110.朝
朝。
赤い魚は、
太陽が明るく照らす海底の、まっ白い砂の上で横になって、
スヤスヤと眠っていました。
明け方に、ヒカリの魚が月へと帰っていったのを見届けたあと、
すぐに、この場所に戻ってきて、
大会前の、最後の練習をしていたのですが、
寝不足のためか、
途中で、いつの間にか眠ってしまったのです。
静かに寝息をたてている赤い魚の上を、
ヒラヒラとした長い背ビレの、黄色い魚たちが、
おしゃべりをしながら通り過ぎていきます。
「そう言えば、
ダンス大会の会場、主さまの家の前だって?」
「そうそう。
あそこ、周りに大きな岩がたくさん転がってるから気を付けないとね」
「えー。ちゃんと踊れるのー?。
ダンスの最中に、岩にぶつかったりしない?」
「いちおう、主さまの家の前だけは広々としているから、
だいじょうぶだとは思うけど・・・」
「向こうに着いたらさ、軽く泳いでチェックしようよ。
大会が始まるのはお昼だから、
まだ、時間はたっぷりとあるでしょ?」
「そうね、それがいいわね。
でも、
きっと、他のみんなもチェックのために泳ぎ回っているだろうから、
私たちは、なるべく空いてる時間にしましょ。
落ち着いて、ゆっくりと確かめたいわ」
「他のみんなは、どんなダンスを踊るんだろう?。
大会、楽しみだなぁ」
「そうね、楽しみね」
辺りが、少し暗くなってきました。
海の底を、冷たい潮が流れ、
寝ている赤い魚の顔を、
そっと、なでていきます。
赤い魚は、口をムニャムニャと動かし、
そのまま少しの間、気持ち良さそうにまどろんでいましたが、
やがて、ハッ・・・と目を覚ましました。
あわてて空を確かめます。
どんよりとした灰色の雲が、
空の一面を、広くおおっていました。
まっ暗ではありません。
まだ、夜ではないようです。
しかし、
正確な時間は、まったく分かりません。
朝なのか、昼なのか、
それとも、もう夕方になってしまったのか、
まったく分かりません。
赤い魚は、空を見上げるのをやめると、
すぐさま、海底を力いっぱいけとばし、
会場を目指して、
いっしょうけんめい、ポンポンと泳ぎ始めました。
だんだんと、会場が見えてきました。
でも、だれも見当たりません。
ひっそりとしています。
(あぁ、やっぱり間に合わなかったんだわ。
ワタシ、どうして・・・)
眠ってしまったことを後悔しつつ、会場に近づいていくと、
その会場の、
広々とした砂地の片隅にポツンとある岩から、カニが1ぴき出てきました。
両手のハサミを、頭の上で左右に振っています。
「おーい、そこの赤いの。
もしかして、ダンス大会に来たんかー?」
「え?。あ、はい。
でもワタシ、寝坊しちゃったみたいで・・・」
「寝坊?。
あぁ、もっと早くに来る予定だったんか?」
「・・・はい、そうです。
せっかく、あんなに練習したのに・・・」
赤い魚は、
そう答えて、うなだれました。
カニが、
そんな赤い魚のところまで歩いてきて、尋ねます。
「練習?、何の練習?。
場所取りの練習?。
それとも、応援の練習?」
赤い魚は、顔を上げました。
「え・・・、
いや、ダンスの練習ですけど・・・」
「だったら、何でアンタはガッカリしてるんだ?」
カニが、そう言うと、
赤い魚は、キョトンとしました。
「何で・・・って、
だって、
もう大会は終わってしまったんでしょ?」
それを聞いた途端、
カニは、声を上げて笑い始めました。
「終わってないし、まだ始まってもいないよ。
いい場所が取れそうになくて、それでガッカリしてるのかと思ったら・・・」
そう言って、
両手のハサミでお腹を抱えて、笑い続けています。
「え?、終わってない?。
だって・・・、だって、
ほら、ここにはあなた以外に、だれも・・・」
赤い魚は、
そう言いながら、辺りを見回します。
海の生き物たちは、
自分たち以外に、やはり1ぴきも見当たりません。
「あぁ、あぁ、すまない。
あまりにもおかしかったものだから、つい・・・、」
何とか笑いをこらえたカニは、さらに続けました。
「きのうの夜、
