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Summer Echo  作者: イワオウギ
IV
168/292

168.キザハシに腰掛ける私の、すぐ隣で

キザハシに腰掛ける私の、すぐ隣で、

ずっと、ポツリポツリと聞こえていた声は、

そうして、そこで途切れた。

ちょっと間があってから、息をひとつ吐き捨てた音がして、

鼻をすすり上げていく音がし、

最後に、そっと、息を吐く音がした。

バッタたちの、細く美しい声が、

夜の森に響いている。

たくさんたくさん、鳴いている。


辺りは真っ暗だった。

暗闇の中、

境内の、手前の地面と、

少し離れたところの左右に立つ、石燈篭の足の部分だけが、

下に置いてあるLEDの淡いオレンジの明かりで、ぼーっと浮かび上がっている。


「・・・そっか、大変だったんだ」

私は、

顔を前に向けたまま、そう言った。


隣で、服のスれる音がした。

肌を何度も擦っている音がし、

鼻をすする音と、息を吐く音がした。


声が返ってきた。

「ん・・・、

 大変だった・・・」


私は言った。

「そっか」


「ん・・・」


「ひとりで頑張ってたのか」


「ん・・・、

 頑張ってた・・・」


「そっか」


「ん・・・」


その返事のあと、

息を大きく吐き出す音が聞こえた。

鼻をすする音がし、

少し間を置いて、

服のスレた音と、肌を何度も擦っている乾いた音。

再び、息を大きく吐き出した音がして、

小さく2回、しゃくり上げる音がし、

すぐさま、息を吐き出した音。

また、服のスれる音がし、

肌を何度も一生懸命に擦っている音。


すぐ隣の、そうした音が、

私の耳に届いていた。

虫たちの、たくさんの細い鳴き声と一緒に、

繰り返し、繰り返し。


私は、ゆっくり顔を俯けた。

自分の膝と、その向こうで組んだ手の辺りに目を向ける。

やがて、

小さく息を吐いた私は、顔を上げた。

息を吸い込みつつ、口を開く。

「イジ――」

「なんで こんな目に遭わなきゃいけないんだ。」


話そうとしたタイミングで、隣から声がした。

私は口を閉じ、そのまま耳を傾ける。


「僕は、何も悪いことをしてないじゃないか。

 オマキがイジメられててさ、

 万引きまでしててさ、

 それで、

 可哀想だな、って思ったから、

 頑張って、先生にこっそり知らせてさ・・・」


「・・・」


「僕だって、本当はイヤだったんだ。

 したくなかったんだ。

 バレたらイヤな目に遭うの、分かってたし・・・。

 絶対みんなにイジメられるし・・・」


「・・・」


「でも、イジメられてイヤな思いをしてる人がいるのに、

 それを見ないフリして、

 知らないフリして助けないなんて、

 そんなの、やっぱり良くないことだと思ったし、

 それに、

 そういうのを見てるだけで、

 なんだか胸が、きゅー・・・ってなって、

 苦しくなって、

 なんか、

 段々と、助けないといけない気分になっちゃって・・・。

 家に帰ってきても、

 夜寝る前だとか、テレビを観てるときとかに、

 ときどき、ふっと頭に浮かんできちゃって、

 その度に胸が苦しくなって、申し訳ない気持ちになって、

 サイテーだな、って・・・」


「・・・」


「あの日の夜、本屋の前でオマキを見かけてから、

 僕、ずっと悩んでたんだ、

 どうしよう、どうしよう・・・って。

 ひとりで、じいちゃんたちの車を待ってるときも、

 帰ってお風呂に入ってるときも、

 電気を消して、お布団に入ったときも、

 次の日、

 学校で友達と喋ってるときも、

 午前中、先生の授業を聞いてるときも、ずっと考えてた、

 ホントにこのままでいいのか、

 助けてあげないでいいのか、

 あんなことになっちゃってるのに、

 みんなみたいに、

 自分は関係ないって、放っておいていいのか・・・って」


「・・・」


「お昼休みのとき、

 友達と笑いながら廊下を歩いてて、

 そしたら、

 前から、いつもの人たちに囲まれてオマキが歩いてきて、

 オマキが、

 頭を叩かれたり、お尻を蹴られたりしながら笑ってるのを見たらさ、

 また、きゅー・・・ってなって、

 自分が助けないのが申し訳なくなって、

 それで、

 午後の授業のとき、色々考えて、

 怖かったけど、

 なんとか頑張って先生に伝えて、イジメを止めてやったのに、

 アイツ、

 全部バラして、僕を裏切って!

