197.台所に、再び沈黙が訪れ
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│ 台所に、再び沈黙が訪れ、
│ 聞こえてくる音が、外で鳴く虫の声だけになりました。
│ ワタシは下を向き、
│ テーブルの手前と膝上で握った自分の手を、ずっと見ていました。
│ お父さんの顔は、怖くて見れませんでした。
│ 少ししてから、
│ ワタシは、唾を飲み込みました。
│ ごくん・・・って喉が鳴って、
│ また、聞こえる音が虫の声だけになりました。
│ 重苦しい時間が流れました。
│ 「・・・びょ、病院にはもう行ったのか?」
│ お父さんが、
│ しばらくしてから、そう訊きました。
│ ワタシは、
│ 下を向いたまま、「うん・・・。」って返し、
│ 「今日、
│ お母さんと一緒に行ってきた・・・」って言いました。
│ すぐにお父さんが言いました。
│ 「母さんと?
│ おいおい、オレは何も報されてないぞ。
│ どうして父さんだけ、のけ者――」
│ そのお父さんの言葉を遮り、お母さんが言いました。
│ 「私もね、
│ 今日の午前中にね、ウサギに初めて聞かされたのよ、
│ 妊娠してるかもしれない・・・って」
│ 「そ、そうなのか・・・」
│ 「そう。
│ でね、ちょっと確認してみたら、
│ この子、病院にはまだ行ってない・・・って言うじゃない。
│ だったら、
│ 妊娠した・・・って、まだ決まったわけじゃないし、
│ すぐに病院に行って、先生に診てもらわないと・・・ってことで、
│ それでこの子に病院に連絡させて、
│ 午後に、ふたりで行ってきたの」
│ 「なら、
│ 行く前にひと言ぐらいオレにも・・・、」って口にしたお父さん、
│ そこで、ため息をひとつつきました。
│ そうして、
│ 「まぁ、
│ それを言われたところで、
│ 会社にいるオレには、確かにどうしようもないか・・・」って続けて、
│ それから、
│ ワタシに訊きました。
│ 「ウサギ、
│ で、病院の先生に診てもらった結果は・・・、
│ あぁ、そうか、
│ 妊娠してたんだな? そうだな?」
│ ワタシは、
│ 「うん・・・」って返しました。
│ 間がちょっとありました。
│ お父さんの声が聞こえてきました。
│ 「・・・おめでとう」
│ ワタシは、
│ また、
│ 「うん・・・」って返しました。
│ お父さんが尋ねました。
│ 「それで、
│ 妊娠は、いま何週目ぐらいなんだ」
│ ワタシは答えました。
│ 「だいたい、
│ 7週目くらい、かな・・・」
│ 「そうか・・・。
│ で、お前はどうしたいんだ。相手の・・・、」って口にしたお父さんは、
│ 「あぁ、そうか・・・、」って言って、
│ 少し笑って、
│ それから、更に続けました。
│ 「ごめんごめん、うっかりしてたよ。
│ 妊娠してる、って突然言われちゃったもんだから、
│ 父さん、驚いちゃってさ、
│ 肝心なこと訊くの忘れてたよ。」
│ ワタシは、
│ 膝上の手を固く握り締めました。
│ お父さんが尋ねました。
│ 「それで、
│ 相手の男はどんな人なんだ?
│ 名前は?」
│ 「・・・」
│ 「ん? どうした?
│ 名前は?」
│ 「・・・〇〇さん」
│ 「下の名前は?」
│ 「××」
│ 「そうか、××くんか。
│ それで、その××くんはどんな人なんだ?
│ 高校の同級生か?」
│ 「あ、えっと、
│ ちょっと年上の人で、その・・・」
│ 「年上って、何歳だ?」
│ 「27」
│ 「27か・・・。
│ ちょっと離れすぎな気がするけど、
│ まぁ、でも、
│ 今の時代だと、割と普通のことなのかな・・・」
│ 「・・・」
│ 「その年齢だと、
│ たぶん、大学生じゃないんだよな?
│ ・・・職業は?」
│ 「職業、って言うか、
│ 普段は、その、色々なところでバイトしてて・・・」
│ 「・・・派遣か?」
│ 「うん・・・」
│ 「父さん、
│ 派遣だからどうこうってことをあまり言うつもりもないけれど、
│ でも、
│ 将来的には、何かしらの決まった職に就いてほしいな。
│ なるべく、だけどな。
│ そっちの方が、やっぱり親としても安心できるからな」
│ 「・・・」
│ 「で、
│ ウサギと××くんは、どうしようと思ってるんだ?」
│ 「・・・」
│ 「大丈夫だよ、怒ったりしないから」
│ 「・・・」
│ 「ほら、言ってみなさい。
│ どっちの答えだったとしても、
│ 父さんも母さんも、
│ できるだけ、ウサギと××くんをサポートするから。
│ 約束する。
│ だから、
│ ほら、言ってみなさい」
│ 「・・・いなくなったの、〇〇さん」
│ 「は?
│ ・・・えっと、」
│ そう言ったきり、お父さんは黙ってしまいました。
│ 台所は、
│ また、静まり返りました。
│ 外で鳴く虫たちの声だけになり、
│ 少ししてから、お父さんの声が聞こえてきました。
│ 「ごめんな、ウサギ。
│ 父さん、
│ どうしても、悪い方に悪い方に考えちゃってさ・・・」
│ 「・・・」
│ 「××くんがいなくなった・・・って、
│ さっきウサギ、そう言ったよな?
│ それって、
│ いったい、どういうことだ?」
│ 「・・・」
│ 「連絡も無しに、
│ 勝手にどこかへ消えた・・・ってことか?」
│ ワタシは、
│ 下向いたまま、小さく頷きました。
│ お父さん、すぐに訊きました。
│ 「いつだ?」
│ 「・・・多分、
│ 一昨日くらい、だと思う」って返しました。
│ 「多分?
│ なんで多分なんだ」
│ 「・・・えと、
│ 一昨日の夕方ね、
│ ワタシ、調子が悪くて家で寝てたんだけどね、
│ そしたら、
│ 〇〇さんのアパートに友達が行って、様子――」
│ 「なんで急に友達が出てきた」
│ 「あ、えと・・・、
│ 友達にはね、
│ もともと、ワタシの妊娠のことで色々と相談に乗ってもらっててね、
│ それで・・・」
│ 「・・・それで、
│ 一昨日の夕方、
│ お前の友達が××のアパートに行って、それからどうなったんだ」
│ 「・・・」
│ 「どうなったんだ!」
│ 「・・・えと、
│ 呼び鈴を押しても反応がなくて、
│ だから、
│ 外に回って、アパートの部屋を見上げてみたら、
│ 前の日には窓にあったカーテンが、そのときには外されてて、
│ 部屋の明かりも――」
│ 「引っ越して逃げたということか!」
│ 「え、えと、
│ その、・・・多分」
│ 「妊娠した途端、お前を捨――」
│ お父さんは、
│ そこで、思いっきりテーブルを叩きました。
│ 物凄い音がして、
│ シーンとして、
│ また、虫の鳴き声だけになって、
│ 少ししてから、コップの割れた音が聞こえました。
│ 台所に、お父さんの大声が響きました。
│ 「ふざけるな!!!」
│ 続きます。
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