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Summer Echo  作者: イワオウギ
III
117/292

117.風の無い、穏やかな夜の海

(かぜ)()い、(おだ)やかな(よる)(うみ)

波音(なみおと)が、(あた)りに小さく(ひび)(わた)っています。

それ以外(いがい)、音はありません。

(しず)かです。

空の(ほし)が、きれいです。


(くら)(うみ)()こうに、月が(あらわ)れました。

三日月(みかづき)です。

下を()いてます。

空を、(すこ)しずつ上っていきます。


月の()かりが、

海底(かいてい)のサンカク(いわ)を、ぼんやりと白く()らしていました。

(ちか)くには、だれもいません。

砂地(すなち)には、

ちっちゃな海草(かいそう)が、1本だけ()えています。

(すこ)(まえ)()を出したばかりの、(おさな)海草(かいそう)でした。

黄緑(きみどり)色の、(ほそ)くて小さい()っぱを上に()ばし、

(しお)の、ゆるやかな(なが)れのままに、

その、ういういしい(ほそ)()っぱを、

ときおり(よこ)へ、

そっと、なびかせています。



(とお)くの(ほう)から、だれかが(ちか)づいてきました。

うす(ぐら)(うみ)(そこ)を、

ポン、ポンと小さく()ねています。


赤い魚です。


赤い魚は、けんめいに()ねながら、

サンカク(いわ)のところへと()かっていました。

(からだ)はやせ(ほそ)り、

その大きな目も、半分(はんぶん)くらいしか()いてません。

ポン、ポン、と、

(かい)(かい)、がんばって()ねています。



サンカク(いわ)(ちか)くに()ました。

赤い魚は、

まだ背丈(せたけ)(ひく)い、(おさな)海草(かいそう)を、

ふしぎそうな(かお)をして見ています。

そうして、

ちょっとしてから、自分(じぶん)()()(わす)れていたことを(おも)い出し、

()いで、すぐに、

あのときの、

ぺしゃんこになった気()ちを(おも)い出し、

また、つらくなり、

(すこ)(おく)れて、(きゅう)(こい)しくなり、

(さび)しくなり、

たまらなく(くる)しくなり、

むなしくなり、

砂地(すなち)にポツンと()えた、(おさな)海草(かいそう)(となり)で、

その(かお)を、

やがて、

ゆっくりと、うつむけていきました。

海草(かいそう)の、(ほそ)くて小さい()っぱが、

ときどき、

そよそよと()れています。


赤い魚は、

しばらくしてから(かお)()こし、そのまま夜空(よぞら)を見上げました。

視線(しせん)()こうの三日月(みかづき)は、いつもと()わりませんでした。

ぽおっと白く、(やさ)しく(かがや)いています。



三日月(みかづき)が、徐々(じょじょ)(たか)くなっていきます。

まっ(くら)だった夜空(よぞら)の色も、

いつの()にか、(ふか)い青色に()わっていました。

ずうっと月を見上げていた赤い魚は、

一度(いちど)、口を(ひら)きかけましたが、

すぐに()じてしまいました。

上げていた視線(しせん)(もど)し、正面(しょうめん)()(なお)します。

赤い魚の前方(ぜんぽう)には、

(よる)の、うす(ぐら)海底(かいてい)(ひろ)がっていて、

上から、月の(やわ)らかな()かりが()しこんでいます。


赤い魚は、その海底(かいてい)(ほう)をじっと見ていましたが、

やがて、

()けている()ビレで、砂地(すなち)をけとばしました。

だれもいない、(しず)かな(うみ)(そこ)を、

1ぴきで、

また、

ポン、ポン、と(およ)いでいきます。



三日月(みかづき)が、さらに(たか)くなりました。

真下(ました)()いていた、その()きも、

(いま)は、ちょっと左に(かたむ)いてます。

月の(すこ)し下にある夜空(よぞら)(そこ)は、

もう、だいぶ(あか)るく(しら)んでいます。


赤い魚が、

(うみ)水面(すいめん)から、ちょこんと(かお)を出しました。

空に()かぶ月を見上げています。


ここは、

ニライカナイの(しま)海辺(うみべ)の、(あさ)くなっている場所(ばしょ)で、

その水底(みずぞこ)砂地(すなち)の上に、

赤い魚は、()ビレを使(つか)って立っていました。

水面(すいめん)をつたう、

うすい、とう(めい)(なみ)が、

(かお)を出したままの赤い魚を、そのまま(とお)()ぎていきます。

赤い魚は、

しばらくして、口を(ひら)きました。

「お(わか)れを()いに()ました」


そこで、いったん口を()じて、

