111.「最初のモノ、主の前へ進み出よ!」
「最初のモノ、主の前へ進み出よ!」
大イカが、
会場のこちら側の、海の生き物たちに向かって、
大きな声で、そう言うと、
すぐに、
もっと大きな声の、元気の良い返事が聞こえました。
「ハイ!」
少し離れたところからです。
赤い魚は、そちらへ目を向けます。
ぶ厚いクチビルの、青い魚の姿が見えました。
会場の奥にいる、海の主を目指し、
さっそうとした様子で、スイスイと泳いでいます。
色とりどりの海草で編まれた、オシャレなチョッキを着ています。
チョッキの魚は、
海の主の、大きな顔の前へと進み出ると、
自分の頭をペコリと下げました。
それを見た海の主も、黙ってうなずきます。
主の隣にいる大イカが、
足を1本、高く持ち上げていき、
間を置き、
大きな声で告げました。
「始め!」
チョッキの魚は、
合図とともに、ゆっくり泳ぎ出しました。
まずは、
会場いっぱいに大きく円を描くように、右回りで泳いでいき、
海の仲間たちに、自分のチョッキをひろうします。
そうして、
ふたたび、主の前へと戻ってくると、
そのまま2周目を回りつつもスピードを上げていき、
3周目、4周目・・・と、
その描く円をちょっとずつ小さくしていき、
同時に、
会場の海を、ちょっとずつ上っていきました。
10周ほど回って、
海中に、
巻貝の、とんがった殻の形を泳いで描いていったチョッキの魚は、
その巻貝のテッペンに達するなり、
後ろに宙返りをし、逆さまになって、
海底を見すえて、
そんまま、
びゅーんと、一直線に下りてきました。
そして、
硬い岩盤に頭をぶつける寸前、クルッと身をひるがえし、
上を向いて、
動きをピタッと止めました。
少しすると、
いつの間にか脱げていたチョッキが、上から降ってきました。
それを顔面でキャッチすると、その場で小さく横に回り、
チョッキに、自分の体をサッと通します。
それから、
主の方を振り返り、泳いでいき、
その大きな顔の前に、ふたたび戻って来ると、
宙返りを、
ぐるん、ぐるん、ぐるん・・・と、勢いよく3回連続くり返し、
最後に、
逆さまの体勢になって、ポーズを決めました。
チョッキの魚は、
少ししてから逆さまをやめ、主の方へ向き直しました。
頭をペコリと下げます。
海の主が、満足そうに2度うなずくと、
その隣にいる大イカが言いました。
「うむ、ご苦労であった。
あとは、
皆の踊りが終わるまで、好きな場所で待っているがよい。
では次のモノ、主の前へ進み出よ!」
海の生き物たちは、
主の前に次々と現れては一礼し、
自分のダンスをひろうし、
また主の前で一礼して、
こちら側へ戻ってきました。
まだ小さい、エイの子どもたちが、
左右のヒレを、けんめいにパタパタ動かしつつ、
体の大きな父親と母親にエスコートされ、あちこちを泳ぎ回ったり、
クラゲのトリオが、
のんびり、ゆうがに、
ふわりふわりと、広い会場の海を舞ったりしました。
フォーメーションを組み、息ピッタリの泳ぎをしていた100ぴき以上の小さな魚たちが、
突然、1ヶ所にギュッと集まって、
次の瞬間、
パッと、海の主の形になったときには、
そこら中から、大きな歓声が上がりましたし、
カニの姉妹が、美しい声で歌いながら、
両手のハサミを、頭の上でゆっくり左右に振ったときには、
それを見ていた海の生き物たちも、
そのハサミの動きに合わせて、体を左右にゆっくり揺らして、
いっしょに楽しみました。
赤い魚の番が、
いよいよ、やって来ました。
「次のモノ、主の前へ進み出よ!」
大イカの声が、
会場の海に響き渡ります。
「・・・」
「・・・?。どうした?、
次のモノ、主の前へ進み出よ!」
「・・・」
「おい、そっちにいる小さな赤いの。
次はお前の番だろう。
ぼーっとしてないで、早く主の前に来い」
下を向いていた赤い魚は、ハッとしました。
あわてて顔を上げます。
「え?。ワ、ワタシ?。
えっと、えっと、
その・・・、な、なんでしょうか?」
つっかえながら、聞き返しました。
声が、少し裏返ってました。
周りで、
クスクス・・・と、小さな笑いが起きました。
「なんでしょう・・・じゃなくて、さっさとこっちに来い。
ダンスを踊るんだろう?。
ついさっき、オレに言ってたじゃないか」
大イカは、ちょっとあきれた様子で言いました。
「あ!、そうだった。
でも、まだワタシの番が来て――」
「だ、か、ら、
もう、とっくにお前の番なの!。
早く、こっちに来い!」
大イカは、
赤い魚の言葉を途中でさえぎり、声を荒らげて言いました。
周りで、
また、
クスクス・・・と、小さな笑いが起きました。
