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Summer Echo  作者: イワオウギ
III
120/292

120.「最初、緊張しなかった?」

「最初、緊張しなかった?」


少年の声が、また聞こえた。

私は、

遠くに目を向けたまま、それに答える。


「いや、

 最初に行ったときは、そんなには緊張しなかった」


「・・・なんで?」


「フリースクールのスタッフの人に、自分のことを説明しに行っただけだったし、

 それに、その相手だって、

 前日の電話で、既に私の事情をある程度は分かってくれていた」


「・・・」


「私は、極度の人見知りだったけれども、

 でも、

 そういった状況のときは、昔からそれほど緊張しなかったんだ」


「・・・」


「その代わり、

 2回目のときは大変だった」


「・・・」


「フリースクールから帰ってきて、酷くグッタリしたのを覚えてる」


私は、そこで一息つき、

また、ひとりで話し始めた。



「2回目に行ったときは、母親はいなかった」


「私だけだった」


「自転車で、

 ひとり、公民館の駐車場に入っていく」


「午後の2時を、少しオーバーしていた」


「本当は、もっと早くに着く予定だった」


「体力も落ちてるだろう・・・と思って、

 それで、かなり余裕を持って1時頃に家を出た」


「でも、途中で道に迷ってしまった」


「母親と一緒にタクシーで来たとき、

 景色をもっと覚えておけば良かった・・・と後悔していた」



「自転車は、

 駐車場の端っこの、花壇の前に駐めた」


「そこに、たくさんの自転車が駐められていた」


「子供が乗るような、小さくてカラフルなものが多かったが、

 大人用の大きい自転車も何台かあった」


「私は、

 自転車の前輪に鍵をかけると、公民館の玄関へ向かって走り始めた」


「炎天下の広々とした駐車場を、斜めに突っ切っていく」


「車は1台も駐まっていなかった」



「玄関に着いた」


「入り口は両開きのガラス戸で、中は丸見えだった」


「入ってすぐのホールも、

 その奥にあった上り階段も、外からよく見えた」


「照明は、やはり点いていなかった」


「暗かった」


「人の姿は見当たらない」


「ただ、奥の方からは、

 子供たちのはしゃぐ声が、小さく聞こえていた」


「それをたしなめるスタッフの声も、ときどき聞こえていた」


「その場で、呼吸を少しだけ整えた私は、

 後ろ向きにかぶっていた帽子を前にかぶり直し、

 ツバの先端を少し下げた」


「腕時計を見て時間を確認し、息をひとつ吐くと、

 それから、

 入り口のガラス戸を押し開いて、館内へと入っていった」



「何の御用ですか?」


「突然、

 横の方から声をかけられた」


「ドキッとして、そちらを振り向くと窓口があり、

 その向こうで、年老いた男性が座っていた」


「水色の半袖カッターシャツの上に、紺色のベストを羽織っていて、

 そのベストの胸には、

 勲章のようなデザインの、何かのロゴマークが付いていた」


「警備員の人だった。

 前日はスタッフの人と一緒だったためか、声をかけられなかった」


「あ、えっと、

 僕、フリースクールの見学に来まして、

 本当は2時の予定だったんですけど、道に迷ってしまって・・・」


「あぁ、そういや、

 今朝、クマ先生が言ってたな。

 お昼頃、もしかしたら高校生くらいの人が見学に来るかも・・・って。

 思い出したよ。

 ちょっと、そこで待っててな」


「警備員は、

 そう言って席を立つと、後ろを向き、

 立ったまま、誰かに電話をかけた」



「玄関ホールに置かれた、あちこち革の破れたソファに座って、

 少しの間、待っていると、

 スリッパの音をパタパタと響かせ、誰かが階段を急いで下りてきた」


「ガーコ先生だった」


「その日は、

