115.広々としていた会場は、今は
広々としていた会場は、今は、
さまざまな海の生き物たちで、にぎわっていました。
ガヤガヤとしています。
「さっきの、おもしろかったね」
「うん、おもしろかった」
2ひきのヤドカリたちが、話をしています。
「会場のあちこちに散らばっていたヒトデたちが、
みんな動きをピッタリ合わせて、5本の手を順番に浮かせて踊っていて・・・。
あれ、すごかったね」
「うん、すごかった。
でも、
その次の方が、もっとすごかった。
たくさんのヒトデたちが、うずを巻くようにして集まり始めてさぁ」
「そうそう。
何をするのかなぁ・・・って思って見ていたら、
2本の手を、こーんな感じで左右に大きく広げたまま、
次々と立ち上がって、
隣どうしで手をつないで輪っかを作って、
そこに別のヒトデたちがよじ登って、
上で、また輪っかを作って・・・」
「5段重ねだったよね」
「そうそう、5段重ね。
それで、
最後のヒトデが、その5段の輪っかのテッペンによじ登っていって、
立ったまま踊りだして・・・。
あれはすごかったね」
「うんうん、すごかった。
途中で潮がゆるく流れて、輪っかが全部グラグラしてたけど、
みんなで、なんとか耐えて、
テッペンのヒトデも、最後まで踊りきってさ。
周りの歓声もすごくて、
私も、思わず声を上げちゃった」
「アタシもアタシも~。
で、
テッペンで踊ってたヒトデがポーズを決めた・・・と思ったら、
急に輪っかが崩れて、
みんな、一斉にヒラヒラと落ちていって・・・」
「あのときも、歓声が上がったよね」
「うん、上がってた上がってた。
海底にできたヒトデの山を見ながら、
次は、どんなダンスを見せてくれるのかなぁ・・・って期待して待っていたら、
すぐにモソモソと動き始めて、
今度は、みんなで互いに抱きつき始めてさ・・・。
社交ダンスでも始まるのかなぁ・・・って思ったよ」
「私も私も~。
でも、いつまでたっても抱きつくのが終わらなくて、
ヘンだよね・・・って、お隣さんとも話をしていたら・・・」
「そしたら、実は、
ただ単に、みんなで取っ組み合いのケンカをしてただけ、っていう。
ヒトデはみんな無口だから、わからないけどさ、
たぶん、
お前のせいだ、お前のせいだ・・・って、
やってたんじゃない?」
「あれ、本当は、
上のヒトデが飛び降りてから崩れる予定だったらしいよ。
知り合いのカニさんに、さっき教えてもらった~」
「あら、そうだったの。
アタシ、さっきの失敗のヤツの方が好きだけど」
「私も~。
でも、本当はそうなんだってさ。
それで、そのあとがおもしろかったよね」
「そうそう、おもしろかった。
大イカさんがあわててケンカを止めに入ったんだけど、ちっとも収まらなくってさ。
正直、
あ、ヤバ・・・って思った」
「私も私も~。
だって、大イカさん、
途中から言葉が出なくなって、スミしか吐かなくなったもん」
「案の定、キレた大イカさんが、
辺りにスミをまき散らしながら、絡まり合ったヒトデたちを、
10本の足で、次々と会場の外へ、
こんな感じで、
ぽーん、ぽーん、って1ぴき残らず放り投げ始めて・・・」
そう口にしたヤドカリは、
左右の手を交互に後ろへ、ブンブンと振り回します。
それを見た、もう1ぴきのヤドカリは、
片方のハサミで口元を押さえて、楽しそうに笑いました。
「そうそう、似てる似てる~。
あーあ、やっちゃった・・・って、
私、思った。
それで、
そのあとの大イカさんが、もっとおもしろかったんだよね~」
左右の手を振り回していたヤドカリは、動きを止めました。
少ししてから顔を隣に向け、尋ねます。
「え?、そうだっけ?」
「そうだよぅ。
静まり返った会場を、
1ぴきで、ぼーっと見ていた大イカさんが、
しばらくしてから海の主さまの方を振り向いて、言ったじゃない」
「・・・何て言ったんだっけ?」
「主さま、
ご覧のとおり、みんないなくなってしまいました。