「す、すみません。
今すぐに、そっちに行きます。
すみません・・・」
あわてふためきながらも、
どうにか、そう返した赤い魚は、
すぐさま岩盤をけとばし、大イカと主の方へと泳ぎ出しました。
だれもいない、広々とした会場のまん中を、
1ぴきで、
いっしょうけんめい、ポンポン・・・と小さく跳ねていきます。
でも、
なぜか、まっすぐに進めません。
右に行ったり、左に行ったりします。
そのたびに、
赤い魚は、向きを細かく直しつつ、
必死に泳いでいきます。
それを見ていた大勢の海の生き物たちは、
あちらこちらで、
互いに顔を寄せ合っていました。
コソコソと、ささやいてます。
「なぁに、あの子・・・。
魚のくせに、もしかして普通に泳げないわけ?」
「あれじゃ優勝なんかムリに決まってるのにね・・。
アタシなら、大会に出ようなんて絶対に思わないわ」
「おい、見ろよ。目、でっか。
オレ、あんなの初めて見たよ」
「オレもオレも。
いったい何を食べたら、あんなにデカい目玉になるんだろ・・・」
「ねぇねぇ、
ほら、あの魚じゃない?。
暗い岩カゲにいつも1ぴきでいる、あの赤い魚。
そっくりじゃない?」
「あぁ、あの寂しい魚ね。
私たちが楽しく泳ぎ回ってるのをうらやましそうに見上げてたけど、
やっぱり友だち、1ぴきもいないのね。
かわいそうに」
主の前に、何とか無事たどり着きました。
自分の体よりもはるかに巨大な、その主の顔を、
下から、じぃっと見上げた赤い魚は、
しばらくして、
大イカの方へ向き直しました。
おそるおそる尋ねます。
「あの・・・、
ワタシ、いったい何をすれば?」
笑い声が、ドッと起きました。
大イカが、すぐに言いました。
「あぁ、もう!。
いいから、まずは海の主さまに頭を下げて!」
「は、はい!、すみません!。
ワタシ、
このとおり、すぐに頭を下げます!」
あわてて海の主の方へと向き直した赤い魚は、
すぐさま、頭をペコペコと何度も下げました。
海の主は、
そんな赤い魚の様子を黙って見ていましたが、
やがて、
静かに、1度うなずきました。
大イカが、ちょっとしてから言いました。
「ほらほら、おじぎはもういいから、
すぐに下がって、下がって。
これからダンスを踊るんだろう?」
「は、はい!、そうでした!。
ワタシはダンスを踊るんでした!。
失礼しました!」
どきまぎしつつも、何とか言葉を返した赤い魚は、
すぐに、後ろを振り向きました。
その瞬間、
こちらを見ている海の生き物たちの、何百もの顔が、
赤い魚の大きな2つの目に、一斉に映りこみました。
みんな、ニヤニヤと笑っています。
赤い魚は、
頭が、まっ白になりました。
「おい、どうした。早く下がれ。
下がってダンスを始めろ!」
その大イカの声は、
しかし、
赤い魚には聞こえませんでした。
目を大きく見開いたまま、
ただ、ぼう然としています。
会場にいる海の生き物たちは、互いに顔を見合わせると、
やがて、大きな声で笑い始めました。
「せいしゅくに!、せいしゅくに!。
ほら、せいしゅくに!」
大イカが、
持ち上げた10本の足を使って、海底を押さえつけるような動きをくり返し、
そうして、
静かになるよう、何度も言いましたが、
笑い声は、いっこうに収まりません。
そればかりか、
その、必死な様子の大イカをおもしろがり、
みんな、余計に笑い合っています。
海の主は、
しばらくしてから、目をゆっくりと閉じ、
また開いて、
そして、
大きな声で言いました。
「静まれい!」
重々しい、威厳のある声で一喝すると、
その途端、
さわがしかった笑い声は、ピタッと止まりました。
辺りには、
今は、
潮の流れる音だけが、
ときどき、小さく鳴り渡っています。
海の主は、
会場に居並ぶ、海の生き物たちの顔を、
端から端まで、ずうっと見ていきます。
そうして、ひと通り見終えると、
そのギョロッとした黒い目を大イカの方へ向け、言いました。
「この赤きモノは、いささか緊張しておるようだ。
ダンスは、もう少し落ち着いてからの方がよかろう」
大イカは、主を見上げて、
こっくりと、うなずきました。
「わかりました。
あとで踊ってもらいま・・・って、
おい、どうした?。
おい!」
赤い魚は、体を左右にフラつかせたかと思うと、
そのまま横に、
パタン・・・と、倒れてしまいました。
(助けて・・・、助けて・・・。
何もわからない、
ワタシ、何もわからないの・・・。
どうすればいいの?。
何をしたらいいの?。
わからない、わからないよ・・・。
お願い、だれか助けて・・・。
ワタシを助けて・・・。
助けて・・・)




