表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Summer Echo  作者: イワオウギ
III
103/292

103.「9月に入った」

「9月に入った」


「始業式の、その次の日」


「朝の10時半」


「およそ1年振りの高校の、4階の空き教室」


「中央に、長机がひとつだけ置かれており、

 私は、そこに一緒に用意されていたイスに座って、

 先生が来るのを待っていた」


「静かだった」


「聞こえてくるのは、

 遠くの方を走る電車の音と、

 あとは、

 私のすぐ隣に座る母親の、

 ガサゴソ、ガサゴソ・・・という、ハンドバッグの中を混ぜ返す音だけだった」


「落ち着かないようだった」


「教室に着いてから、

 母親は、自分の荷物を何度も確認していた」


「私も、少しだけ緊張していた」


「ときどき、

 左襟の校章バッジの向きを正したり、ネクタイを締め直したりして、

 気を紛らわせていた」



「4階の教室の、開け放たれた窓の向こうに広がる、

 晴れ渡った青空を見ているときだった」


「背後の方で、

 ガラガラッ・・・と、扉の開く音が聞こえた」


「振り返ると、

 大きな茶封筒を持った先生が、入り口のところに立っていた」


「私が学校に行かなくなったときの、担任の先生だった」


「おー、久し振りだなぁ。

 だいぶ(やつ)れた顔してるけど、元気だったかぁ?」


「入ってきた先生が、

 後ろ手で扉を閉めつつ、そう言ったので、

 座ったまま頭を下げようとすると、すぐに肩を叩かれた」


「隣を見ると、

 席から立ち上がっていた母親が、こちらを睨んでいた」


「私はすぐに立ち上がり、

 近付いてくる先生に向かって、頭を下げた」


「先生は片手を軽く上げ、それに応えると、

 そのまま長机の向こうに回り、イスに腰掛けた」


「あ、そちらもお掛けになって下さい。

 えーっと、

 昨日、電話でも簡単に説明したけど、

 キミは・・・」


「先生は、茶封筒から紙を出しつつ、

 そう言って、

 私の、学校での状況を淡々と説明し始めた」


「出席日数が足りず、去年は留年になったこと。

 今年も、普通に通っていたのでは3年に進級することは出来ず、

 授業後や、休日中の補講が必要になってくること」


「そして先生は、出席日数などが書かれた紙から顔を上げ、

 私を見て、

 改めて訊いた」


「それで、キミはどうする?」


「辞めます」


「やっぱり退学か」


「はい」


「退学したあとは、どうする?」


「フリースクールに行きます」


「フリースクールでは高卒の資格は取れないぞ?」


「知ってます。

 そこに通いながら、高卒認定試験を受けるつもりです」


「そのあとは?」


「センター試験を受けて、

 それから、行けそうな大学に進みます」


「高卒認定試験って、何月だっけ?」


「8月と11月です」


「じゃあ、キミが受けようとしているのは11月か・・・」


「はい、そうです」


「センター試験の願書の提出期限は知ってるか?」


「知ってます。

 10月中旬です。

 センター試験は、来年受験する予定です」


「来年受験するつもりなら、

 通信制の高校に通うという選択肢も、一応はあるけど・・・。

 それは知ってるか?」


「はい、知ってます」


「編入という形を取れば、この学校で取得した単位がそのまま引き継げるから、

 高卒認定試験に受からなくても、通うだけで高卒と認められるぞ?」


「いえ、フリースクールに行きます」


「理由は?」


「僕は、ずっと引きこもっていました。

 そういったサポートがあるところの方が良いと思いました」


「その話、

 もう、お母さんにはした?」


「はい、しました」


「何て?」


「それで良い、って言ってました」


「そうか・・・。分かった。

 じゃあ、先生はこれからお母さんと話をするから、

 キミは、この退学届けを見ておいて。

 まだ、記入はしなくて良いから」


「分かりました」


「休んでる間、

 何か、あったの?」


「え?。

 いや、特には何も・・・」


「そう?。

 以前のキミとは、雰囲気がだいぶ変わった気がするけど・・・」


「当時の私は、

 先生の、その質問に対し、

 少し考えてから、こう返したんだ」


「あぁ、

 そう言えば、確かに髪型はちょっと変えました」


「その後、

 授業料の払い戻しについての会話を耳にしながら、目の前の退学届けを眺めているとき、

 私は先生の言葉の意味にようやく気付き、急に恥ずかしくなった」


「先生同士の話のネタにされないか、ちょっと心配だった」


「でも、同時に、

 少しだけ嬉しかったのを覚えている」



「その帰り、駅で母親と別れた私は、

 そのまま本屋に足を向けた」


「店に入ると、

 レジの向こうでヒマそうにしていた店長が顔を上げた」


「おぉ、キミか。

 あの絵本、届いてるよ。

 ちょっと待っててな」


「あ、はい。ありがとうございます」


「この前は無駄足を踏ませてしまって悪かったね。

 もっと早くに届くと思ってたからさ」


「いえ、特には急いでなかったので大丈夫です」


「お、あったあった。

 お客さん、これですよね?」


「はい、そうです」


「月夜の海と赤いお魚・・・で合ってる?」


「はい、合ってます」


「良かった。

 じゃあ、お会計は・・・1980円になります」


「分かりました」


「そういや、

 学校は、もう終わったの?。

 えらく早いけど」


「え?。

 あぁ、今日は体調が優れなかったので、

 それで早退してきました」


「なるほど。

 お、ちょうどか。毎度どうも。

 ブックカバーはどうする?。付けられるけど?」


「えーと、

 あ、ブックカバーは無くていいです」


「あいよ。

 じゃ、さっさと会計済ませちゃうから。

 ・・・でも、

 見たところ、この前より元気そうだけどな」


「そうですか?」


「おう。

 今日は何か、晴れ晴れとした良いツラしてる。

 注文に来たときの方が、よっぽど病人っぽかったぜ。

 はい、絵本」


「ありがとうございます」


「私は、開けていたカバンに絵本を押し込むと、

 少し前の自分の言葉を忘れ、

 本屋の入り口に向かって、駆け出した」


「すぐに背中から、

 店長の、キツめの声が飛んできた」


「店内はお大事に!」


「お静かに・・・の言い間違えだったことには、あとで気が付いた。

 でも、

 もしかしたら、敢えてそう言ったのかもしれない・・・と、

 私は、

 お大事に(・・・・)しなくて良い店の外で信号を待ちつつ、ぼんやりと考えていた」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