184.行く病院については
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│ 行く病院については、
│ 予め友達とネットで調べてあって、決めていたところがあったのですが、
│ そこはやめて、
│ お母さんの勧めてくれたところにしました。
│ そこは、
│ ワタシの家から少し歩いたところにある、古い病院でした。
│ 小さい頃、敷地の前を何度か通ったことがあります。
│ 院長先生が女の人で、
│ 診察のとき、いつも親身になって話を聞いてくれるそうです。
│ 昔、誰かからそう聞いた・・・って、
│ お母さん、ワタシに説明しました。
│ 本音を言えば、
│ ワタシとしては、もう少し遠くの方が良かったです。
│ 病院を出入りするときや待合室にいるとき、
│ 知ってる人に顔を見られそうで、ちょっとイヤでした。
│ ただ、それをお母さんに言い出せませんでした。
│ リビングに行ってたお母さんが、
│ 電話の子機を耳に当てて、こっちに戻ってきました。
│ 台所に入ると、
│ その、当てていた子機をワタシに差し出し、
│ 「はい、これ。
│ 今、呼び出し中だから」って言いました。
│ 子機を受け取ったワタシは、
│ それを自分の耳に当てました。
│ 電話の呼び出し音が、繰り返し繰り返し鳴ってました。
│ 心臓バクバクでした。
│ ちゃんと喋れるかどうか、不安でいっぱいでした。
│ 落ち着かなきゃ・・・って思って、
│ 無理に深呼吸しようとしました。
│ でも、
│ 吸う息も吐く息も震えてて、上手くできませんでした。
│ 病院の人は、なかなか出ませんでした。
│ 待ってる最中、ふと思い付き、
│ お母さんに、
│ 「一応、お父さんにも報せてからの方が・・・」と訊きました。
│ お母さんが言いました。
│ 「いま報せたって、
│ 会社にいるお父さんにはどうしようもないわよ。
│ だいたい、たとえ報せたとしても、
│ お父さん、
│ “なら、
│ すぐに病院に行って、先生に診てもらえ”って、
│ 多分、そう言うわよ。
│ どっちにしろ、行くことには変わりないわ。
│ それに、
│ お父さん、
│ 変に心配しちゃって、仕事に集中できなくなっちゃう。
│ 言うのは、
│ お父さんが帰ってきてからにしましょ」
│ 「・・・」
│ ワタシは、
│ お母さんの顔を、そのまま見ていました。
│ 少ししてから下を向きかけたとき、
│ 電話の向こうで鳴っていた呼び出し音が、急に途切れました。
│ 「はい、○○産婦人科です。
│ 大変お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。
│ ご用件はなんでしょうか?」
│ ワタシは、慌てて話し始めました。
│ 「あ、あの、
│ ワタシ・・・、
│ え、えと・・・。
│ あれ?、なんだっけ・・・、
│ えと、えと・・・。
│ あ、すみません、
│ さっきまでは、確か、覚えてたはずなんですけど・・・。
│ えと、
│ その、ちょっと・・・。
│ あ、あぁ、
│ すみません、またあとで かけ直します。
│ ごめんなさい」
│ すると、
│ 病院の人が言ってくれました、
│ 「緊張なさってるんですね?」って。
│ 「あ・・・、
│ は、はい! そうです!
│ ワタシ、今すっごい緊張してます!
│ 上手く喋れなくて、ごめんなさい・・・」
│ 「いえいえ、大丈夫ですよ。
│ そういう人、
│ ときどき、いらっしゃいます。
│ あなただけじゃないですよ。
│ では、
│ ご用件については、
│ 話しやすいよう、こちらからいくつか質問させて頂き、
│ それに答える形で伺うのはどうでしょう?」
│ 「あ、はい!
