかったから、少し驚いちゃったわ。
│ え、出るんだ・・・って。
│ でね、
│ そうやって色々な話をしてくれたと思うんだけどね、
│ なんか、気付いたときにはもう終わってたの。
│ ふたりとも黙ったままになってて、無言の状態が続いてて、
│ 段々気まずくなってきて・・・。
│ それで私、
│ “あ、
│ 寒いし、そろそろ切りますね。では”って言って、受話器を置いたの。
│ はぁ・・・って、ため息をついて、
│ で、
│ メモを持って自分の部屋に戻ろうとして、
│ あっ、しまった・・・って思った。
│ 明日の電話をどうするか、言ってなかった・・・って。
│ 正直、ちょっと迷ったわ。
│ 少しの間、
│ 和室の電話台の前で、じぃっと考えてた。
│ でもね、
│ 仕方ないから、電話をかけることにした。
│ 受話器を取って、
│ その脇に置いたメモを見つつ、
│ ダイヤルを、ジーコ、ジーコ・・・って回していって、
│ そうして、再びお父さんの家に電話をかけたの。
│ 呼び出し音が鳴って、すぐに、
│ “もしもし、△△ですが”って、お父さんの声が聞こえたわ。
│ 私、自分の名を告げたあと、
│ “さっき訊き忘れてしまったんですけど、
│ 明日も同じ時間に電話して大丈夫ですか?”って尋ねた。
│ “あ。
│ はい、大丈夫です。
│ えと・・・、
│ おやすみなさい、また明日”
│ “・・・。
│ おやすみなさい、また明日”
│ 受話器を置いた私は、
│ 少ししてから大きくため息をつくと、
│ 2階の自分の部屋に戻って、メモをまた机の抽斗に戻して、
│ そのあと、リビングに向かったわ。
│ コタツに入って、
│ 心の中で散々愚痴ってた。
│ 何よ、
│ こっちだって緊張してるんだから、
│ もっと色々気を遣って話をリードしてくれても良いのにさ。
│ だいたい、
│ ご用件は・・・って、
│ そんな始まり方、ある?
│ ムードのムの字もないじゃん。
│ あーあ、もう・・・。
│ でね、
│ 再び、大きくため息をついたら、
│ テレビのツマミに手を伸ばしてた弟が、こっちを振り返って訊いたのよ、
│ “あれ?
│ 姉ちゃん、観てた?”って。
│ “え? あ、
│ ごめんごめん、違うの。ちょっと考え事してただけ・・・。
│ 変えていいよ”
│ “・・・もしかして、さっきの電話?”
│ “うん”
│ “誰と話してたの?”
│ “・・・M県の人”
│ “え? なんで?
│ なんでそんな遠いところの人と話してたの? 知り合い?”
│ “・・・うん、
│ まぁ、そんなところ・・・”
│ “僕、
│ 受かった大学の先輩か先生かな、って思ってた”
│ “え、どうして?”
│ “だって、
│ さっきトイレに行ったときに少し聞こえたんだけど、
│ 姉ちゃん、自分の高校のことを敬語で頑張って説明してたし、
│ それに、
│ なんか、すごく緊張してたみたいだし・・・”
│ それ聞いてね、
│ 私、
│ また、大きくため息をついたわ。
│ 腹立たしかったし、
│ 明日のことを考えると憂鬱だった。
│ なんで、また電話をかける、って言っちゃったんだろう・・・って思った。
│ でも、
│ そのとき、ふと頭を過ったのよ、
│ お父さんの、一生懸命に事情を私に説明してくれてる様子と、
│ その声が。
│ 私、
│ 少しして、息をひとつ吐いた。
│ そして、
│ よし、明日も頑張ろ・・・って、心の中で気合いを入れて、
│ ゆっくりと後ろの壁に もたれかかった。
│ で、
│ 次は電話でどんなことを話そうか、
│ お父さんに何を質問して、どんなことを話してもらおうか・・・、
│ そんなことを考えつつ、
│ いつものように、
│ 暖かいコタツで弟と一緒にテレビを観て、
│ お祖父ちゃんの帰りと、晩ゴハンの時間を待っていたわ」
│ 続きます。
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