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Summer Echo  作者: イワオウギ
IV
124/292

124.膝先で組んだ手の、暗いシルエットの向こう側の

膝先で組んだ手の、暗いシルエットの向こう側の、

淡いオレンジで仄かに照らされた、境内の地面を眺めていた。

その、僅か2、30cm先の地面は、

もう、完全に真っ暗だった。

何も見えない。

闇しかない。


森の中の、夜の境内には、

バッタたちの、たくさんの声が響き合っていた。

周囲の茂みの、そこかしこで、

一斉に、一心不乱に鳴き続けている。

間断なく鳴き続けている。

聞こえてくる音は、それだけだった。

ずっと、それだけだった。


私は、顔を隣へ向ける。

体育座りの少年。

手前にある、2段重ねのLEDの光が、

少年の足と、(わき)の近くまでと、膝先へ延びた腕の下半分を、

淡いオレンジ色で、ぼんやり染め上げている。

その上の、暗がりの中には、

俯いたままの横顔。

視線を、自分の立てた膝の辺りへ、まっすぐ向けている。

口は、固く閉ざされている。

恐らく、(つば)を飲み込んだのだろう、

顎の下にチラリと覗く喉元が、ゴクンと動いた。


私は、向けていた顔を静かに戻す。

次いで、スーツの内ポケットに手を入れ、

中からスマートフォンを抜き出す。

持ち直してから親指でサイドボタンを押し、

その、過剰なまでに煌々(こうこう)とした画面へ視線を落とす。


《19:07》


バッテリーの残量は20%を下回っていた。

電池のアイコンも赤くなっている。

私は、

もう片方の手を動かし、画面のロックを外す。

すぐに、路線案内のアプリを呼び出す。


ヨモエ発トミヤマ行きの電車は・・・、直近が19時48分か。

その次が20時52分。終電。

ファイヤードラゴンまでが、

確か、約10分。

そこからは5分くらいのはずだから、

少し余裕を持って、40分で良いか・・・。


そんなことを考えつつ、スマートフォンを内ポケットに戻し、

手も、元通り膝の上に。

少しして、

目だけを隣へ向ける。


さっきと同じ。

抱え込んだ自分の膝を、

まっすぐ、じぃっと見ている。

呼吸に合わせて、

暗がりの中の、影のような頭が、

ほんの少し、ゆっくりと持ち上がり、

間を置いてから、

また、戻っていく。

繰り返している。

しばらくして、

閉ざされたままの口が、僅かに開いて、

すぐに閉じる。

その下の喉が、ゴクンと動く。


私は、視線を戻した。

顔を俯け、ひと息つき、

それから、

顔を俯けたままで体を捻って、今度は逆を向く。

そちらのキザハシに手をつくと、

その手を支えにして前傾し、

お尻を浮かせると同時に、曲げていた膝を伸ばし、

よっこらせ・・・と立ち上がる。

手を両方とも上にまっすぐ伸ばして、

そのまま後方へ、ぐうう・・・っと反らしていく。

小さく声を漏らしつつ、気持ちの良い伸びを堪能すると、

少年の方を、改めて振り返る。

少年は、

体育座りのまま、私の顔を見上げている。


「・・・帰ろ?」

そう声をかけると、

少年は目を大きくし、口を開け、

止まって、

また、ゆっくりと口を閉じた。

何も言わずに、顔を俯けていく。


「無理に話さなくてもいいさ」

下を向いた少年に、私は上から声をかけた。


「・・・」


「遅くなっちゃったし、帰ろ?」


「・・・」


「ね?」


少年が顔を上げた。

私を見上げ、口を開く。

「・・・あの」


「・・・うん」

私は、少し待ってから相槌を打つ。


「えっと、その・・・」


「うん」


「えと、

 僕・・・、僕・・・」

少年は、

そう言いながら、再び顔を下に向ける。


「・・・うん」

私は、

また、少し待ってから相槌を打つ。


「実は、実はちょっと前に・・・、

 その・・・、

 あ、ちょっと前ってのは夏休みよりも前で7月のことなんだけど・・・」


「・・・うん」


「その、

 えっと、家で・・・、

 その・・・、あの・・・、

 えっと・・・」


「・・・うん」


「・・・」


「・・・家で、どうしたの?」


「・・・」


「・・・」


リーン、リーン、リーン。

ギィー。ギィー。ギィー。