これにて終了です・・・って」
「あぁ、言ってた言ってた」
隣を見ていたヤドカリは、顔を正面に戻しました。
「いなくなった、って言うか、
アンタが1ぴき残らず会場の外に放り投げたんじゃない。
海の主さまも、
何も言わずに、大イカさんの顔をじーって見てるし。
私、もう、
おかしくって、おかしくって・・・」
そう言ったヤドカリは、
今度は両方のハサミを使って口元を押さえて、楽しそうに笑いました。
もう1ぴきのヤドカリは、
その、笑っているヤドカリをチラリと見ると、
また前を向いて言いました。
「それ、そんなにおもしろかったかなぁ・・・って、
あ!、見て見て。
大イカさんが、ヒトデのところから帰ってくるよ。
たぶん、そろそろ始まるよ、
優勝の発表が」
「え?。あ、ホントだ」
「今回の優勝は、だれだろうね」
「だれだろうね」
大イカは、
ちょっとの間、海の主と何かの話をしていました。
しかし、
やがて、会場の方へ向き直すと、
足を何本か持ち上げ、
その足の先っぽで、周囲の岩盤を押さえつけるような動きをしました。
ゆっくり何度もくり返しています。
「せいしゅくに!、せいしゅくに!。
これから、
海の主さまが、ダンス大会の優勝を発表なさる。
せいしゅくに!」
ザワザワとしていた会場が、
少ししてから、静かになりました。
大イカは、
そのまま、ちょっとだけ様子を見たあと、
持ち上げていた足を、そっと下ろしました。
主の方へ向き直し、
頭を下げました。
「主さま、
では、お願いします」
「うむ」
うなずいた海の主は、
そのギョロっとした2つの目を、会場に居並ぶ海の生き物たちへ向けました。
重々しい声を辺りに響かせ、話し始めます。
「皆のモノ、ご苦労であった。
皆のおかげで、
今回もダンス大会を、こうして無事・・・どうにか終わらせることができた。
会場の準備をしてくれたモノ、
ダンスを踊ってくれたモノ、
そのダンスを見守り、声援を送っていたモノ、
あらためて礼を言う。
ありがとう」
海の主が頭を深々と下げると、
みんなも、頭を深々と下げました。
会場の隅にいるヒトデたちも、
1本だけ浮かせた手の先っぽを、主に向かって折り曲げています。
海の主は、頭をゆっくりと起こすと、
みんなが頭を上げるのを少しだけ待ってから、
重々しい声で、また話し始めました。
「今から優勝したモノを発表する。
だが、このモノのダンスだけが良かったわけではない。
すべてのダンスが、それぞれ素晴らしかった。
ただ、
その中でも特に素晴らしかったダンス、ワシが心打たれたダンスを、
これから発表するということだ。
そのことを、どうか忘れずにいてほしい」
海の主は、
自分の前に集まった、数百ぴきの海の生き物たちの顔を、
端から端まで、ずうっと見ていきます。
そうして、それが終わると、
ふたたび正面を向いて、言いました。
「では、発表する」
海の主は、
その、吸盤のたくさん付いた立派な長い足を、
1本だけ、真上へ高く伸ばしました。
静かに目を閉じていき、
少し間を置いてから、
また、ゆっくりと目を開きます。
「優勝は・・・、」
そう言って、
まっすぐ上げていた足を途中で折り曲げ、
その先っぽで会場の奥を指した主は、
言葉を続けました。
「優勝は・・・、このモノだ」
「えっ、オイラ?」
主の長い足と、
振り返った海の生き物たちの、何百もの視線の先には、
1ぴきのカニが、岩の前で立ち尽くしていました。
カニは、やがて、
両手のハサミを、頭の上で激しく左右に振って、
早口でしゃべり出しました。
「な、なんでオイラが。
オイラ、
たった今、こっちに来たばっかりで、
それで、なん・・・え?」
海の主は、
足の先っぽで会場の奥を指したまま、顔を左右に振りました。
「勘違いするでない。
優勝したのは、そなたの後ろにいるモノだ」
「オイラの後ろ?。
え、ということは・・・」
カニは、
バンザイをした格好のまま、ゆっくりと後ろを向きます。
