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Summer Echo  作者: イワオウギ
IV
169/292

169.森の奥、寂れた神社

森の奥、寂れた神社。

その、人けのない夜の境内。

風はない。

少年の声が何度も響く。


少年は、叫ぶように激しく泣いた。

精一杯に声をがならせ、

体中の力を使って叫び泣いた。

出してる声を途中で(うわ)ずらせ、

何度も揺らし、うねらせ、

感情の為すままに叫び泣いた。

ひと声ひと声、

擦り切れそうなほどに喉を震わせ、声を()らし尽くし、

大きな声で叫び泣いた。

少年が、呼吸のために息を吸うと、

少し遅れ、

周りにいる虫たちの、

それまで隠れていた、細い美しい声が一斉に聞こえ出し、

次の瞬間、

少年が、また大声を出して泣き始めると、

虫たちのその美しい声は、残らず全て掻き消され、

聞こえなくなり、

私の耳に届くのは、

叫びにも似た、少年の大きな泣き声だけになった。


私は、

その少年の激しい声を、ただじっと聞いていた。

前を向いたまま、

表情を変えず、体を少しも強張らせず、

そのまま聞いていた。

あるがままに少年の声を受け入れ、

それを、

ただ自分の心に、静かに響かせていた。

ずっと響かせていた。



少年の大きな声が、

途中で急に、

ゴホッ、ゴホッ・・・と、咳き込んだものに変わった。

少しすると、

鼻をすすり上げる音がし、

そのあと、息を大きく吐く音がした。

虫たちの声の中、

小さく2回しゃくり上げ音と、息を吐く音が、

私の隣で交互に繰り返されている。



「・・・ね、ねぇ」

不意に、少年の声がした。

私は、

顔を前に向けたまま返した。

「どうした?」


「ぼ、僕・・・、

 僕・・・」


「・・・うん」


「ぼ、僕・・・、

 産まれてくるとき、

 お、お母さんを、

 こ、こ、殺しちゃっ――」

「そん――」

声を詰まらせてしまった私は、

すぐに下を向き、

2、3回 咳き込んだあと、顔を上げた。

口を開こうとし、

しかし、途中で顔を(しか)めると、

そのまま、また下を向く。


全て分かった。

全ての風景が、今、繋がった。

背中を丸め、

ひとり、力なく項垂れた姿・・・。

虚ろな顔をして、

自分の足元をいつまでも見ていて・・・。

私の目の前で、

ただ、立ち尽くしていて・・・。

つらい・・・。

苦しい・・・。

胸が、胸が痛い・・・。


私は、

顔を顰めたまま、呼吸を繰り返す。

隣からは、

鼻をすすりながら、肌をゴシゴシ擦っている音。

やがて、大きく息を吐いた音が聞こえ、

再び、

微かに声の混じった、荒い呼吸音が繰り返され、

少ししてから止まって、

また、少年の、

高く(うわ)ずった声が聞こえてきた。

「・・・僕が、僕が産まれてこなければ、

 お母さんは・・・、お母さんは・・・、

 僕の――」

「そん、なことはない」


私は、

下を向いたまま、どうにか声を出した。

顰めた顔のまま目を(つむ)り、少し呼吸を繰り返し、

ひとつ息を吐くと、その表情を元に戻す。

目を開いて、頭をちょっと起こし、

自分の膝先の向こうの、

(ほの)明るい境内の地面に目を向け、

もう一度、

私は、同じことを言った。

「そんなことは、ないんだよ」


「でも、僕が――」

「赤ん坊のキミに、」

すぐに少年の言葉を遮った私は、

そのまま更に続ける。

「赤ん坊のキミに、

 じゃあ、何ができたと言うの?」


「・・・」


「キミのお母さんのお腹の中で、

 どうして知らず知らずのうちにたくさんの血が出ていたのか、私には分からない。

 でも、それがどんな理由であったとしても、

 キミには なんの責任もない。

 だって、

 赤ん坊のキミには、どうしようもなかったのだから」


「・・・」


「目も見えない。

 体も、ほとんど自由に動かせない。

 自分が、

 今、お母さんのお腹の中にいることも分かっていないだろうし、

 そもそも、

 お母さんがどういう存在なのかすら、きっと分かっていない。

 世の中のことを、何ひとつ分かっていない。

 そんな状態のキミが、

 お母さんのことを気遣い、産まれてくるときに注意しながら外に出てくるなんて、

