129.「母さんは、その日の午後・・・」
「母さんは、その日の午後、
病室から、お前の父さんの実家の仏間へと移された。
通夜や葬儀などの準備は、向こうのご両親にお願いをして、
じいちゃんとばあちゃん、カシナの叔父さんは、
仏間の隣にある、広い座敷で、
3人で手分けして、
親戚や母さんに縁のある人たちに、片っ端から電話をしていった。
お前の父さんは、
その間、ずっと仏間にいた。
顔に白い布をかけられた母さんの傍らに、あぐらをかいて座ったまま、
ひとりで静かに項垂れていた。
しばらくして、
カシナの叔父さんが立ち上がり、父さんのところに行って、
義兄さん、会社の誰かにも連絡を入れた方が・・・と言った。
返事は無かった。
少ししてから、もう一度訊いてみたが、
返事は、やはり無かった。
俯いたままだった。
仕方ないので、
カシナの叔父さんは向こうの親御さんのところに行って、事情を説明すると、
あとで私たちの方で連絡を入れておきますから・・・と言われ、
それで、
その言葉に甘えさせてもらって、会社への連絡は任せることにした。
じいちゃんたちのところに、また戻ってきて、
方々に電話をかける作業を再開させた」
「日が落ち、外が暗くなってきた。
お互いの作業が一段落し、みんなでお茶を飲みつつ、
店屋物で取り寄せた弁当を待っているときだった。
お前の話になった。
病院に預けたままの赤ん坊をいつ受け取りに行くか・・・、
そういう内容だ。
最初は、
葬儀が全て終わってから受け取ろう・・・という意見が多かったんだ。
式の最中は、どうしても色々とゴタゴタしてしまうし、
みんな、
弔問客の相手で忙しくて、赤ん坊のお前の世話をなかなかできないだろうし、
それに何より、
大勢の人が来るので、カゼなどの病気が心配だった。
ただ、話し合いの末、
最終的には、
通夜の日の午前中に、お前を病院から受け取ろう・・・、
ということになった。
生前の母さんと親しく、遠路はるばる九州まで来てくれる人たちは、
みんな、お前の顔を見たがるだろうし、
母さん自身も、
多分、
お前が近くにいることを望むだろう・・・と。
向こうの親御さんが、それを伝えに、
隣の仏間にいる、父さんのところへ行った。
親御さんの声だけが聞こえて、しばらくすると帰ってきた。
黙って首を振った。
やはり、何の反応も無かったようだった」
「次の日。
通夜の当日。
朝、カシナの叔父さんは病院に電話を入れた。
それから仏間に顔を出し、
お前を受け取りに行くことを父さんに告げたあと、
ばあちゃんを連れ、
向こうの親御さんに車をお借りして、家を出ていった。
父さんは、
まだ、母さんの傍らに座って俯いていた。
その前日の、夜遅く、
父さんは、
向こうのご両親に促され、寝室に行き、
そうして、一旦は床に就いたのだが、
気付くと、
いつの間にか、また母さんのところに戻ってきていた。
それで、
通夜のちょっと前までは、本人の好きなようにさせておこう・・・、
という話になった。
お前の父さんは、病院から自分の実家に帰ってきて以降、
誰とも、ひと言も喋らなかった。
ひとりで、ずっと下を向いていた」
「お昼前の11時頃。
カシナの叔父さんたちが病院でお前を受け取り、戻ってきた。
途中で、母さんたちのアパートに立ち寄っていた叔父さんたちは、
車の後部ハッチからベビー用のベッドを取り出し、
仏間に設置し、
そこに、お前を寝かせた。
ばあちゃんが、哺乳瓶でミルクを飲ませると、
それまで大きな声で泣いていたお前は大人しくなり、
やがて、ぐっすりと眠ってしまった。
ばあちゃんはホッとして、
お勝手で食器の準備をしている、向こうの親御さんの元へ、
その応援に向かった」
「じいちゃんが、
座敷の座卓の上で、墨を磨っているときだった。
仏間の方で、何かの音が聞こえたような気がした。
手を休め、そちらに目をやると、
お前の父さんが立ち上がっていて、
ベビーベッドの方に、フラフラと近付いていった。
様子が、ちょっと変だったので、
じいちゃんは、
墨を硯に置いて、立ち上がった。
お前の父さんは、
ベビーベッドの近くに行くと、
虚ろな表情のままで、小声で何かをブツブツと言って、
左右の手を、ベッドの中へと伸ばしていった。
瞬間、悪い予感がした。
おい、何やってる!。
咄嗟に大声を出したじいちゃんは、
慌てて駆け寄って、お前の父さんをベッドから引き離した。
父さんは激しく抵抗した。
離せ!、離してくれ!。
コイツのせいで死んだんだ!。コイツが生まれたせいで死んだんだ!。
コイツさえ、コイツさえ生まれて来なければ!。
大声で喚き散らす父さんを、
じいちゃんは、後ろから力いっぱい羽交い締めにし、
助けを呼んだ。
みんな、仏間にすぐに駆けつけた。
暴れる父さんを、男3人で畳の上に押さえ付け、
ばあちゃんたちは、
大きな声で泣き続けるお前を抱いて、別の部屋へ避難した。
お前の父さんは、
手足を押さえ付けられながらもそのまま喚いて、抵抗し続けていたが、
やがて観念し、大人しくなった。
あの子には何の責任も無かろうが!。そんなことも分からんと!。
向こうの親御さんが、
起き上がった父さんの頬を引っ叩き、そう怒鳴りつけた。
お前の父さんは、
頬を押さえ、項垂れたまま、
何も言い返さなかった。
そして、少しして、
また、
ひとり、静かに泣き始めた」