その、後ろを向いたカニの視線の先には、
大きな目をよりいっそう大きくし、
口をちょっと開け、
驚いた表情をして、
岩に寄りかかったまま1ぴきで固まっている、小さな赤い魚の姿がありました。
「ちょっと待ってくれよ!」
だれかの声が、会場に響きました。
我に返った赤い魚は、
すぐに、そちらを見ました。
1ぴきの青い魚が、主の前へと泳いでいきます。
オシャレなチョッキを着ています。
「主さま、
オレ、納得できねぇよ。
どうしてアイツが・・・」
チョッキの魚は、
海の主の、巨大な顔の前に着くなり、
興奮した様子で、文句を言い始めましたが、
急に言葉を止めました。
目の前に、
大イカの足の先っぽが、ぬうっと現れたからです。
チョッキの魚は、大イカを見ました。
大イカは、
何も言わずに、うなずきました。
伸ばしていた足を、ゆっくりと戻していきます。
チョッキの魚は、ハッとしました。
あわてて、主の方へと向き直します。
そして、
頭をペコリと下げてから、
あらためて、文句を言い出しました。
「主さま、
どうしてアイツが優勝なんですか。
だって、アイツは自由に泳げないじゃないですか。
うまく泳げないじゃないですか。
さっき、大会でアイツが踊ったダンスだって、
あんなにカッコ悪かったじゃないですか。
海の底をはいつくばって泳いだり、跳ね回ったり・・・、
魚のくせに、そんなことしかできないんですよ。
アイツは、
普通に泳げるオレたちと比べて明らかに劣っている、落ちこぼれの魚なんですよ。
情けない、ダメな魚なんですよ!」
一気にまくし立てたチョッキの魚は、
そこで、顔をうつむけました。
少し間を置いてから、続けます。
「・・・オレ、
今回のダンス大会のために、いっしょうけんめい練習してきたんだ。
毎日毎日、朝から晩まで、
ずうっとずうっと練習してきた。
疲れてクタクタになっても、
ちょっと休んでから、また泳ぎ続けた。
練習していて、
いつの間にか寝ていたことも、しょっちゅうだった。
それなのに、どうしてアイツなんですか。
オレじゃないんですか。
あんな出来損ないのダンスの、どこが良かったんですか」
チョッキの魚は、
そこまで口にすると顔を上げ、主を見て、
声をさらに大きくして、最後に言いました。
「主さま、
教えてください!、どうしてアイツが優勝なんですか!。
オレ、納得できません!」
会場中が、シーンと静まりました。
でも、それは、
ほんのちょっとの間だけでした。
あちこちから、次々と声が上がりました。
不満の声でした。
「そうよそうよ、納得できないわ」
「あんな踊り、どこが良かったんだ」
「何かの間違いじゃないのか」
「八百長だ」
海の生き物たちは、口々に騒ぎ始めました。
大イカが、足を10本とも動かし、
せいしゅくに!、せいしゅくに!・・・と、
必死に、くり返しています。
けれども、
騒ぎは、いっこうに収まりません。
それどころか、
ますます大きくなっていきます。
海の主は、
目をつむったまま、
そうした不満の声を、じっと聞いていましたが、
しばらくすると、目をゆっくり開きました。
吸盤のたくさん付いた足を1本、持ち上げて、
その先っぽを、
海底で横になって寝そべっている、茶色くて平べったい魚へ向けました。
「そなたは、
あの赤きモノのダンス、どう思った?」
「え?、アッシですかい?」
海の主は、何も言わずにうなずきました。
向けていた足を戻します。
騒いでいた海の生き物たちも、静かになりました。
みんな、茶色い魚を見ています。
その茶色い魚は、ちょっと変わった魚でした。
砂地に寝そべっている、平べったい体の、
上になっている方の、片側の面に、
目が2つとも付いていました。
茶色い魚は、
尾ビレで海底をけとばし、ふわっと浮き上がると、
後ろへ向きを変えました。
赤い魚の姿を確認したあと、そのまま海底に下りて、
また、ふわっと浮いて、
向きを主の方へ戻しました。
そして、
硬い岩盤に寝そべったまま、