 前日とは違ってエプロンを付けていた」


「ごめんごめん、ちょっと手を離せなくて。

 外は暑かったでしょう」


「すみません、ちょっと遅れてしまいました」


「私が謝ると、

 ガーコ先生は、明るい声で陽気に言った」


「いいのいいの。気にしないで。

 さぁさぁ、行きましょ。

 紹介してあげるわ。

 心配しないで。

 みんな、とっても良い子ばかりだから」


「そうして、

 今しがた下りてきたばかりの階段の方を振り返って、歩き始めた」


「暗いから、くれぐれも足元には気を付けてね。

 本当は危ないから、昼間でも館内の電気を点けていたいんだけど、

 区の職員さんから節電を徹底するよう言われてるの。

 ごめんなさいね」


「ガーコ先生は続けてそう言い、階段を上っていく」


「私は、黙ってついていく」



「踊り場で折り返し、2階に出た」


「正面は、1階と同じく広いホールになっていて、

 古びたソファが並んでいた」


「その向こうの、ガラスの窓からは、

 明るい日差しが館内に、斜めに一斉に差し込んでいて、

 壁際に集められた、いくつかのタバコの吸い殻入れを照らしていた」


「ガーコ先生は、

 ホールの手前で左を向くと、薄暗い廊下をそのまま進んでいく」


「私は足を動かしつつ、視線をちょっと起こし、

 帽子のツバ越しに、廊下の先をチラリと確認した」


「ちょっと離れたところに、横を向いたスリッパが何足か見え、

 その奥にある突き当たりには、簀子(すのこ)とともに木の下駄箱が備え付けられていた」


「色々な大きさの靴が、

 2段ある下駄箱の隅から隅まで、たくさん並んでいる」


「視線を、

 スリッパの向いてる先の、右へ向けると、

 部屋の入り口があった」


「お座敷だった。

 少しだけ、その畳が見えている」


「私は、視線を下に戻した」


「子供たちのはしゃぎ声が近くなり、

 だんだんと、はっきり聞こえるようになってきた」


「ときどき呼吸がつっかえてしまうほど、

 私の心臓は大きな音を立て、強く鼓動し続けていた」



「お座敷の入り口まで来た」


「足を止めたガーコ先生が、こちらを振り返る」


「じゃあ、ここで靴を脱いで上がって。

 脱いだ靴は、

 そこの下駄箱の、どこか空いてるところに入れておけば良いから」


「ちょっと手前の場所で立ち止まっていた私は、

 はい、と小さく返事をすると、

 意を決して足を踏み出した」


「お座敷の入り口の前を、

 そちらを見ないようにして、一旦は通り過ぎる」


「廊下の突き当たりで靴を脱ぎ、簀子に上がると、

 その脱いだ靴を、

 下駄箱の、誰かの靴の隣に並べて、

 それから、ガーコ先生の方に向き直した」


「じゃあ、行きましょ。

 帽子はかぶったままでも良いからね」


「ガーコ先生は、

 私にそう声をかけてから、スリッパを脱いでお座敷に上がった」


「私もお座敷に上がり、ガーコ先生の斜め後ろに立った」


「みんなー、ちょっと静かにしてー。

 こっちを見てー」


「賑やかだった室内が、急にひっそりとした」


「私は、帽子を深くかぶったまま、

 自分の足元の畳を、じっと見つめていた」


「大勢の視線が、

 今、私に向けられていることは、

 顔を上げずとも分かった」


「この子、

 今日からここに、ときどき見学に来るかもしれないから、

 みんな、よろしくね」


「ガーコ先生が、そう言ったので、

 私は、

 ちょっと間を置いてから、慌てて頭を下げた」


「緊張のあまり、挨拶は言えなかった」



「じゃあ、

 あっちの座卓のどこかに座って待ってて。

 私は、すぐにキッチンに戻らないと。

 何もしなくていいし、

 帰りたくなったら、勝手に帰っていいからね」


「そう言ったガーコ先生が、

 スリッパの音をパタパタと響かせ、離れていき、

 遠くの方で、

 ごめんね~、と誰かに謝った」


「私は、

 なるべく顔を上げないようにして、座卓の位置を確認すると、