「・・・」


「・・・」


リリリィ、リリリィ、リリリィ。

ジジジ、ジジジ、ジジジ。


「・・・」


「・・・」


響き渡る虫たちの声の中、

私は、

少年の俯いた姿を見ながら、そっと息を吐いた。

参道の方へと向き直し、

そのまま、ゆっくりと腰を下ろしていく。

座ったまま、カバンの方を振り向き、

手を伸ばし、そのファスナーを開ける。


「・・・ごめんね」

少年の声が、背中の方から聞こえてきた。

カバンの中を手探りで(あさ)っていた私は、

目当てのものを掴むと、抜き出した。

LEDの方へ向き直し、明かりへ晒す。

「気にしなくて良いよ。まだ時間あるし」

そう答えてから、

持っていたプラスチックのパッケージを、パキッと開ける。


「時間がある・・・って、あとどれくらい?」

少年の声。

私は、

パッケージから出した充電用バッテリーを、スマートフォンに繋ぐ。

「だいたい、1時間半かな・・・」

そう答えて、

バッテリー付きのスマートフォンをLEDの隣へ並べると、

また、カバンの方を振り返る。

カラのパッケージを、カバンの中へ押し込んでいるとき、

ハッと気付く。

慌てて言葉を付け足す。

「あ、えーっと、

 さっき私が、帰ろうって言ったのは、

 駅に行く前に、

 もう一度、あのコンビニに寄っていこうと思ってさ。

 遅くなったから、

 ふたりで、何か温かいものでも食べようかな・・・って」


「・・・ごめんね」


「気にしなくて良いって」


「でも・・・」


「良いってば」


「・・・うん、・・・ごめんね」


「・・・」

カバンのファスナーを閉めた私は、

黙って正面へ向き直す。

両手を膝先で組み、

また、体育座り。

地面の上を薄く流れていた、夜の森の、冷たい湿気った空気の層が、

いつの間にか、私の胸元の辺りにまで上がってきている。


私は、

しばらくしてから、ポツリと言った。

「・・・ずっと考えていたことがあるんだ」


「え?、・・・なに?」

少年の声が、

途中で、こちらを向く。

私は答えた。

「ダムに行く本当の理由を、

 どうしてキミに、正直に打ち明けたんだろう・・・って」


「・・・正直に、って?」


私は、息を吸い込んだ。

「あのとき、

 私は最初、適当に誤魔化すつもりだったんだ」


「・・・」


「有名なダムが帰り道の途中にあるから、ついでに寄ってみようと思っただけ・・・とか、

 単なる思い付きで、深い意味は特に無いよ・・・みたいに、

 答えをはぐらかすつもりだったんだ」


「・・・」


「でも・・・、

 でも、私はそれをしなかった。

 本当の理由を正直に話した」


「・・・」


「何故、そうしたんだろう・・・って、

 それを、ずっと考えていたんだ」


「・・・」


「今だったら、何となく分かる」


「・・・」


「似ていたんだ、

 ・・・昔の私に、さ」


「・・・」


「自分自身のことで、

 何か、深く思い悩んでいることがあって、

 解決できないことがあって、

 どうしたら良いか分からなくて・・・」


「・・・」


「でも、他の人になかなか言い出せなくて、

 困っていて、

 追い詰められていて・・・」


「・・・」


「ずっとひとりで悩んでいて、

 ずっとひとりで抱え込んでいて、

 頭がおかしくなりそうなほど悩んでいて、

 不安しかなくて、

 怖くて、苦しくて・・・」


「・・・」


「毎日が楽しくなくて、

 つまらなくて、

 生きていることが、ただただ虚しくて、

 生きているだけで、ただただつらくて、

 悲しくて・・・」


「・・・」


「それでも、

 自分なりにどうにか頑張っていて、

 ギリギリのところで踏ん張っていて、

 でも、

 周りの人は、それにちっとも気付いてなくて、

 気付こうともしてくれなくて、

 だから余計につらくて、

 悲しくて、寂しくて・・・」


「・・・」


「川辺でひとり、

 膝を抱え、俯いて座るキミを見て、

 ちょっと話してみて、

 たぶん、知らず知らずのうちに、

 私は、

 キミに、かつての自分の姿を重ねていたんだ」


「・・・」


「そんな、他人とは思えないような人に対して」


「・・・」


「かつての私と同じく、