主さまの古傷が、急に痛みだしてしまってね。
けさになっても、その痛みが収まらなくて、
それで、
ダンス大会の会場、きゅうきょ変更になったんだ。
主さまの家の前だよ。
ほら、あっち」
そう言って、
カニは、ハサミを横へ向けました。
赤い魚も、顔をそちらへ向けます。
遠くの方に岩場があって、
そこに、ひときわ大きな岩がそびえ立っていて、
その大きな岩の近くを、
色とりどりの、様々な魚たちが、
せっせと、あっちこっちに泳ぎ回っています。
ダンスのリハーサルを、
みんな、いっしょうけんめい行なっているようでした。
「まぁ!、ホントだわ!。良かったぁ・・・」
赤い魚は、
ホッとした様子で、そう言うと、
カニの方を向き、
笑顔を浮かべて、明るい声で、
「教えてくれて、ありがとう!」
と、お礼を言いました。
そうして、
また、主の家の方へ向き直すと、
そのまま、
海底をけとばし、泳ぎ出しました。
「あ!、ちょっと待って!」
カニが、あわてて引き止めました。
「え?。・・・あ、はい、
なんでしょう」
すぐに止まった赤い魚は、
後ろを振り向き、聞き返しました。
カニが言いました。
「アンタ、
もしかして自由に泳げないのかい?」
「・・・はい」
赤い魚が、
うつむいて、小さな声で返事をすると、
カニは、
ハサミを持ち上げて、言いました。
「だったら、
ちょっと遠回りになるけど、あっちの方から行きなよ。
ほら、あそこに谷があるだろ?。
かなり深いんだけど、
でも、
あっちの方に行けば、石の橋が架かっていて、
上を渡れるようになってるんだ。
オイラも、
けさ、そこを通ってきたんだ」
「え?。
あ、はい、ありがとうございます!。
助かります!」
パッと笑顔になった赤い魚は、
お礼を言って、頭を下げました。
そして、
教えてもらった橋の方へ向き直し、
ポンポン・・・と、
リズムよく海底をけって、ご機嫌な様子で泳いでいきました。
カニは、
その、赤い魚の後ろ姿に向かってハサミを振ると、
岩カゲに、
また、すごすごと戻っていきました。
「あぁ、
ダンス大会、オイラも見物したかったなぁ・・・。
どうしてグーなんか出しちゃったんだろ・・・」
カニに教えてもらった橋を渡って、谷を越え、
コンブたちの森を抜け、
しばらく行くと、
辺りが岩場になり、
そして、
だんだんと、にぎやかになってきました。
海の生き物たちが、たくさんいます。
上の方では、
オレンジ色の小さな魚たちが、
30ひき以上で、わいわい自由に泳ぎ回っていて、
それを、
ちょっと離れた場所で、
同じ体の色をした、大きな魚たちが、
楽しそうに話をしつつ、見守っています。
岩のテッペンを見上げると、
カラフルな体のウミウシが、3ひきいました。
テッペンの、ヘリから、
頭の部分だけをのぞかせていて、
3ひきとも、
自分の2本のツノを下へ向け、細かく動かしていました。
そのツノの、向いている先を見ていくと、
岩壁に、
ウミウシが1ぴき、くっついていました。
のろのろと、よじ登りつつ、
こちらも、
2本のツノを、
テッペンにいる3ひきに向かって、細かく動かしています。
次いで、
視線を、海底の前方へ戻すと、
カニたちの長い列が、
横歩きで、こちらに近づいてくるのが見えました。
ハサミの大きさが、
みんな、左右で違っています。
カニたちが、
それぞれトコトコと、赤い魚の横をすれ違っていくとき、
その向こう側をふと見ると、
岩カゲで、タツノオトシゴが、
丸まったシッポを石にからませたまま、目を閉じていて、
ときおり流れる、ゆったりとした潮に合わせ、
体を、
静かに、ゆらゆらと揺らしていました。
ダンスの本番に備えて、気を落ち着かせているのかもしれません。
赤い魚は、
そうした、さまざまな海の生き物たちをあちこち眺めつつ、
立ち並ぶ岩の間を、
1ぴきで、
ポンポンと海底をけって、進んでいきました。
ようやく、
海の主の、家の前に着きました。
赤い魚の正面には、
途方もない大きさの岩が、高々とそびえ立っています。
クジラより、大きいかもしれません。