 どう考えたって不可能だ。

 どんな天才児でも できっこない。

 できたら、

 むしろ、オカルトのレベルだよ。

 誰も信じない。

 あり得ない」


「・・・」


「だいたい、

 私の聞いた話じゃ、赤ちゃんは自分の力で外に出てくるわけじゃない。

 お母さんに押し出され、それで出てくるんだ。

 陣痛で大変な思いをしてる中、

 お腹の赤ちゃんが産まれてくることをただ一心に願い続け、

 何回でも必死に いきんで、ね。

 赤ちゃんは何もできない。

 だから、

 お母さんが頑張るんだ、一生懸命に」


「・・・」


「それに、

 子供を産むときの出血って、

 恐らくは、結構 普通にあることなんだ。

 産んだあとだけじゃなくて、

 産んでる最中は勿論、

 その前の、妊娠中の段階でも。

 決して珍しいわけじゃない」


「・・・」


「キミのお母さんのように、

 産んだあと、出血してしまうケースも、

 多分、ときどきあることなんだ。

 少なくとも、そこまで珍しいわけでもないと思う。

 ただ、ほとんどの場合、

 すぐに病院側が気付いてくれて、適切な処置をしてくれて、

 だから、無事なんだと思う。

 私の母親が、もしかしたらそうだったのかもしれないし、

 キミのクラスの人の中にだって、

 母親が自分を産んだあとにそうなった人って、きっといるんじゃないかな」


「・・・」


「キミのお母さんの場合、

 多分だけど、ほんのちょっと運が悪かったんだ。

 色々なことが、

 それぞれ、ほんのちょっと運が悪かったんだ。

 ただ、それだけだよ」


「・・・」


「キミのせいじゃない。

 キミは、何も悪くない」


「・・・」


夜の森の、

湿り気のある、ひんやりとした空気。

土と草、その僅かな匂い。

視線の先には、

ぼんやり照らし出された、淡いオレンジの地面。

燈篭の足が左右に少しだけ見えていて、

それらの向こうは、真っ暗な闇。

辺りには、

バッタたちの、

何百、あるいは何千もの細い声が何重にも重なり合い、響き渡っていて、

そうした中、

隣からは、

鼻を小さくすする音と、息を吐く音が、

今は、

ポツリポツリと、静かに聞こえている。


私は、

しばらくして、少年に訊いた。

「・・・産まれた日、何日だっけ?」


鼻を軽くすすり上げる音がし、息を吐く音が聞こえて、

間があって、

それから、少年の声が返ってきた。

「・・・僕の産まれた日?

 誕生日のこと?」


私は、前を向いたまま頷いた。

「うん、そう。

 2月の、何日だっけ?」


少年が答えた。

「9日。

 ・・・お肉の日」


一瞬、意味が分からなかったが、

しかし、

すぐに顔を下に向けると、思わず息を漏らした。

笑みを浮かべる。


私は、そのまま顔を上げる。

正面を見据えて、少年に言った。

「そっか、

 キミの産まれた日は、お肉の日だったか・・・」


「うん」


「そっか・・・。

 でもさ、

 でも、キミは知ってるのかな。

 多分だけど、

 キミのお母さんにとっては、それは少し違うんだ。

 もっと前のことなんだ」


ちょっと間があり、

声は、それから返ってきた。

「・・・もっと前? 産まれた日?」


「あぁ、えっと、

 ・・・産まれた日と言うか、現れた日かな。

 いや、現れてもないか。

 どう言ったら・・・」


私が思案に暮れていると、

少ししてから、少年が訊いた。

「・・・どういうこと?」


「あぁ、その・・・」


「・・・」


「・・・話、

 多分、かなり長くなるけど、いい?」

私がそう訊くと、

少年は、

一度、小さく鼻をすすってから答えた。

「・・・うん。

 僕の話、聞いてくれたから・・・」


「・・・分かった」

そう返した私は、

視線を少し落とし、両目を閉じた。

辺りで鳴り響く、虫たちの美しい声の中、

私は、

しばし、昔の記憶を呼び起こす。


やがて、

また、目を開けた私は、

顔を上げた。

まっすぐ前を見て、

そうして、

隣の少年に、ひとりで訥々(とつとつ)と語り始めた。

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