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Summer Echo  作者: イワオウギ
III
102/292

102.「8月になった」

「8月になった」


「外ではアブラゼミたちが、

 大きな声で、やかましく鳴いていた」


「私は部屋の中にいた」


「雨戸を閉めたままの、

 一日中、日の射さない自分の部屋で、

 天井にある蛍光灯の、人工的な明かりに照らされ、

 ひとり、無気力にゲームをしていた」


「私の生活は、あれからずっと変わらなかった」


「お昼過ぎに目を覚まし、

 ゲームや、ネットをして時間を潰し、

 そうして、朝早くに寝る」


「相変わらずの、引きこもったままの生活を送っていた」


「短かかった髪は、背中にかかるくらいに長くなっており、

 ヒゲも伸び放題」


「時折、街で見かける、

 浮浪者のような容姿になっていた」


「もう、自分の何もかもを諦めていた」


「全てがどうでも良くなっていた」


「夜の3時頃、

 家族が寝静まったのを見計らい、部屋を出て、

 ひとり、台所で食事をしていると、

 自分は何のために、今これを食べているのだろう・・・と、

 段々と疑問に思うようになってきた」


「毎日が退屈で、

 毎日が虚しかった」


「何故、自分が生きてるのか、

 分からなくなっていた」


「もう、いつ終わっても良い・・・と思うようになっていた」



「8月の中旬」


「その夜だった」


「隣の部屋では、

 妹が自分で持ち込んだ、居間の電話で、

 いつものように、誰かと楽しそうに話をしていた」


「私はひとり、

 パソコンでネットをしていた」


「自殺した人に関する記事を、

 その日は、ずっと読んでいた」


「何件も何件も読んでいた」


「開いていたページの記事を読み終わり、

 次を探そうとしたときだった」


「ふと、彼女のことが頭を()ぎった」


「それまで、

 なるべく思い出さないようにしていたことだった」


「途端に、

 今まで忘れていた罪悪感と強い後悔が、私の中に蘇ってきた」


「心が締め付けられ、胸が苦しくなった」


「すぐさま、

 その記憶を頭から追い出そうとした」


「忘れようとした」


「でも、考え直した」


「自分は、

 もう、きっと長くはない」


「最後くらいは、

 ケジメとして、自分のしたことにキッチリと向き合っておこう」


「彼女のことをしっかりと胸に刻んで、

 そうして、

 その痛みを抱えて、いなくなろう」


「この世界から、いなくなろう」


「もう、自分は必要ない」



「私は深呼吸し、心を落ち着かせると、

 彼女に関する記憶を、

 最初の方から、

 ひとつずつ、ゆっくりと辿っていった」


「漢字だらけの文章が気に食わず、

 読み飛ばしていたこと」


「対抗心から、読み始めたこと」


「いつの間にか、読むのが苦ではなくなり、

 いつの間にか、惹かれていたこと」


「見過ごすことが出来ずに、つい書いてしまったこと」


「距離が一気に縮まり、

 毎日、言葉を交わすようになったこと」


「お互いがお互いを気遣い、励まし合ったこと」


「自分の感情が、

 段々と、抑えきれなくなっていったこと」


「そして・・・」



「私は、サイトでの彼女とのやり取りを、

 時間を忘れ、夢中になって思い出していた」


「たった、5ヶ月前のことだった」


「でも、

 そのときの私には、それが無性に懐かしかった」


「穏やかな気持ちが、

 私の中に、久し振りに蘇ってきた」


「過去の、楽しかった記憶に、

 しばらくの間、私はそのまま浸っていた」



「彼女のたくさんある名前を、

 順番に思い出しているときだった」


「少し気になることがあった」


「彼女は普段、

 ネジ式ヤタガラス、狂想レクイエム、暗夜のゴシック祈祷人・・・みたいな、

 何となく、意味の分かりそうな名前を付けていた」


「でも、

 ひとつだけ、違うものがあった」


「全く意味の分からない、読めない名前があった」


「漢字4文字からなる、その名前は、

 一見すると、実在する人名のようだったが、

