18.「大変お待たせしました・・・」
「大変お待たせしました。
この、タチヤマケーブルカーは・・・」
ケーブルカーが発車すると、
すぐに、案内放送が始まった。
やや割れ気味の、
女性の、大きなアナウンスが、
乗客たちの話し声や、ゴロゴロという車輪の転がる音を押さえ込み、
車内にキンキン響く。
私は、前方の景色に目を向けつつ、
その放送に耳を傾ける。
それによると、この路線は、
全長1300m、高低差は500mにも及ぶらしい。
7分かけて、これから登っていく・・・とのこと。
高校男子の1500mの平均タイムが、およそ6分。
ケーブルカーは、
これよりも短い距離を、より時間をかけてゆっくり登っていくので、
つまりは、
平均的な男子高校生たちよりも、ちょっと遅いことになる。
車両は、
”ケーブルカー”というぐらいなので、
勿論、ケーブルで繋がれている。
そして、そのケーブルは、
この、
斜面を上っていくレールをずうっと辿っていった先、
終点に置かれた巻き上げ機を通り、
その終点から、今まさに下り始めた別の車両に繋がっている・・・とのことだった。
つまり、
その下り車両が斜面を下りてくる力で、私たちの乗る車両は引っ張り上げられている。
なので、
下り車両も、こっちと同じ速度で下ってきているし、
路線のちょうど中間で、
その下り車両とは、擦れ違うことになる。
こういったケーブルカーの方式を、
つるべ式と呼称するらしい。
私は何となく、落語家の顔を思い浮かべた。
ケーブルカーは、トンネルの中に侵入していく。
走行音が途端に大きくなり、はっきりして、
そのゴォゴォという音が、
乗客たちの話し声と車内放送のキンキン声を、あっという間に飲み込んだ。
トンネルの中は、暗くはなかった。
白い蛍光灯が、
右手側の壁面に、一定の距離ごとに設置されており、
辺りを、ぼんやりと照らしていた。
蛍光灯を結ぶ2本の黒い導線が、内壁を這うようにして、
奥へと、ずうっと延びている。
トンネルの幅は、ケーブルカーがギリギリ通れるほどしかない。
大丈夫なのは分かってはいるが、
車両側面の窓の向こう、
すぐ間近に迫ったトンネル壁の、絶え間ない速い流れを見ていると、
少しだけ怖くなってくる。
1分ほどで、トンネルの外に出た。
うるさかった走行音が遠のき、
車内には、乗客たちの話し声だけが戻った。
放送は聞こえない。
もう、止まっていた。
ケーブルカーは、
太陽の、強烈な白い日差しの中を、
ゆっくりと進み、上っていく。
視界の左右に、木々の緑。
色鮮やか。
夏の緑。
僅かに揺れ、
次々に、後方へと流れて。
正面には、
日に照らされた、明るいコンクリートの路面。
山の斜面を、まっすぐ上っている。
ところどころに、木々の形をした影がかかっており、
その中を、
2本のレールと古い階段の道が、まっすぐ向こうへ延びていて、
そうして、
それらの行き着く先の、ずっと上には、
突き抜けるような、澄んだ青空が広がっていた。
雲ひとつ、存在しない。
トンネルの入り口が、再び見えてきた。
さっきよりも幅が広い。
手前で、単線のレールが複線に切り替わっている。
トンネルの奥には、
2つの、小さな白い光。
その光は少しずつ大きくなり、輝きを次第に増していく。
ケーブルカーは、
やがて、
レールの切り替えポイントに差し掛かった。
車体が大きく揺れ、軋む音がギシギシ響くと同時に、
横方向にGがかかる。
私は、
ポールを掴む手に、咄嗟に力を入れる。
程なくして、
トンネル入り口の、暗がりの中から、
窓の付いた、オレンジ色の箱が現れた。
運転室だ。
制帽をかぶった運転士が、ひとり乗っている。
その運転室のあとには、真っ黒い金属のシャーシが続いた。
この真っ黒いシャーシは、先程の車内放送によれば貨車なのだそうで、
ダムの建設時、資材を載せるために利用していたとのことだった。
現在は、
施設改修のための機材や、乗客たちの大きな荷物を運ぶために使われているらしい。
運転室のあとから現れた荷台に目を向けると、
かぶせられた緑色のシートの下に、ザックらしきものが少し見えた。
そのすぐ背後には、
ケーブルカー本体の、大きなフロントウィンドウ。
もう、トンネルの外に出ていた。
乗客は、
あっちは、それほど多くないようだ。
まだ、お昼前なので、
帰る人が少ないのだろう。
カランカラン・・・と、半鐘のような音が響く。
時代劇の火事のシーンでよく耳にする、あの鐘の音。
トンネルから出てきたばかりの下り車両と、そのまま擦れ違っていく。
私たちの乗る、上り車両は、
その後、トンネルに入っていった。
レールも単線に戻り、
内壁の幅も、それに合わせて狭くなる。
トンネルは、奥の方で左にカーブしていた。
出口が見えない。
最初のものよりも、ちょっとだけ長そうだ。
トンネルを抜けた。
眩しい日の光が、私たちを出迎える。
視界の一面が薄く白み、
間もなくして、
後方に流れゆく、緑鮮やかな山の風景へと変わった。
正面には、
鈍色の2本のレールと、
その隣の、苔むした階段の細道が、
相変わらず続いている。
まっすぐ山を上っている。
私は、レールの先を目で辿っていく。
顎を、ちょっとずつ高くしていく。
レールは、
フロントウィンドウの上端よりも更に上、見えない部分へと延びていた。
少しだけ屈んだ私は、
そこから覗くようにして、レールの先を見上げてみる。
ここよりずっと高い位置に、トンネルらしき入り口があった。
まだ遠くにあるため、その姿はとても小さい。
レールは、
階段の道とともに、そこへ延びていた。
私は、屈んだままで、
その入り口を、しばらく眺めていた。
中は真っ暗だった。
何も見えない。
曲げていた腰を伸ばし、姿勢を戻す。
トンネル入り口は、すぐに天井の裏へと隠れてしまった。
次いで、
私は、少年の方に顔を向ける。
少年は、
水平に渡された手すりを両手で掴んで、顔を上に向けていた。
あのトンネルを、じっと見上げている。
私は、少ししてから、
視線を、
フロントウィンドウの向こう側、前方の景色へと戻した。
真っ白いコンクリートの斜面。
一対のレールと、それに寄り添うようにして延びている階段の道。
車内放送が、いつの間にか再開していた。
登山のマナーについての話をしているようだ。
高山植物の扱いとか、ゴミの持ち帰りとか、
そんな話をしている。
そして、
皆様のご協力をお願いします・・・と、一区切り付けたあとだった。
「ウツクシダイラに到着しました。ご乗車ありがとうございました」
あぁ、
あれはトンネルではなく、駅の建物だったのか。
私は、車内のポールに掴まりつつ、
次第にこちらへ近付いてくる、駅の建物を見上げていた。
もう、屈む必要も無かった。