夜明(よあ)けの直前(ちょくぜん)の、うっすらと白い三日月(みかづき)を見つめて、

がんばって見つめて、

それから、

ふたたび、口を(ひら)きました。

「もう、(もど)ってくるつもりは()かったのだけど、

 でも、もしかしたらあなたが心配(しんぱい)すると(おも)って、

 それで・・・」


赤い魚は、そこまで()って、

また、口を()じました。

うすい(なみ)が、音も()(とお)()ぎていきます。

間隔(かんかく)()け、

いくつもいくつも(とお)()ぎていきます。

水面(すいめん)(かお)を出したままの赤い魚も、

そのたびに、わずかに()れています。


赤い魚は、

ゆっくりと、口を()けていきました。


「・・・」

その言葉(ことば)は、

けれども、(こえ)にはなりませんでした。

口を()じた赤い魚は、

()()いてから、もう一度(いちど)()けました。

(こえ)に出そうとします。

空の月を見上げて、

何度(なんど)何度(なんど)も、がんばっています。


「・・・」

でも、ダメでした。

どうしても()えませんでした。


赤い魚は、

()けていた口を、

やがて、

ゆっくりと、()じていきました。

半分(はんぶん)しか()いていない、その大きな目で、

(とお)くの空に()かんだ、(とお)くの月を、

そのまま、(だま)って見ています。

うすい(なみ)が、そっと(とお)()ぎていき、

赤い魚の(からだ)が、わずかに()れます。

()()いて、

うすい(なみ)が、

また、そっと(とお)()ぎていき、

赤い魚の(からだ)が、

また、わずかに()れます。


()(がた)(ちか)くの、

自分(じぶん)しかいない、ひっそりとした海辺(うみべ)で、

赤い魚は、

そうして、空の月を見上げていました。

(しず)かに、

ただ、見上げていました。


(うみ)()こうの、空の(そこ)がオレンジ色に()わって、

そのオレンジ色が、さらに(あか)るくなっていきました。

赤い魚は、

(かお)を、ゆっくりと水の中へ(もど)しました。

砂地(すなち)の上で、そのまま(すこ)しだけうつむいて、

それから、

(かお)を上げ、(うし)ろを()(かえ)ると、

()ビレで水底(みずぞこ)をけとばし、

1ぴきで、また()(かえ)していきました。



ダンスの練習(れんしゅう)(よう)(せん)をすべて()した赤い魚は、

ふたたび、サンカク(いわ)のところへ()かっていました。

自分(じぶん)()()ってくれた(おさな)海草(かいそう)に、お(れい)()うためでした。

もう、(あさ)になっていました。

海底(かいてい)の、そこら(じゅう)には、

太陽(たいよう)(あか)るい日差(ひざ)しが、サンサンと()りそそいでいます。


大きなサンカク(いわ)のすぐ(ちか)くの、

あの、(おさな)海草(かいそう)の小さな姿(すがた)が見えてきたときでした。

赤い魚は、

突然(とつぜん)、その()()まってしまいました。

(なに)かを、いっしょうけんめい見ています。

やがて、

ふたたび、

ポン、ポン、と(およ)ぎ出しましたが、

(すこ)しすると、

けとばしが、だんだんと(つよ)くなっていきました。

()ねるスピードも、

どんどん、どんどん(はや)くなっていきます。



(おさな)海草(かいそう)(まえ)まで、やって()ました。

赤い魚は、

大きな目を、その根元(ねもと)()けています。


海草(かいそう)()()ちていました。

1つではありません。

砂地(すなち)の上に、

いっぱい、いっぱい(ころ)がっています。


ぼう(ぜん)とした表情(ひょうじょう)で見ていると、

その赤い魚の目の(まえ)に、

上から、海草(かいそう)()が1つ()ってきて、

そのまま砂地(すなち)()ち、

たくさんの()の中で、コロン・・・と(ころ)がりました。


赤い魚は、(かお)をすぐに上へ()けます。


すき(とお)るような(うみ)の水。

上の(ほう)(たの)しそうに(およ)ぐ、小魚たちの()れ。

その()こうでは、

大きく(つばさ)(ひろ)げた海鳥(うみどり)たちが、気()()さそうに()(まわ)っていて、

さらに、その()こう、

どこまでも()(わた)った青空の、

ずっとずっと(たか)いところには、

うっすらとした白い三日月(みかづき)が、

(しず)かに、ポツンと()かんでいました。




「彼女の書いた、月夜の海と赤いお魚は、

 今、簡単に説明したけど、

 だいたい、そんな感じのストーリーで、

 そして、絵本の最後は、

 文章の無い、絵だけの見開きページで()めくくられていた。

