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Summer Echo  作者: イワオウギ
17/289

17.ケーブルカーの車内は

ケーブルカーの車内は、

ハイキングらしい身なりの乗客たちで、混み合っていた。

座席は全て埋まっているらしく、かなりの人が立っていた。


「上の方に行ってみてもいい?」


少年が私の顔を見上げ、尋ねた。


上の方・・・と言うのは、車両の先頭のことだ。

このケーブルカーの車体は、

全体的に、外の階段と同じ角度で傾斜しており、

車内の床は、階段になっていた。

要するに、車体を真横から見ると、

天井と床が斜めに傾いた、平行四辺形のようなフォルムをしていた。

私と少年の今いる場所は、車両の最後尾の辺り。

つまり、車内階段の下の方にいる。

先頭までは、

また20段くらい上る必要がありそうだった。


「あぁ、いいよ。

 一緒に上に行こう」


私がそう返すと、

少年は、階段の方に向き直した。

上の方をじぃっと見て、

それから顔を下に向け、前へ進み出る。

息をひとつ吐き、1段めに足を乗せると、

人の隙間を縫うようにして、そのまま車内階段を上っていく。

私も体を横にし、少年のあとに続く。

階段は思ったより段差があり、

それに加え、1段1段の奥行きもそれほどないため、

少し上りにくい。

足元に注意しつつ、

ときどき顔を上げ、途中に立つ乗客たちの隙間を確認しながら、

私は、慎重に階段を上っていく。



車両の先頭は、6、7人が横に立ち並び、

壁が出来ていた。

皆、

車両前方の、外の景色を眺めている。

その人壁の奥の、中央には、

運転士が、ひとり立っていた。

黒い制帽に、白い半袖カッターシャツ。

改札口の駅員と、同じ格好。

背中をこちらに向け、

発車の時間を、静かに待っている。


このケーブルカーには、

どうやら運転室は無いらしい。

代わりに、

車両先頭の中央には、

四隅を金属製のポールで仕切られた、狭いスペースが設けられていた。

そこの足場は、

周囲の床より、1段高くなっていて、

運転士は、その上に立っている。

目の前にフロントウィンドウが迫っていて、

手元の辺りには、

針のついた計器類が、いくつか並んでいた。

イスは見当たらない。

運行中、運転士は立ちっぱなしのようだ。


その、運転スペースの幅は約1mで、

両脇の、車両側面との隙間は、

乗客が自由に立ち入れるようになっていた。

つまり、そこに立てば、

乗客たちも、運転士と同じ景色を見られるようになっていた。



少年が人垣の後ろに立ち、

その隙間から、

ケーブルカー前方の、外の景色を覗いていると、

不意に、

人垣の左端、運転スペースの左脇に立つ、腕組みをした男性が、

少年の方へ顔を向けた。

紺色の野球帽に、同じく紺色のダウンジャケットで、

髪は白く、短い。

色黒の顔に、深くシワが刻まれていて、

口の周りには、

白い無精髭が細々(こまごま)と生えている。


「おっ、坊主。こっち来るか」


その、初老の男性が声をかけた。

少年は、顔をそちらへ向けた。

男性の顔を、黙って見上げている。


「ほら、早く来いよ」


男性は右足を引き、体を少しだけ横に開いて、

スペースを作ると、

そこへ、

2、3回、手招きした。

少年は、

ひと呼吸置いてから、そちらへ足を向けた。

男性の、横向きになった体の前に入り、

最前列に立つ。

少年のすぐ目の前には、大きなフロントウィンドウ。

床から天井近くまでガラス張りになっており、

背が低い子供でも、

外の景色が、よく見えるようになっている。


「坊主、ここに(つか)まりな」


初老の男性はそう言って、

少年のヘソの高さにある、窓に水平に渡された棒状の手すりを指差した。

タオルを干すのに、ちょうど良さそうな、

そんな形状をしている。

少年は、その手すりを上から両手で握り込むと、

左右の肘を伸ばして腕を突っ張り、

背伸びをし、

手すりに乗っかるような体勢になった。


「こら坊主、危ないぞ」


すかさず、男性の注意が入った。

少年は、すぐ(かかと)を下ろした。

私は、男性の斜め後ろに立ち、

声をかける。


「譲って頂いて、すみません」


男性は、こちらを振り返った。

私を見て、ニカッと笑う。


「良いってことよ。

 あんちゃん若ぇけど、息子か?」


「いえ、

 そういう訳では・・・」


「じゃ、従弟(いとこ)か何かか?」


「えぇ、まぁ・・・」


言葉を濁した。


「可愛い坊主じゃねぇか。これからどこ行くんだ?」


「クロバダムです」


「あぁ、クロヨンか」


・・・クロヨン?