体の、上になってる側の、2つの目で、
大きな海の主を見上げて、
先ほど聞かれた、赤い魚のダンスの感想について答えました。
「アッシは、
あの踊り、良かったと思いますがねぇ」
「・・・わけを申してみよ」
主がそう言うと、
茶色い魚は、ベラベラと話し始めました。
「いやね、見ていて楽しかったんですわ。
跳ねたり、立ったり、クルクル回ったり・・・、
あんな踊り、初めて見やした。
海底のスレスレを泳ぐのは、さすがにアッシのが上手ですがね、
でも気持ち良さそうに、
びゅーん、びゅーん・・・と、かっ飛んでるのを見てたら、
何だか、こっちまで気持ち良くなっちまって。
次は、どんな踊りをひろうしてくれるんだろう・・・って思って、
アッシは、ワクワクしながら見てやしたよ」
海の主は、
それを聞いて、うなずきました。
足を1本、また持ち上げて、
高いところでプカプカと浮いてる、
ぼーっとした顔の3ひきのマンボウたちへ、その足の先っぽを向けました。
「そなたらは、
あの赤きモノのダンス、どう思った?」
聞かれたマンボウたちは、互いに顔を見合わせてから、
また、主の方へ向き直しました。
「楽しかった」
「楽しかったです」
まん中と右側のマンボウが、ほとんど同時に答えました。
左側のマンボウは、
ぼーっとした顔のまま、小さくうなずいてます。
「・・・わけを申してみよ」
主が、そう言いました。
まん中と右側のマンボウは、ふたたび顔を見合わせました。
「わけ?。
楽しかったことに、わけなんてあるのかなぁ」
「でも、主さまに聞かれてるし、
何か答えないと・・・」
「えー、思いつかないよぅ」
「困ったなぁ・・・」
2ひきで、コソコソと話し合っていると、
左側の1ぴきが、
ぼーっとした顔のまま、口だけをちょっと動かし、
ボソボソと答えました。
「笑顔。ずっと笑顔だった。
笑ってた。
ダンスの最中、楽しそうに笑ってた。
ずっとずっと笑ってた。
こっちも楽しくなった。
だから」
それを聞いた海の主は、何回かうなずくと、
会場の隅っこにいるヒトデたちの方を見て、足の先を向け、
尋ねました。
「そなたらは、
あの赤きモノのダンス、どう思った?」
ヒトデたちは、しばらくの間、
体のまん中を高くしたり低くしたりして、その場でモゾモゾしていましたが、
やがて、
1ぴきが海中へ浮き上がって、くるりん・・・と回ってから岩盤に下りると、
ほかのヒトデたちも次々と海中に浮き上がって、
あっちでも、こっちでも、
くるりん・・・くるりん・・・と回り始めました。
海の主は、
みんなでせっせと跳ね続けているヒトデたちを見て、
また、何回かうなずきます。
そして、
ギョロッとした大きな目を、ふたたびチョッキの魚へ向けると、
その重々しい声を響かせ、話を始めました。
「わかったであろう。
あの赤きモノは、
優勝するための、上手なダンスを踊ろうとしたのではない。
皆に楽しんでもらうための、楽しいダンスを踊っていたのだ」
「・・・」
「チョッキのモノよ」
主に急に呼ばれたチョッキの魚は、
あわてて顔を上げ、返事をします。
「は、はい」
「そなたに、ひとつ尋ねよう」
「はい」
「先ほどワシは、
あの赤きモノは、皆に楽しんでもらうための、楽しいダンスを・・・と語った。
皆とはだれのことか、わかるか」
「はい、わかります。
ここにいる、みんなです」
海の主は、うなずきました。
「そうだ。ここにいる皆だ。
心無い言葉を投げていたモノたちを含めて、な」
「・・・」
チョッキの魚は、黙って下を向きました。
会場にいる海の生き物たちも、下を向いています。
海の主は、
少し間を置いてから、ふたたび話を始めました。
「ワシは、あの赤きモノをずっと見ていた。
踊っているときも、途中で休んでいるときも、
ずっと見ていた。
目を離すことができなかったのだ」
「・・・」
「大勢から、どんなにイヤなことを言われようとも、
どんなにツライ言葉を吐かれようとも、