 すぐに視線を戻し、

 下を向いたまま、畳の上を歩いていく」


「そして、

 一直線に並べられた座卓の、一番端の、

 無人の卓まで行くと、

 そこで黙って腰を下ろした」


「座卓の表面にある木目の模様を、じっと見つめる」


「室内の様子は、

 もう、元に戻っていた」


「小学生らしき子供たちは、あっちこっちに分かれてグループを作り、

 何かのアニメやアイドルの話で大騒ぎをしていて、

 中高生らしき年齢の人たちは、

 掃除機をかけたり、ホットプレートの入った箱を運んだりしていた」


「私は迷っていた」


「帽子は取らなくていい・・・ってガーコ先生は言ってたけど、

 やはり、取るべきではないだろうか?。

 みんなは、変に思っていないだろうか?。

 だいたい、

 ガーコ先生が言ってくれた、帽子を取らなくていい・・・て言葉は、

 ここにいるみんなは聞いてなかったじゃないか。

 やはり、取った方が・・・。

 でも、バレないだろうか。

 ハサミを使って、自分で髪を切ったことがバレないだろうか。

 バカにされないだろうか。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・」


「座卓で、ひとり延々と悩んでいると、

 不意に、

 すぐ近くで男性の声がした」


「これ、使う?」


「ビックリした私は、そちらに顔を向ける」


「垂れ下がった座布団と、誰かの足が目に入った」


「あ、はい。

 ありがとうございます・・・」


「咄嗟にお礼を言うと、

 その男性は、

 持っていた座布団を、私のすぐ近くにそっと敷いた」


「そして、大きな声で、

 ほら、みんなも座布団敷きを手伝ってー、

 と言った」


「はーい、と返事が聞こえて、

 話をしていた子供たちが、畳の上をドタドタと走っていき、

 押入れから出してきた座布団を、

 座卓の周りに、みんなでキレイに並べ始めた」


「男性は、

 持っていた座布団を、私のいる座卓の周りに次々と敷いていくと、

 最後に、私の正面に座った」


「座布団の上に座り直した私は、

 少ししてから、帽子のツバの下で視線だけを上に向け、

 その、正面に座った人をこっそりと見てみた」


「胸元に名札があった」


「リーダーと書いてあった」



「リーダーは、

 それからずっと、そこにいて、

 みんなに指示を出していた」


「今日は人数が多いから、

 念のため、座卓をもうひとつ並べて」


「CDの音量、ちょっと絞って」


「誰か、そろそろお茶を用意して」


「あ、ついでに、

 あと何分くらいで始められそうか、訊いてきて」


「私の真向かいに座ったまま、

 そんな調子で、

 みんなに、テキパキと指示を出していた」


「そして、しばらくしてから、

 布巾を持ってくるよう、誰かに頼むと、

 その持ってきてもらった布巾を、私の前に差し出した」


「悪いけど、

 これで座卓を拭いてくれる?」


「あ、はい」


「私は、返事をしてから布巾を受け取り、

 座卓の上を拭き始めた」


「最初は、

 座ったまま、手の届く範囲だけを拭いていたけど、

 途中で立ち上がり、それ以外の場所を拭き始め、

 続けて、そのまま隣の座卓も拭き始めた」


「そうして、

 全部の座卓を拭き終え、元の場所まで戻ってくると、

 リーダーは立ち上がった」


「お疲れさん。

 布巾、隣の座卓に置いといて。

 あとで汚れたときに、それで拭くから」


「そう言って、

 どこかへ行ってしまった」


「私は、

 布巾をキレイに畳み直してから、隣の座卓の真ん中に置いた」


「そして、

 また自分の座布団のところに戻ってくると、腰を下ろして、

 少ししてから、

 かぶっていた帽子を脱ぎ、脇の畳の上に置いた」

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