会話の流れ的に、

多分、クロバダムの愛称みたいなものだろう。


「えーっと・・・、

 はい、そうです」


「これから、そこで仕事か?」


男性は、私のスーツ姿と通勤カバンを見て言った。


「いえ、仕事はもう終わりました。観光です」


「そら確かに、こんな小せぇ子を連れて仕事はねぇわ」


笑顔になり、そう言った。


「でも、観光にスーツも無いですよ」


そう返すと、

男性は額にシワを作って、大きな声で笑った。


「あんちゃん、見かけによらず面白ぇじゃねぇか」


「はい、よく言われます」


厳密には、たまに・・・なのだが、

私は何となく、こう返した。


ひとしきり笑った初老の男性は、


「そうかそうか。

 ま、ゆっくり楽しんでいき」


と言って、フロントウィンドウの方へ向き直し、

そこの、肩ぐらいの高さに渡された手すりを掴むと、

外の景色を眺めた。

私も、

目の前に並ぶ、人垣の頭の間から、

そちらを眺めることにする。


ケーブルカーの正面には、

車両の通り道にあたる、コンクリートで舗装された路面が、

奥へと、まっすぐ上っていた。

その路面の上には、

(にび)色のレールが2本、敷かれており、

すぐ右隣には、

横幅が大人ひとり分ほどの、階段の細道があった。

階段はガタガタで、ボロボロで、

ところどころ、苔で緑色になっている。

年季が、かなり入ってそうだ。

それらの、2本のレールと階段の細道は、

少し先にあるトンネルの、

馬の蹄鉄のような形の、真っ黒い入り口の中へと続いていた。


路面の左手側には、高い石垣がそびえていた。

ケーブルカーの通り道に沿うようにして、

トンネルのところまで、ずっと続いている。

石垣の上に目をやると、

そこには、

緑葉を茂らせた木々が、たくさん生えていた。

路面の反対側、右手側に目を向けると、

そちらには、

谷へと下っていく、斜面がずっと延びていた。

私の足元より低いところで、森の木々の葉が揺れている。



「坊主、いくつだ?」


初老の男性が、トンネルの方を見上げたまま、

自分の顔のすぐ下にいる少年に訊いた。


「じゅういちー」


少年は、

額を窓に擦り付け、下の方を覗き込みながら答えた。


「ってことは、

 小学・・・えっと、今5年か?」


「ううん。

 僕、6年だよ」


「そっかそっか。

 背ぇちっちぇから、もっと若ぇかと思ったよ」


「僕、学校で2番めに・・・」


少年が言いかけたところで、車内アナウンスが流れ始めた。

プシュー・・・という蒸気音とともに、ドアが閉められ、

それに合わせて、車内が静まり返る。


少年は額を窓から離し、

正面に続く、2本のレールの行き先を見上げた。

心なしか、少し緊張しているように見える。

乗務員は無線で、何かの確認をしている。

落ち着いた声。

(よど)みない。

もう何千回と繰り返してきた、決まりきったやりとりなのだろう。



ジリリリリ・・・と、ベルの音が車内に響く。

しばらくして、それが止むと、

車のクラクションのような音の警笛が短く鳴らされ、

ケーブルカーが、そろそろと動き出す。

私は、

運転スペースを仕切っている、近くの金属のポールを掴んだ。

車体の振動が、

ビリビリと私の手に、(じか)に伝わってくる。

少年は食い入るように、

窓の向こう側の、動き始めた景色を見上げている。


「坊主、しっかり掴まっとけよ」


少年は、

初老の男性の、その大きな声に、

多分、返事をしたのだろう。

しかし、それは私の耳には届かなかった。

車内には、

今は、ケーブルカーの走行音が大きく鳴り響いていた。

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