いっしょうけんめい笑っておったし、いっしょうけんめい踊っていた。
皆に楽しんでもらおう・・・と、
ただ、それだけを考えていた。
心の痛みに耐えつつも、
皆のためを考え、必死に笑って踊り続けていた」
「・・・」
「ワシは、目を離すことができなかった。
痛みに負けぬ、強い心と、
他者を思いやる、清い心、
その2つの心から生み出される、尊い美しいダンスから、
ワシは、
一瞬たりとも、目を離すことができなかったのだ」
「・・・」
「ダンスが終わって、
赤きモノがおじぎをし、去っていくとき、
その、小さな後ろ姿を見送りながら、
ワシの心は、
なんとも言えない、ふしぎな熱い感情に、
ただただ打ち震えておったよ」
「・・・」
「感動しておったのだ」
「・・・」
「皆も、そうだったのではないのか。
だからこそ、
その去り際に、あたたかい労いの言葉を送っていたのではないのか」
「・・・」
「あの赤きモノは、確かに自由に泳げないかもしれぬ。
ほかとは少し異なる、変わった見た目をしておるかもしれぬ。
だがな・・・」
「・・・」
「覚えておくがよい。
それらは、ダンスの美しさには何の影響もないのだ。
他者の心を動かすことに、他者を感動させることに、
それらは何の障害にもならぬのだ」
「・・・」
「あの赤きモノは、決して劣ってはいない。
情けない魚でもないし、ダメな魚でもない」
「・・・」
「素晴らしい魚だ」
「・・・」
辺りは、シーンとしています。
聞こえてくるのは、
いつもと変わらぬ、潮の流れる音だけでした。
ときどき穏やかに、会場全体に響いてます。
くり返し、くり返し、
響いてます。
「エビたちのラインダンスのあと・・・だったと思うが」
海の主が、
しばらくしてから、そう言いました。
少し遅れて、
チョッキの魚が、
「・・・え?」と小さく声を漏らして、顔を上げました。
その口をわずかに開けたまま、目を大きくしています。
主は話を続けます。
「そなたは、
あのときも、今と同じチョッキを着て、
ダンスをひろうした」
「・・・」
「チョッキを見せびらかすだけのダンスだった」
「・・・」
「今回は違った」
「・・・」
「ひと目でわかった」
「・・・」
「素晴らしいダンスだった」
「・・・」
「ただ、心だけが足りてなかった」
「・・・」
「それだけだ」
「・・・」
「次回も、楽しみにしている」
「・・・はい」
チョッキの魚は、
頭をペコリと下げると、後ろを振り向きました。
顔をうつむけ、
その場で、じっとしていましたが、
やがて、
そのまま、顔を上げずに泳ぎ始めます。
会場にいる魚たちが、道を次々と空けていきます。
赤い魚の前に、たどり着きました。
岩に寄りかかっている赤い魚は、チョッキの魚を見ています。
チョッキの魚は、うつむいたままでした。
黙っています。
赤い魚も、黙っています。
静かに見ています。
チョッキの魚は、
少ししてから、顔を上げました。
そして、
「アンタが優勝だ」と言って、
ニッコリと笑いました。
赤い魚は、ビックリしました。
「え?。
は、はい、ありがとうございます」
そう言って、あわてて頭を下げると、
チョッキの魚は笑いました。
「・・・どうして、オレなんかにお礼を言うんだ?」
「え?。あ、そうか、
確かにそうよね、ごめんなさい」
赤い魚は、
また、あわてて頭を下げました。
それを見たチョッキの魚は、また笑いました。
「・・・ほら、早く行けよ。
主さまが待ってる」
チョッキの魚が、そう声をかけると、
赤い魚は、
「あ!、そうだった。
ワタシ、早く行かなきゃ」
と言って、寄りかかっていた岩から離れました。
体を斜めに傾けたまま、
1ぴきで、ポンポン・・・と泳ぎ始めました。
「おーい」
チョッキの魚の声が、後ろから聞こえました。
赤い魚は、海底をけとばすのやめました。
すぐに振り向きます。
「なーに?」
「イチャモンつけて悪かったよ。
次は、絶対オレが優勝するからなー」