その、山のような大岩の、ふもとには、
これまた大きい、幅の広いすき間がありました。
クジラの、うすく開いた口みたいです。
赤い魚は、
さっそくポンポンと近づいていきます。
すき間の入り口から、中をのぞいてみました。
中は、広い洞くつになっていて、
ゆるく下っていきながら、向こうへ延びていました。
ちょっと先で、岩の壁に突き当たっています。
でも、
その壁の、右の方へ目を向けると、
洞くつは、
まだ、そちらへ延びていました。
暗くて、よく見えませんが、
ずいぶんと深そうです。
海の主は、
きっと、あの奥にいるのでしょう。
そのまま、しばらくの間、
洞くつの奥をじぃっと見ていた赤い魚は、
やがて、ゆっくりと後ろに向き直しました。
海底の一面を、ゴツゴツとした硬い岩盤がおおっていて、
広々としています。
どうやら、
ここが、ダンス会場のようです。
会場には、
大小さまざまな石が、あちらこちらに落ちていました。
それらを、
カニは両手のハサミで抱えて、魚は口でくわえて、
エイはシッポでつかんで、
ヒトデは、
張りついたまま、自分ごと少しずつ転がって、
そうやって、
みんなが、
ひとつひとつ、会場の外へと運び出しています。
そして、そんな中を、
エビたちが、
忙しそうに、せっせと行き交っていました。
体を海中に立たせた姿勢で、
小さな黒石を腹に抱えこんだまま、尾ビレで海水をけとばし、
後ろ向きのまま、
シュッ、シュッ・・・と泳いでいます。
「あの、すみません」
赤い魚は、
目の前をちょうど通りかかったエビに、声をかけました。
「おっと、ちょっと待ってな。
この石、運んじまうからよ」
そう返事をしたエビは、赤い魚の前を通り過ぎ、
そのまま、
会場の向こう側にある岩場の方へ泳いでいき、
そこで、抱えていた石を落としました。
そして、
すぐさま、背中をこちらに向けると、
シュッ、シュッ・・・と尾ビレで海水をけとばし、戻ってきました。
後ろ向きのまま、
赤い魚の前を、少し行き過ぎてから止まったエビは、
ちょうど目の前にいる赤い魚に、あらためて尋ねます。
「赤いお魚さん、どうしたよ?」
「あの・・・、
ワタシ、ダンス大会に出たいんですけど、
それをだれに言ったらいいのか、分からなくって、
それで、その・・・」
「あぁ、そういうことか。
だったら、
あっちでエラそうにふんぞり返っている白いのに聞いてくれ。
ほら、あのデカい体のアイツ。
アイツが、ここの現場のリーダーだからよ」
エビは、
そう言いながら、顔を横に向けました。
赤い魚も、そちらを見てみます。
海の主が住む大岩のすき間の、端っこのところに、
とがった頭の、ノッポのイカがいました。
10本の長い足をせわしなく動かしつつ、
大きな声で、せっせと色々しゃべっています。
赤い魚は、エビの方に向き直しました。
そして、
「あの大イカさんね。
親切に教えてくれて、どうもありがとうございます」
と、
お礼を言って、頭を下げました。
「いいってことよ。
さて、
こっちも、こんなところで油売ってないで、
さっさと次の石を運ばないと。
また、あの口うるさいリーダーにどやされちまう。
じゃあな」
エビは、
赤い魚の方を向いたまま、
伸ばしていた背中を思いっきり丸め、尾ビレで海水をけとばすと、
シュッ・・・、シュッ・・・と、
向こうへ泳ぎ去っていきました。
現場のリーダーという、大イカの近くに来ました。
大イカは、
海の主が住む大岩の、
自分の身長よりもさらに高い、巨大なすき間の前で、
10本の足を、
それぞれ、あっちこっちへ忙しそうに動かし、
口からは、まっ黒いスミをちょっとだけもらしつつ、
大声で、
ベラベラと、しゃべり続けていました。
「ほら、そっちのエビー!。
違ーう違ーう、お前じゃない、
今、石を置こうとしたヤツだよ。
・・・そう、お前だよ、お前。
その石は、そこじゃない、
もっと右だよ、右。
・・・いや、違うって!。
オレの方から見て右だよ!、こっちだよ、こっち!。
それくらい、ふつうわか・・・あ、