 海底の大きなサンカク岩と小さな幼い海草が、明るいオレンジの日差しで一緒に照らされていて、

 その幼い海草の根元には、海草の新芽が1つだけ転がっている、

 ・・・そういった内容の絵本だったんだ」


そこまで話した私は、息をひとつ吐いた。

正面には、真っ暗な境内。

キザハシの1段目に置いた、円盤形LEDの淡い明かりで、

暗闇の中に、

すぐ近くの地面と石燈籠の足だけが、ぼんやりと浮かび上がっている。

ヒグラシたちの声は、

もう、だいぶ小さくなっていた。

バッタたちの細い声が、

今は、そこら中で響き渡っている。


体育座りをしていた私は、膝先で組んでいた手を離すと、

その手で、自分のすぐ横をまさぐった。

少ししてから、顔をそちらへ向ける。


・・・あぁ、そうだった。

レモネードは、もう飲み干してしまったんだ。


「どう思ったの?」

少年の声。

私は、ゆっくりと正面に向き直した。

手を、また膝先で組み、

お尻を片方ずつ浮かせて座り直し、少年に訊き返す。

「・・・絵本?」


「うん」


「ショックだったよ」

ひと言、そう答えてから、

私は、

ふたたび、ひとりで話し始めた。

「私が見て見ぬフリをしている間、彼女はどんな気持ちで待っていたか、

 それが、痛いほど伝わってきた」


「私は、なんてことをしてしまったんだ・・・って思った」


「落ち込んだよ」


「勿論、

 彼女が私のことを大切に想ってくれていたことは嬉しかった」


「こんなに想っていてくれたんだ、って」


「でも、

 全然、喜べなかった」


「私は、そんな彼女を裏切ってしまったんだ」


「絶望させてしまったんだ」


「つくづく、最低な男だと思ったよ・・・」

私は、そう言って顔をうつむけた。

息をひとつ吐く。

少し間を置いてから、もうひとつ。

少年は、何も言わなかった。


私は顔を上げた。

話を続ける。

「迷った」


「手紙を出すかどうか迷った」


「その絵本の出版社に、

 ファンレターとして、彼女に宛てた手紙を出せば、

 恐らく、本人の元に届けられるだろう」


「でも、

 彼女にとって、それは迷惑じゃないのか・・・とも思った」


「あの絵本のラストシーンは、こうも読み取れた」


「私とのことは、もう過去の思い出として割り切り、

 そうして、

 これからは別の、新しい生活を始めよう・・・ってね」


「仮に、そうだった場合、

 そんな彼女に対して、

 私は、自分の都合だけのために手紙を出して良いのか」


「新たな1歩を踏み出そうとしている人に対して、

 それを思い留まらせるような、邪魔するような手紙を出して良いのか」


「私は、絵本の最後のページを開いたままで、

 部屋でひとり、ずっと悩んでいた」



「夕ご飯を食べ終わり、

 自分の部屋で、

 また、彼女の絵本を読んでいた」


「いや、

 読んでいた・・・というより、見ていたんだ」


「彼女の描いた絵を、

 1ページずつ、最初からじっくりと見ていた」


「表情豊かで魅力的な、たくさんの海の生き物たち」


「カラフルなサンゴ」


「青い海」


「青い空」


「キレイな星空」


「キレイな月」


「色鉛筆を使って、

 ひとつひとつ丁寧に描かれていた、それらの絵を、

 私は、

 時間をかけ、隅から隅まで見ていった」



「最後のページを開いた」


「オレンジ色の日差しが、

 海底のサンカク岩と、

 小さな海草と、

 その根元の、海草の新芽を照らしている場面」


「私は、

 その最後のページの、端っこの方に、

 ちょっとした違和感を覚えた」


「砂地の上に、

 目立たないようにして、薄く何かが描いてある」


「緩やかに曲がった1本の線」


「円の一部のようだった」



「最初は、気の所為だと思った」


「私の早とちりだと思った」


「ただ、

 どうしても、そうとしか考えられなかった」


「ダンスの練習用の線だと思った」


「絵本の中の赤い魚は、

 また、練習用の線をわざわざ砂地に描いてたんだ」



「その線は、はっきりと描かれていたわけではなかった」


「砂地の模様や、

 あるいは、単なる色ムラのようにも見えた」


「私は、

 すぐさま、他のページの絵も見直した」


「何度も何度も見直した」


「他には何も見付からない」


「これだけだった」


「でも、

 そうして彼女の絵本を見直しているときには、

 もう、私の心は決まっていた」


「彼女に手紙を出すことを、

 そのときの私は、

 もう、決心していた」

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