赤い魚は、笑顔になりました。
チョッキの魚に頭を下げると、主の方へ向き直し、
ふたたび、ポンポンと泳いでいきます。
海の主の、まん前まで来ました。
赤い魚は、巨大な主の顔を見上げました。
頭をペコリと下げ、一礼します。
そして、
少ししてから頭を上げ、
巨大な主の顔を、あらためて見上げました。
海の主は、
小さな赤い魚を見て、ゆっくりと2回うなずき、
その大きな目を細めて言いました。
「良いダンスを見せてもらった」
「は、はい。
ありがたきしやわ、しやわ・・・ん?、」
頭を下げた赤い魚は、
そのまま、顔をちょっと横に傾けました。
じっと考えています。
しかし、
ハッ・・・とした表情になると、あわてて頭を上げて、
「あ!、間違えた!。
ありがたき幸せ、だった!。
ありがたきしやわせー」
と、すぐさま言い直して、
また、深々と頭を下げました。
主は、
細めていた目をますます細めて、大いに笑いました。
そうして、少ししてから笑うのをやめると、
表情を戻し、真剣な顔つきになり、
海底にいる、小さな赤い魚を、
そのギョロッとした目で、あらためて見つめました。
赤い魚も、
自分の正面にそびえ立つ、はるかに巨大な主の顔を、
静かに見上げます。
「・・・では、そなたに優勝のほうびを取らす。
願いを言うがよい」
重々しい声が、辺りに響きました。
赤い魚は、顔を下に向けました。
岩盤をじっと見ています。
そうして、
伏せていた顔を、少ししてからゆっくりと起こすと、
主の大きな顔を見上げて、
口を開きました。
「ワタシ・・・、
ワタシ、自由に泳げるようになりたい」
「自由に、とな」
主が、その言葉をくり返すと、
赤い魚は、
「はい」と、うなずきました。
そして、ふたたび口を開くと、
自分の願いを、自分の想いを、
海の主に、
はっきりとした声で伝えました。
「ワタシ、自由に泳げるようになりたい。
空を、
この海の上に広がる果てしない空を、自由に泳げるようになりたい」
会場が、ザワッとしました。
少し間を置いて、
主の、重々しい声が響きました。
「空を、とな」
「はい」
「可能だ。だが・・・」
「・・・」
「空を泳ぐ魚となったあかつきには、
そなたは、
この海には、もう二度と戻ってきてはならぬ。
そういう決まりなのだ。
残りの一生を、空で過ごすことになろう。
それでも構わぬか?」
会場が、
また、ザワッとしました。
「・・・構いません」
赤い魚の、りんとした声が、
少ししてから、辺りの海に響きました。
大きな主は、
赤い魚を、じっと見つめます。
それは、
1ぴきの、ちっぽけな魚でした。
自分の足先に付いた、一番小さな吸盤よりもさらにさらに小さい体の、
とてもちっぽけな魚でした。
でも、
その、ちっぽけな魚は、
自分の大きな2つの目を、
少しも怯むことなく、まっすぐ主へ向け続けています。
とても力強い、決意に満ちた目です。
弱さや迷いは、どこにも見当たりません。
「・・・わかった。
そなたの願い、聞き入れよう」
海の主は、そう口にしてから、
足を1本、持ち上げました。
何かのじゅもんを唱える声が、ボソボソと響き始めます。
そうして、
やがて、そのボソボソ声が止まると、
主は、
持ち上げていた足の先っぽを、赤い魚のおでこにゆっくりと近づけました。
赤い魚の体が、ぽおっと白く輝きます。
でも、
その白い輝きは、すぐに消えてしまいました。
主は、
赤い魚に近づけていた足を戻してから、言いました。
「・・・満月の浮かぶ夜、ダンスを踊るがよい」
赤い魚は、
自分の体をせっせと見回し、
どこが変わったのか、いっしょうけんめい確かめていましたが、
その主の言葉を聞いて、動きを止めました。
主の顔をふたたび見上げて、尋ねます。
「ダンス、ですか?」
主は、うなずきました。
「そうだ。
空に満月の浮かぶ夜、
その月明かりのもと、ダンスを踊るがよい。
さすれば、
そなたは月に認められ、月の民となり、