おい!、そこのカニ!。
そのコンブの葉はダメだ、もっと大きなのを持ってこい。
これくらいの大きさのヤツだ。
それだと海の主さまが・・・え?、
これ以上大きなコンブは、重くて運べない?。
だったら、みんなで協力して運べばいいじゃないか。
・・・え?、
疲れるから運びたくないって、みんなが言ってる?。
そんなの関係ない!。とにかく、もっと大きなコンブを持って・・・え?、
みんな、コンブをちぎるのに疲れてしまって休んでるから、
頼みにくい?。
あぁ、もう!。
つべこべ言わずに、
さっさと戻って、新しい葉を持ってこい!。
オレがカンカンになって怒ってる、ってみんなに言え!。
・・・おう、そうだ。早く行け。
あ、おい、こら。
ちょっと待て。待てったら!。
ちくしょう、
アイツ、持ってきたコンブを置いていきやがった・・・。
まったく、どいつもこいつも・・・あ!、
そこで泳ぎ回ってる、黄色い体のお前とお前。
ヒラヒラの・・・そう、お前らだよ。
ここは、まだ準備が終わってないから、
練習するなら、あっちの方に行って、
それで・・・」
赤い魚は、近くで大イカを見上げたまま、
しばらくの間、待ってみましたが、
話は、ちっとも終わりそうにありません。
口から、少しずつスミをもらしつつ、
ずうっとしゃべっています。
仕方ないので、
大イカがしゃべっている途中で、話に割りこむことにしました。
「あの!、大イカさーん!。
ワタシ、ダンス大会に・・・」
勇気を出し、
大きな声で、そう言うと、
大イカは、
口を動かし続けながら、目だけを下へ向けました。
ジロリ・・・と、
赤い魚を、一瞬だけ見て、
視線を、また辺りの海へ戻します。
そして、
そのまま、早口でベラベラと話しつつ、
10本の足のうちの1本を、
こちらへ、にゅうっと伸ばし、
その先っぽを、
赤い魚の顔の前で、そっと立てました。
もう少し待て、ということなのでしょう。
赤い魚は、
目の前に差し出された、その足の、
自分の顔と同じくらい大きな吸盤を眺めながら、
残りの9本の足を忙しそうに動かし、すごい勢いで話し続ける大イカを、
その場で、
しばらくの間、おとなしく待つことにしました。
「・・・そうそう、それくらいのコンブだよ。
お前たち、やればできるじゃないか。
まだちょっと小さい気がするけど、
まぁ、いいだろ。
もう、そんなに時間ないしな。
このコンブの隣に敷いて。
そうそう、その辺り。
オレが端っこを押さえてやるから、きれいに広げて。
・・・よしよし、良い感じになった。
ごくろうさん。
止める石は、あとでオレが乗せておくから。
あ、ちょっと待った。
そこに転がってる小さなコンブ、ついでに片付けといてくれ。
で、
それが終わったら、エビの方を手伝っ・・・あ?、
疲れたからもう休みたい?。
あと、ほんのちょっとじゃねぇか。
会場の準備が終わったら、いくらでも休んでいいからよ。
ほら、がんばれがんばれ」
イカは、カニたちを見送ると、
やれやれ、と言って、
赤い魚の前に伸ばしていた足を、自分の方へと引っこめました。
そして、その足を、
そのまま、自分の顔の近くへ持っていき、
そこに漂っていたスミを、サッと追い払うと、
また、
大きな目で、赤い魚をジロリ・・・と見て、
尋ねました。
「さてと・・・、お次はこっちか。
で、オレに何の用かな?。
そこの、ちっちゃな赤いお魚さん」
赤い魚は、
下から大イカの顔を見上げつつ、口を開きました。
「あの、
ワタシ、ダンス大会に出たいん――」
「あぁ、あぁ、
なんだ、そんなことか・・・」
大イカは、
赤い魚の話を、途中でさえぎると、
足を1本、
スッと、自分の正面にまっすぐ伸ばして、
さらに、言葉を続けました。
「そっちの後ろの、向こうの方に、
小さな黒い石がたくさん並べてあるだろう?。
ほら、この会場をはさんだ向かい側だよ。
岩場の手前。
ダンス大会に参加するモノは、あの黒い石のところで自分の出番を待つんだ。
あそこに青い魚がいるだろ?。
あの魚みたいに、
黒石のところで、おとなしく待ってればいい。