 万引きのこと、

 僕、誰にバラしてない・・・って言ってるのに無視するし」


「・・・」


「だいたい、じいちゃんだって、

 僕が、

 会いたくない・・・って言ってるのに、何で無理やり会わそうとするんだ。

 僕に内緒で、勝手に呼んで・・・。

 別に、今まで通りの生活ができなくなってもいいよ。

 我慢するよ、そんなの。

 なのに、こっそり呼んでてさ。

 だったら、最初から訊かなきゃいいじゃんか」


「・・・」


「いっつもそうなんだ。

 僕の言うことなんか、ちっとも聞いてくれない。

 帰ってくるのが遅かったのだって、悪いって思ってるよ。

 怒られても仕方ない・・・って。

 けど、

 こっちの言うことだって、もっとちゃんと聞いてくれてもいいじゃんか。

 考えてる最中なのに、途中で割り込んで訊いてきて、

 ウソついてる、って勝手に決め付けてきて・・・」


「・・・」


「なんで、

 僕、こんな目に遭わなきゃいけないんだ・・・。

 なんで・・・」


その、

ところどころ高く(うわ)ずりきった声のあと、

鼻をすすり上げる音がした。

すぐに、息を短く吐き捨てた音。

間があって、

小さく2回、しゃくりあげる音がして、

再び、息を吐き捨てた音。

微かに濁っている。

服のスれる音。

次いで、肌を擦っている音。

乾いた音ではなかった。

グショグショに濡れている音だった。

何度も何度も擦っている。


私は、顔を俯けた。

自分の膝とその向こうで組んだ手の辺りに目を向けていたが、

やがて、顔をゆっくりと上げた。

前を向いたまま、小さく息をつき、

その後、

顔をそうっと隣に向けていく。



少年は、

背中を丸め、顔を俯けていた。

体育座りをしていて、

その立てた膝に手を載せ、

反対の手で、目の辺りを擦っている。

顔を(しか)めていて、目も細くなっていて、

溜まっているものが今にも(こぼ)れ出しそうなほど、潤んでいる。

鼻をすすり上げたり、

小さく2回しゃくり上げたりしながら呼吸をし、

目を擦っている。


その少年をじっと見ていた私は、

少しして、

膝先で組んでいた手を(ほど)いた。

右手を浮かせたが、

しかし、すぐに止め、

その手を、

また、静かに膝先に戻した。


私は、

次いで、

息を吸いつつ、口を僅かに開けた。

呼吸を止め、

間を置いてから、更に口を大きくしようとし、

でも、

また、すぐにやめ、

溜めていた息を戻していく。

口を閉じ、顔を正面に戻すと、

ゆっくり下を向く。

ため息をひとつ。


辺りでは、

たくさんの虫たちが、声を枯らして鳴いている。

その細い声が、

途切れることなく、そこら中に響いている。

隣からは、

少年の、鼻をすする音と息を吐き出す音。

ずっと繰り返してる。


私は、

顔を俯けたまま、目を瞑った。

息を深く吸い込んでいき、少しずつ吐いていき、

そうして、

目を、ゆっくりと開けた。

顔を上げ、

正面を見据え、口を開く。

「・・・泣けば、いいじゃないか」


「・・・」


「キミは、

 多分、人前では泣かなかったんだろ?」


「・・・」


「目に涙を浮かべたくらいはあったかもしれない。

 でも、

 声を上げて泣くことは、しなかったんだろ?」


「・・・」


「今まで、どんなにイヤなことを言われても、

 どんなにつらい目に遭わされても、

 ずっとひとりで(こら)え続け、

 我慢し続け、

 そうしてキミは、

 多分、泣かなかったんだろ?

 そうじゃないのか?」


私の隣で、

鼻をすすりつつ、しゃくり上げつつ、

荒い呼吸を繰り返していた少年は、

一度、大きく息を吐き出すと、

鼻をすすり上げつつ、息を吸い込んでいき、

止めて、

そうして、

(うわ)ずりきった、細い声で私に言った。

「ん・・・、

 僕、泣かなかった・・・。

 一度も泣かなかった・・・」


少年は、

()き止めていた息を一気に吐き出し、そのまま何度か()き込んだ。

鼻をすすって、

また、呼吸を懸命に繰り返す。


私は、前を向いたまま言った。

「・・・だったら、

 だったら、

 今日くらい、泣いたっていいじゃないか」


「・・・」


「ここには、私しかいない」


息を震わせつつ、ひたすら荒い呼吸を続けていた少年は、

やがて、唸るような声を出し始めた。

すぐに咳き込み、

間を置いてから、鼻をすすり上げ、

また唸るような声を出し始め、次第に強めていき、

鼻をすすり上げ、一旦中断すると、

更に大きな声を出し、

ついには、叫ぶような声を上げ始めると、

そのまま、

力の限りの声を上げ、少年は泣き始めた。

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