99.「3月の中頃のことだった」
「3月の中頃のことだった」
「談話室で、彼女の投稿を見付けた」
「いつものように、
冒頭には、どことなく寂しげな風景の詩が載せられており、
その後に、自分の話が綴られていた」
「家族の楽しそうな笑い声を、部屋でひとり聞いていると、
堪らなく苦しい気持ちになってくる・・・という内容だった」
「私は、返信を躊躇った」
「これ以上、深入りするべきではない・・・と思った」
「彼女のことをここで元気づけてしまうと、もう引き返せない気がした」
「感情が抑えきれなくなりそうだった」
「どうなってしまうか、分からなかった」
「これ以上、深入りするべきではない」
「私は、彼女の言葉をしばらくじっと見つめたあと、
キーボードから手を浮かせ、
ノートパソコンを、パタンと閉じた」
「でも、
部屋でひとり、寂しそうにしている彼女を想像すると、
どうしようもなく胸が締め付けられた」
「画面の前で、私の言葉を待ってくれてるかもしれない」
「このまま、何もしないで良いのか。
声をかけてあげなくて良いのか。
私は、それで良いのか。
私は、それで満足なのか」
「心の中に、
焦りにも似た、言いようのない何かの感情が湧き上がってきた」
「段々と、居ても立ってもいられなくなってきた」
「あとのことは、あとで考えれば良いじゃないか。
とにかく今は、励ましてあげよう。
大丈夫だ。
きっと、どうにかなる」
「ノートパソコンをすぐに開いた」
「画面上の彼女の投稿を見ながら、彼女が元気になりそうな言葉を懸命に考え、
それを送信し、
ノートパソコンを、また閉じた」
「その後、
私は布団の中で丸まり、目を開いたまま、
ずっと考えていた」
「自分は、いったいどうなってしまったんだろう」
「送るつもりはなかった」
「これ以上ここで好きになっても、どうしようもない。
その先には何も無い。
何も出来ない。
思い苦しむことになる。
それは充分に分かっていたはずなのに、どうして書いてしまったんだ。
書くべきじゃなかった。
書くべきじゃなかったのに、何故・・・」
「少しずつ、自分が自分じゃなくなっていってるような気がした。
自分の意思が、徐々に彼女に支配されつつある気がした。
何かの拍子で正気を失ってしまいそうで、
気が狂ってしまいそうで、
私は、自分で自分が怖かった」
「次の日の昼過ぎ、
布団から抜け出し、サイトを覗いてみると、
彼女の投稿に寄せられていた、それぞれの返事に対しての、
彼女からの、お礼の言葉が付いていた」
「ただし、
私の返事に対するお礼の言葉だけ、何故か付いていなかった」
「彼女を怒らせるような返事を書いてしまったのだろうか。
それで、お礼の言葉を書きたくなかったから、
わざと書かなかったのだろうか」
「一瞬、そう思ったが、
しかし、彼女がそんな人でないことは、
私には充分に分かっていた」
「一見、失礼に思える人の返事に対しても、
彼女は毎回、律儀にお礼の言葉を返していた」
「それに何より、
私がどういう思いであれを書いたか、
何を願ってあれを書いたか、
彼女だったら、それを誰よりも正確に見抜くはず」
「なら、他に考えられる理由は、
お礼の返事を書いたけれども、それが管理人たちの審査を通らず、
そのため載らなかった・・・ということだった」
「しかし、
それも妙な話だった」
「以前、彼女は言っていた。
今まで1回も不掲載になったことは無い・・・と」
「掲載基準スレスレの、
危うい表現を使うこともなかった」
「いつも、
サイトのルールに則った、礼儀正しい文章を書いていた」
「何となく思った」
「向こうも、
こっちと似たような状態になっているのでは?」
「その事に対し、私は少し嬉しく思ったが、
しかし、すぐに思い直した」
「この状況は、非常にマズイ」
「良くない」
「お互い、危険な状態になっている・・・と」
「私は、
しばらくしてから彼女の投稿を離れ、自分の投稿を開いた。
気を紛らわすため、
貰った返事に対しての、お礼の言葉を書こうと思った」
「そこには、
彼女を含めた、仲の良い人たちからの返事が並んでおり、
そして、その最後には、
彼女からの、追加の返事が付いていた」
「読んでみた」
「お礼の文章を書いたのだけれど、でもボツになっちゃった。
ゴメンね。
あなたの言葉は好き。
でもそれを読むと、いつも心が痛くなってしまう。
苦しくなってしまうの」
「そのときの私は、
向こうも同じ状態になっていると確信した」
「一旦、距離を置こう。
ここでお互い、そんな感情になっても仕方ない。
会うことが叶わず、ふたりとも苦しむだけだ」
「そう書こうと思った」
「でも、書けなかった」
「理由は色々」
「私が、
気が狂いそうになるほど好きになっていることを、彼女に知られたくなかったし、
あとは、
他の利用者たちから、好奇に満ちた目で見られることも嫌だった」
「でも、一番大きな理由は、
彼女と、今までと同じように話せなくなってしまうことだった」
「このまま、ずっと話していたかった」
「彼女の話を、もっと聞いていたかった」
「彼女から離れたくなかった」
「疎遠な関係に、もう戻りたくなかった」
「だから私は、普通の返事を書いた」
「彼女の気持ちに気付いていないフリをし、
いつもと同じになるように細心の注意を払いつつ、
普通の返事を書いた」
「送信した後、何度も書き直そうと思った」
「でも、どうしてもそれが出来ずに、
そうこうしている間に、
その返事が、審査を通ってしまった」
「掲載されてしまった」
「私は、自分が怖くなった」
「自分の思うように自分が動かない」
「自分の意思通りに自分が動かない」
「いつも、いつの間にか、
思っていたことと別のことをしてしまう」
「気付いたら違うことをしている」
「自分のことが全く分からない」
「少しも理解できない」
「どうなってしまったんだ、私は・・・」
「それから少しして、
私の投稿に、彼女からの追加の返事が付いた」
「ただし、
一番新しい投稿ではなく、過去の投稿の方に付いていた」
「迷った末、読んでみることにした」
「私のために新しく投稿した・・・という内容で、
最後に、もっと話していたいから・・・と書いてあった」
「多分、初めてのことだった」
「そんなことをする人では無かった」
「特定の誰かのために投稿することも無かったし、
返事の催促をわざわざすることも無かった」
「彼女は、このサイトとは、
敢えて、一定の距離を置いている印象だった」
「のめり込み過ぎないように気を付けている印象だった」
「ついに一線を越えてきた・・・と思った」
「その、新しく投稿されたものを開いてみると、
そこには、
いつもと違って、彼女の詩だけが載っていた」
「恋人同士が手を握り、
夜道を、ふたりきりで歩いている詩だった」
「ダメだ」
「このままだと、
いつかお互い、おかしくなってしまう。
正気を失ってしまう。
このままでは、絶対にダメだ。
何とかしないと」
「当時の私は気付いていなかったけど、
このとき、もう既に正気でなくなっていた」
「意識が錯綜し、混乱し、
物事を、正常に考えることができなくなっていた」
「何とかしないと。何とかしないと。何とかしないと・・・」
「焦る気持ちばかりで、
どうしたら良いか、冷静に考えられなくなっていた」
「・・・」
「・・・そんな中」
「そんな中、私の出した結論が、
気付いていないフリだった」
「古い投稿に付いた彼女の返事や、新しく投稿された詩に、
私は気付いていないフリをした。
見て見ぬフリを、してしまったんだ・・・」