大会が始まると、
こっちの端っこにある石から順に呼ばれるから・・・って、
おーい!、
今、石置いたヤツ!。
もっと間をあけろ!、さっき注意したろうが・・・。
ったく。
・・・おっと、赤いお魚さん、
急に大声を出しちまって、すまねぇな。
えーっと、どこまで話したんだっけか。
・・・あぁ、そうだ。
こっちの黒い石から順に呼ばれるからな、
だから、
自分のダンスをさっさと早いうちに終わらせて、
で、他のモノたちのダンスをゆっくり見物したかったら、
こっちの方で待ってればいいし、
逆に最後の方が良ければ、あっちの方の石で待ってればいい」
大イカは、
会場の、あっちこっちへ鋭く目を向けながら、
そう答えました。
「分かりました。ありがとうございます」
赤い魚が、
お礼を言って、頭を下げると、
大イカは、
赤い魚を、また一瞬だけチラリと見ました。
そして、
「お安いご用だ。
こっちも長い時間待たせちまって、すまなかったな。
ダンス、がんばれよ。じゃあな」
と言って、
吸盤付きの足を、1本持ち上げ、
それを、
赤い魚の顔の前で、ゆっくりと左右に振りました。
「はい、ありがとうございます」
もう一度、お礼を言った赤い魚は、
そのまま後ろを振り返り、
会場の向こう側の、
黒石が並んでいる方へと、ポンポンと泳いでいきました。
「あの赤い魚、尾ビレが欠けてたのか。
だから、わざわざ海底をけとばして・・・。
しっかし、
それにしても、タツノオトシゴは何やってるんだ。
大会に参加する魚とかクラゲとかの案内は、全部アイツの仕事だろう。
まったく、
忙しいったら、ありゃしねぇ。
だいたい、
オレは、もっとのんびりした仕事がやりたかったんだ。
だから、
パーを出して、わざと負けてやろうと思ったのによ、
アイツ、
手足をぜんぶ丸めて、後ろにひっくり返りやがって・・・。
それ、何?・・・って、
そのまま気持ち良さそうに転がってるアイツに聞いてみたら、
これ、グー!・・・とか、得意げな声で返してくるし。
エッヘン、オイラすごいでしょ・・・じゃねぇよ。
足使うのは反則!、ノーカン!、もう1回!・・・って言ったら、
そっちだって足を使ってるじゃないか・・・って、ヘリクツをこね始めるし。
普段、ぼーっとしてるくせに、
みょうなところで知恵が回りやがって・・・。
チョキしか出せないって思ってたのに、あんなのアリかよ。
ちくしょう・・・。
アイツの、
で、そっちは何を出したの?・・・って、しらじらしいセリフと、
お腹を上に向けて、のんきに寝っ転がったままの、あの姿を思い出すと、
今でも、腹が立って腹が立って仕方が・・・あ!、
おい、そこの黄色い2ひき。
この辺は、まだ練習禁止だ。
別の場所でやってくれ・・・って、
おい、そこのカニ!、
それは石じゃなくて貝じゃねぇか。
必死に殻をパカパカさせて、
オレは石じゃない、助けてくれー・・・って言ってるだろうが。
黒ければ何でもいいってわけじゃねぇぞ。
あ、こら、
貝を置いて逃げるな。
おい、待てってば・・・」
ちょっぴり短気で口の悪い、おしゃべり大イカに教えてもらったとおり、
赤い魚は、黒石のところで、
目を閉じたまま、静かに待っていました。
これまでずっと練習してきた自分のダンスを、
頭の中で、何度も何度も確認します。
だんだんと緊張してきました。
何だかよく分からない、不安な気持ちが、
どんどん大きく、ふくれ上がっていき、
心が、
その不安な気持ちで、うめつくされていきます。
赤い魚は、
そうしたイヤな感情を、必死に追い払おうと、
自分が踊るダンスを、
頭の中で、
いっしょうけんめい、
ひたすらに、くり返します。
(だいじょうぶ。きっと、だいじょうぶ。
だからお願い、落ち着いて。
優勝はムリかもしれないけど、
でも、後悔のないダンスをしたいの。
満足のいくダンスをしたいの。
だから、お願いワタシ、
どうか落ち着いて・・・)
「やめい、やめーい。
全員、泳ぎをやめーい。
大会に参加するモノは黒石のところへ、
観客は決められた場所へ、