空を自由に泳ぎ回る、1ぴきの光り輝く魚となろう。
ただし、ゆめゆめ忘れるな。
この海には、もう二度と戻ってきてはならぬ。
よいな?」
赤い魚は、うなずきました。
「はい、主さま」
夜になりました。
会場は、今は暗く、
ひっそりと静まり返っています。
「だいぶ待たせてしまったな」
重々しい声が聞こえました。
1ぴきで空を見上げていた赤い魚は、
すぐに、そちらを振り返ります。
海の主が、
何本かの足で、硬い岩盤と周りの大岩を次々とつかみながら、
こちらへ近づいてきます。
「いえ、
ワタシも、ちょっと休んでいきたかったので、
ちょうど良かったです」
そう返した赤い魚は、
自分の目の前に来た、大きな体の海の主を見上げました。
主は、赤い魚を見て言いました。
「そうか・・・」
「それで、ワタシに用とは何でしょうか」
赤い魚が尋ねると、
海の主は、
自分の大きな頭を、赤い魚に向かって深々と下げました。
「すまなかった」
赤い魚は、ビックリしました。
「え?、え?、
どうして・・・」
あわてふためき、目を白黒させている赤い魚に、
海の主は、
頭を下げたままで、答えました。
「あのとき、
本当はダンスを止めるべきだったのに、ワシは止めなかった。
それを謝りたい。
すまなかった」
「・・・あのとき、ですか?」
「ケガをしているのだろう?」
「!」
「あれは疲れて休んでいたのではない。
痛みで動けなかったのであろう。
違うか?」
「・・・」
「その後も、
硬い岩盤に体をこすりつけ、回っていたおかげで、
ウロコが、何枚かはがれ落ちてしまったのだろう?。
赤い体で目立たぬが、
血も、にじんでいるのだろう?」
「・・・」
「本当は、あのときに止めるべきだった。
だが、ワシはそれをしなかった。
そなたのダンスを、もっと見ていたかったのだ。
最後まで見ていたかったのだ」
「・・・」
「すまなかった」
海の主が、
頭を下げたまま、あらためて謝りの言葉を口にすると、
赤い魚は、あわてて言いました。
「いえいえ!、どうか謝らないでください。
悪いのはワタシです。
あのとき、
ケガしたことを知らせずに、ムリして踊り続けたワタシが悪いんです。
おかげで、主さまにご心配を・・・、」
そこまで口にして、ハッと気づきました。
赤い魚も、すぐさま頭を下げます。
「すみませんでした!。
主さまに、余計な心配をさせてしまいました。
ワタシは、ワタシは・・・。
すみませんでした!」
海の主は、
それを聞き、頭を起こしました。
「そなたも、おもてを上げなさい」
「・・・」
赤い魚は、
少ししてから、頭をゆっくりと起こしました。
泣いています。
「これからは、ちゃんと言いなさい」
「・・・はい、主さま」
「無事で良かった」
そう言った海の主は、目を細めて笑いかけました。
赤い魚は、顔をうつむけたまま、
弱々しい声で、
「はい、ありがとうございます・・・」
と、お礼を言いました。
海の主は、
落ちこんだ様子の赤い魚を、
しばらくの間、
何も言わずに、じぃっと見ていました。
やがて、主が、
自分の住み家の方へと向きを変えつつ、
言いました。
「傷が治るまで、この近くで休んでいくがよかろう」
赤い魚は、
「はい。でも・・・」
と口にして、顔を上へ向けました。
真夜中の、静かな海の向こうには、
まっ暗な空だけが、その一面に広がっています。
星も月も、どこにも見当たりません。
「心配せずともよい。
ここ数日の間は、ずっと雨か曇りだ」
赤い魚は驚きました。
主の方をあわてて振り返り、尋ねます。
「知っていらしたんですか」
「さあ?、何のことやら・・・」
そう答えた主は、
自分の住み家の穴ぐらに、そのまま体をズルズルと滑りこませていきながら、
さらに、
ポツリと、つぶやきました。
「おー、イテテ。
古傷が痛むわい」
穴ぐらの奥に消えていく、海の主の大きな大きな後ろ姿を見送りつつ、
赤い魚は、
思わず、クスッと笑ってしまいました。