 しかし、

 そんな苗字を私は見たことが無かった」


「何かの漫画のキャラクターか、有名な小説家のペンネームか、

 あるいは彼女の造語か、

 その、いずれかだろう・・・と、

 当時の私は、気にも留めなかった」


「ただ、当の本人は、

 その名前を、いたく気に入っているようだった」


「最後の方は、ずっとそれを名乗っていた」


「由来は何だったんだろう・・・と気になった」


「それで、

 パソコンのキーボードを叩いて、ネットで検索にかけてみた」


「検索結果に、

 見覚えのある、談話室の彼女の投稿が、

 ずらっと並ぶ」


「でも、それらに混じって、

 1つだけ、

 相談サイト以外のものが、そこには表示されていた」


「通販サイト」


「その商品名には、こう書いてあった」


「月夜の海と赤いお魚」


「絵本」


「審査員特別賞、受賞作品」


「作者名のところに、

 検索した彼女の名前が、添えられていた」



「頭が真っ白になった」


「画面上のそれを、全く理解できなかった」


「何だ、これは・・・」


「何で、これが・・・」


「何も考えられなかった」


「何も分からなかった」


「ただ、呆然と眺めていた」



「しばらくすると、

 自分の中に、温かな感情が湧いてきた」


「次から次へと、

 後から後から湧いてきて、

 心の中が、

 すぐに、その感情で満たされた」


「温かな気持ちで、いっぱいになった」


「自分の中に、こんな感情があったのか・・・」


「私は驚いた」


「それは、

 今まで経験したことのない、

 とても温かな、

 そして、とても心地良い感情だった」



「やがて、目から涙が溢れ始めた」


「私は急いでそれを拭うと、力いっぱい両目を閉じた」


「ダメだ、泣かないでくれ。

 まだ、この感情に浸っていたいんだ。

 この温かな感情に、もうしばらく浸っていたいんだ。

 泣かないでくれ」


「私は、必死に涙を堪らえようとした」


「でも、体は言うことを聞いてくれなかった」


「閉じた目からは、涙が次々に溢れ出し、

 すぐに呼吸も震え出し、

 耐えきれなくなり、抑えきれなくなり、

 ついには、私は、

 その場でひとり、泣き始めた」


「家族に聞かれないよう、自分の声を懸命に押し殺し、

 部屋でひとり、泣いていた」


「ノートパソコンの前で、

 ずっと、いつまでも泣いていた」



「その次の日」


「朝の9時」


「私は、ドアの前に立った」


「深呼吸をひとつ」


「ゆっくりとノブに手を伸ばし、ロックを解除」


「もう一度、深呼吸」


「ノブに、改めて手を伸ばし、

 そっと握り、

 少し間を置いてから、右に捻る」


「ドアをそのまま押し開くと、

 向かいの部屋でパソコンをしていた父親が、こちらを振り返った。

 私は、

 それを無視して、廊下を進む」


「居間に着くと、雑誌を読んでいた妹が私の存在に気付き、

 すぐに立ち上がり、台所の方へと走っていった」


「私は、電話の前まで来た」


「受話器に手を伸ばし、

 息をひとつ吐いてから、それを持ち上げる」


「持ってきたメモに目をやりつつ、ボタンを順番に押していき、

 最後に、

 ちょっとだけ間を置いてから、指を離した」


「電話の呼び出し音が鳴る」


「受話器を耳に押し当てたまま、

 静かに待つ」


「部屋の入り口のところでは、

 母親と妹が、固唾を飲んで見守っていた」


「相手は、なかなか電話に出ない」


「私は、

 これから言うセリフを、頭の中で何度も何度も繰り返す」


「ひたすら繰り返す」


「自分の心臓が、聞いたことのないような大きな音をたて、

 ドクドク・・・と、激しく鼓動し続けていた」


「カチャ・・・。

 はい、お待たせしました。こちらNPO法人の・・・」


「あ、もしもし。あの、その・・・、

 僕、引きこもりでして。

 去年の10月頃から、ずっと学校に行ってなくて、

 それで、えっと、何だっけ・・・。

 えっと、えっと・・・」

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