それぞれ、急いで戻られぃ!」
大イカの声が、辺りに響き渡りました。
赤い魚は、
少し間を置いてから、目を徐々に開けていきます。
赤い魚の、顔のすぐ前を、
ヘビのような長い体の魚が横切っていき、
その体が、ほどなくして細くなっていき、
尾ビレが見えたかと思うと、
赤い魚の正面に、会場が現れました。
魚は1ぴきもいません。
広々としています。
「せいしゅくに!、せいしゅくに!」
大イカの声が、
ふたたび、辺りに響き渡りました。
赤い魚は、顔をそちらへ向けます。
大イカは、さっきと同じ場所にいました。
会場の向かい側でそびえ立つ大岩の、
その、幅の広い巨大なすき間の端っこの方で、
足を1本だけ持ち上げていて、
その先っぽを、
自分の顔の横で、ピンと立てています。
「せいしゅくに、せいしゅくに・・・」
大イカは、
同じ言葉を、今度は声をちょっと落として言いました。
そうして、少し間を置いてから、
まだちょっとだけザワついている、海の生き物たちを、
順に、ゆっくりと見回していきました。
声は、さらに減っていき、
小さくなり、
ポツリ・・・ポツリ・・・となって、
最後には、
シーン・・・と静まり返りました。
大イカは、
会場の向こうに居並ぶ海の生き物たちを、もう一度見回すと、
顔の横で立てていた足を、そっと下ろしました。
後ろを振り返ります。
そのまま、すき間へ入っていき、
洞くつの中をちょっと進んでから止まって、
右を向きました。
頭を下げて、一礼します。
そうして、
足を2本持ち上げると、その足を小さく動かしつつ、
何かの話を始めました。
真剣な表情をしています。
緊張してるみたいです。
大イカは、
やがて、上げていた2本の足を下ろしました。
ふたたび、一礼します。
次いで、こちらへ向き直すと、
そのまま、洞くつの外に出てきて、
すき間の端の方へと、少しだけ寄ってから、
あらためて、こちらを向きました。
そして、
自分の、
大きくて、まっ白い体を、
姿勢正しく、ピーンと上に伸ばすと、
大イカは、
会場にいる、大勢の海の生き物たちに、
大きな声で、はっきりと伝えました。
「海の主さまが、おいでになられる」
辺りの海に、大イカの声が響き渡っていき、
すぐに静まっていき、
少しすると、
大岩の、すき間の奥に、
大イカの体よりもずっと太い、吸盤付きの茶色い足が、
ぬうっと現れました。
そのまま外へと、
長く長く伸びてきます。
足は、
そのまま2本、3本と増えていき、
5本になると、
それらは、
海底をおおう硬い岩盤を、ガッシリとつかみました。
すぐさま、
すき間の奥の方の、闇の中に、
巨大な、丸いタコの頭が現れます。
海の主です。
海の主は、岩盤をつかむ足に力を入れ、
岩のすき間から、
ズルズルズル・・・っと、はい出ると、
残りの足も、続けざまに外へ出し、
自分の住み家の前にきれいに敷かれた、コンブの上に座りました。
隣に並び立つ大イカの、顔くらいの大きさの、
まっ黒い目玉を、2つともギョロギョロっと動かし、
会場に集まった海の生き物たちの顔を、
端の方から、
順に、ゆっくりと見ていきます。
「・・・皆のモノ、」
海の主は、
重々しい、低い声を響かせ、
海の生き物たちの全身を、
辺りの海水や岩ごと、ビリビリと細かく震わせました。
言葉を、さらに続けます。
「ワシの古傷のせいで、会場が急に変更になってしまって、
すまなかったな。
迷惑をかけた。
傷の痛みは、すっかり引いた。
もう、だいじょうぶだ」
海の主は、
そこまで口にすると、目をゆっくりと閉じていきました。
間を置いて、
また、ゆっくりと開きます。
正面をまっすぐ見すえたまま、
8本ある足の、そのうちの1本だけを、
高く高く、静かに持ち上げていきます。
そして、
その立派な太い足を、ま上にまっすぐ伸ばしたまま、
海の、はるか遠くまで響き渡るような、
重々しい、大きな声で、
会場中に居並ぶ、大勢の海の生き物たちに告げました。
「ダンス大会の開催を、
今、ここに、
高らかに宣言する!」