│ お願いします! すごい助かります!」
│ 「慌てる必要はありませんからね。
│ 落ち着いて、ゆっくりお答えになって下さい。
│ たとえ間違えて答えてしまっても、
│ あとで訂正して頂ければ大丈夫です。
│ それと、
│ 分からない質問がありましたら、
│ 正直に、
│ 分からない・・・と、お答えになってください。
│ 無理して答える必要はありませんので。
│ ここまでは宜しいでしょうか?」
│ 「あ、はい。
│ 大丈夫です、ありがとうございます」
│ それからは、
│ 病院のスタッフの人に色々と質問してもらって、
│ ワタシは、
│ それに、ひとつひとつ答えていきました。
│ 「・・・だいたい分かりました。ありがとうございます。
│ では、これが最後の質問になります。
│ 診察のご予約は、いつにいたしましょうか。
│ ご予約なしで当院へ直接お越しになって頂いても構いませんが、
│ ただ、その場合、
│ 混み具合によっては、
│ かなりの時間、待合室でお待たせしてしまうかもしれません」
│ 「えと、あの、
│ ワタシ、できるだけ早い方が良くて・・・。
│ 今からそっちに言って、
│ 待合室で待ってるのが早いんでしょうか?」
│ ワタシがそう訊くと、
│ スタッフの人が、
│ 「それでも構いませんが、
│ 先程、午後の予約にキャンセルがひとつ出ましたので、
│ その時間に予約を入れて頂くのはどうでしょう?
│ えーと、ちょっと待って下さいね、
│ 一応、確認しますので。
│ ・・・あぁ、空いてた空いてた。
│ 時間は・・・」って、時間を教えてくれました。
│ ワタシは、すぐに言いました。
│ 「あ!
│ じゃあ、その時間にします!
│ その時間に予約します!」
│ 「分かりました。
│ では、予約を入れさせて頂きますね」
│ そのあと、そのスタッフの人に、
│ 診察にかかる費用の目安、
│ 持っていくもの、どんな服装がいいか、
│ 向こうで訊かれるので答えられるようにしておいてほしい質問、
│ 気を付けて欲しいことなどを教えてもらい、
│ それらをメモしたワタシは、
│ お礼を言って、通話を切りました。
│ 子機をテーブルに置いて、
│ 座っているイスの背もたれに寄り掛かりました。
│ ホッと息をつきました。
│ 向かい側のお母さんが言いました。
│ 「お疲れさん。
│ 予約入れられて良かったわね。
│ どうだった?」
│ ワタシ、すぐにお母さんに言いました。
│ 「うん!
│ 電話の人、すっごい いい人だった!
│ お母さんの教えてくれたところにして良かった。
│ ありがとう」
│ 「そう、
│ なら良かったわ。
│ ほら、入れといたわ」
│ 顔を少し上げると、
│ 麦茶の注がれたグラスが、いつの間にか近くに置いてありました。
│ ワタシは、顔を俯けました。
│ 首を振ってから、言いました。
│ 「ごめんね、
│ 多分、飲めないと思う・・・」
│ お母さんが訊きました。
│ 「ツワリ?」
│ 「多分・・・」
│ 「じゃあ、
│ ・・・ちょっと待ってなさい」
│ そう言いながらお母さんは立ち上がり、食器棚の前へ行き、
│ それから、
│ 冷蔵庫の方へ歩いていきました。
│ そして、
│ 少ししてからこっちを振り返り、近くに来て、
│ 持っていた小皿をワタシの前に置いて、言いました。
│ 「ほら、
│ これなら、もしかすると大丈夫だから」
│ 見ると、
│ 小皿の上に、
│ 氷がひとつ、載ってました。
│ 「・・・え?」
│ そう言って、お母さんを見上げると、
│ お母さんが言いました。
│ 「ツワリで水が飲めなくても、氷なら大丈夫・・・って人、
│ 結構いるのよ。
│ 試してみたら?」
│ ワタシは、
│ 小皿の氷を指で摘み、匂いを嗅いで、
│ それから、
│ 恐る恐る、口の中に入れてみました。
│ ちょっと冷たかったけど、大丈夫でした。
│ 乾いてた口に水分が沁み入り、体中に行き渡っていくのを感じました。
│ 生き返ったような気がしました。
│ そのまま、
│ 少しの間、氷を舐めていると、
│ 自然と泣けてきてしまいました。
│ お母さんが言いました。
│ 「ほら、2階に戻って休んでなさい。
│ 行く時間になったら、起こしてあげるから」
│ ワタシは鼻をすすって、目元を手で拭ってから、
│ 静かに頷きました。
│ そのままイスから立ち上がって、
│ メモを持って、2階の自分の部屋に戻りました。
│ 続きます。
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