166.「家の前に着いた」
「家の前に着いた」
「出来るだけ急いで帰ってきたんだけど、
でも、ダメだった。
辺りは、すっかり暗くなっていて、
玄関の明かりも点いていた」
「自転車が、またパンクしていた。
たぶん、段差になってるところを勢いよく下りたからだと思う。
気付いたらペダルが重くなっていて、
それから少しすると、後ろのタイヤがズルズルになった。
早く帰りたかったのに、スピードが出しにくかった。
あの女の人が言うように、
もっとしっかり叩いておけば良かった・・・って、走りながら後悔した」
「家の玄関の明かりは、今日も点いていた。
それを、じぃっと見たまま、
僕は、
少しの間、呼吸を整えた。
そして、下を向いて、
息をひとつ、ふぅ・・・って吐いたあと、
顔を上げ、
パンクした自転車を押して、庭に入っていった」
「ただいま・・・」
「そう言いながら玄関の戸を開けると、じいちゃんの話し声が聞こえた。
茶の間の電話で、誰かと話しているようだった」
「あぁ、
アイツ、今頃になって帰ってきおったわ。
まったく、何時だと思ってるんだ。
・・・うん、
・・・うん、
そっちの好きな時間で構わない。
・・・うん、分かった。
じゃあ、また明日。
待ってるからな」
「受話器を置いた音がした。
ため息が聞こえて、
その後、
じいちゃんが、こっちを振り返る。
僕は、
茶の間の入り口で立ったまま、俯いていた。
ちゃぶ台の上は、
少し前にチラッと見たけど、
じいちゃんの分の湯呑と、畳まれた新聞しか置いてなかった。
じいちゃんは、何も言わなかった。
僕も、何も言わなかった。
お勝手から聞こえていた食器洗いの音と水の音が止まった。
虫が、たくさん鳴いていた。
隣の家のテレビの音も、よく聞こえた」
「・・・今、何時だ?」
「しばらく経ってから、じいちゃんが訊いた。
僕は答えた」
「7時13分です・・・」
「随分遅いな?」
「はい・・・」
「何で遅くなった」
「えと、自転車がパンクしちゃって、
その・・・」
「パンクして走れなくなって、
それで、歩いて帰ってきたのか?」
「いや、そうじゃなくて・・・」
「どうやって帰ってきたんだ」
「自転車に乗って、帰ってきました・・・」
「じゃあ、
何で帰ってくるのが、こんなにも遅くなるんだ。
普段から遅いけど、今日は更に30分以上遅いじゃないか。
もう外は真っ暗じゃないか。
じいちゃん、お前に言ったよな?、
暗くなる前に帰ってきなさい・・・って。
どうして、こんなに遅くなったんだ。
言ってみろ」
「・・・すみません」
「どこに行ってた」
「・・・ちょっと、遠くに」
「遠く、ってどこだ」
「海の近くで、
その・・・、喫茶店に・・・」
「はぁ?、喫茶店?。
お前、そんなところに行ってたのか?」
「・・・はい」
「誰と行った」
「・・・ひとりです」
「何で行った」
「何で、って自転車で・・・」
「バカ、違う。
どうして行ったんだ、って訊いてるんだ」
「あ、
えと、何て言うか・・・」
「その喫茶店にずっといたのか」
「はい・・・」
「こんなに暗くなるまで?」
「いや、
帰ったときは、まだ明るかったんだけど・・・、
その・・・」
「まだ明るかった、って何時頃だ?」
「5時半ちょっと過ぎ、です・・・」
「それで、何でこんな時間になったんだ。
今、7時過ぎだぞ。
1時間半以上かかってるじゃないか」
「だから、
その、えと、喫茶店がちょっと遠くて・・・」
「さっきお前は、
自転車がパンクしたから遅れた・・・って言ってたじゃないか。
あれはウソか?」
「いや、ウソじゃなくて・・・。
えと、説明がちょっと難しいんだけど・・・、
その・・・」
「何でこんな遅い時間になったんだ」
「だから、何て言うか・・・、
その・・・」
「何で」
「・・・」
「ちゃんと説明しなさい」
「・・・ごめんなさい」
「少ししてから僕が謝ると、
じいちゃんは、ため息をついて言った」
「お前のご飯は、じいちゃんが下げさせたからな」
「はい・・・」
「次からは、ちゃんと6時までに帰ってくるように。
分かったな?」
「はい・・・」
「本当に分かったのか?。
7月のときも、お前はそう言ったが、
結局、守らなかったじゃないか。
いつの間にか、当然のように6時半に帰ってきとるし・・・」
「・・・すみません」
「今度、門限を破ったら、
そのときは容赦しないからな。
みっちりと説教するからな。
分かったな?」
「・・・分かりました」
「じゃあ、もう行ってよろしい」
「はい・・・」
「僕は、
俯いたまま、じいちゃんに背を向けて、
廊下をトボトボと歩き始めた。
茶の間から、
新聞を広げた音と、大きなため息が聞こえてきた」
「お勝手の前を通った」
「おかえり」
「ばあちゃんが言った。
僕は足を止め、ばあちゃんの方を向いた」
「うん・・・」
「・・・お腹、空いた?」
「僕は、首を横に振った」
「ううん、いい・・・」
「そう返事をして、廊下をまた歩き始めた。
そして、
自分の部屋に戻るとドアを閉めて、ため息をついて、
そのまま、ベッドの上で仰向けになった」
「自転車、修理しないと・・・って、
ぼーっと考えていた」