 ひとり、ギリギリのところで踏ん張っていそうな人に対して」


「・・・」


「心の中で、人知れず頑張っていそうな人に対して、

 自分なりに懸命に頑張っていそうな人に対して」


「・・・」


「私は・・・、

 私は、きっと自分を偽りたくなくて、

 誤魔化したくなくて、

 正直でいたくて、

 ありのままでいたくて、

 それで・・・、

 それで、キミに本当のことを話したんだと思う。

 ダムに行く本当の理由を、キミに打ち明けたんだと思う」


「・・・」


「相談サイトで、私は色々な悩みを見てきたよ。

 家族での悩み、外での人間関係の悩み、

 お金の悩み、体や性格の悩み、

 とにかく、ありとあらゆる悩みを、

 数百件、あるいは数千件は見てきた」


「・・・」


「そういった悩みの投稿に回答するとき、

 参考のため、ネットで調べてみると、

 別の誰かが書いた、似た状況での悩みが、

 いつだって、ズラズラッとたくさん出てくるんだ。

 現在も同じようなことで悩んでいる人、

 または、

 かつて悩んでいた人の書いた文章が、言葉が、

 いくつもいくつも、

 いつだって出てくるんだ」


「・・・」


「世の中に存在するほとんどの悩み、って、

 恐らく、大抵の場合は見知らぬ誰かが既に経験したことなんだ。

 その悩みを解決に導いた人は、きっと何人もいるのだろうし、

 たとえ解決できなかったとしても、

 どうやったらその悩みと、より上手に付き合っていけるか、

 できるだけ負担なく付き合っていけるか、

 多くの人は、自分なりの答えをとっくに見付け出していて、

 それをとっくに実践していて、

 そうやって、

 調子が良いときには、たまに笑ったりしながら、

 今現在、世界のどこかで生きているに違いないんだ」


「・・・」


「キミが何を話そうとしているのか、私には分からない。

 でも、

 キミと似たような状況で、似たような思いをした人は、

 この世界に、きっと何人もいる。

 そして、

 頑張った末にそういった状況を受け入れ、あわよくば乗り越え、

 今、このときを生きている人だって、

 きっと同じように、何人もいるはずなんだ」


「・・・」


「キミだけじゃない、絶対に」


「・・・」


「多分、

 キミは今、心の中で闘っているんだろう?。

 話さなくちゃ、話さなくちゃ・・・って、

 心の中で自分自身を追い詰めながら、必死に闘っているんだろう?」


「・・・」


「でも、覚えておいてほしい」


「・・・」


「キミは、私の話を一生懸命に聞いてくれた。

 だから、

 キミが話してくれれば・・・だけれども、

 私もキミの話を一生懸命に聞く」


「・・・」


「恩がある人を、

 私は、もう二度と裏切らない、

 ・・・絶対に」


辺りは、

また、バッタたちの鳴き声だけに戻った。

森の、そこら中で、

たくさんのバッタたちが、

それぞれの、精一杯の声で鳴いている。



「・・・あの」

ちょっとしてから、少年の声が聞こえた。

私は、顔をそちらへ向ける。


少年。

両膝を抱えたまま、

その少し先の、LEDに照らされた明るい地面を、

まっすぐ見据えている。


「・・・どうした?」


「僕、話すから・・・」

少年は、すぐに答えた。

真剣な眼差し。


私は、

顔を、ゆっくりと正面に戻す。

「・・・分かった。

 でも、上手に話そうとしないで良いから」


「うん」


「あと、

 話したくないことは、無理して話さなくて良いから」


「うん」


「・・・じゃあ、聞かせて」


「うん。

 僕、頑張るから・・・」


「私も、一生懸命に聞くよ、

 最後まで」


「うん」


「・・・」


虫たちの声。

少年の、息を大きく吐き出した音。

間を置いて、もう一度。


「・・・」


「・・・」


虫たちの声。

辺りの音は、それしかない。

絶え間なく響いている。

あちこちで、ずっと響いている。

私は、体育座りのまま、

まっすぐ前を見据えて、じっと待つ。

待ち続ける。


少しして、

少年の、息を吸い込む音が聞こえた。

「・・・僕、自殺したんだ」

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