100.「え・・・」
「え・・・」
少年が、小さく声を漏らした。
私は顔を俯け、
膝先で組んだ自分の手と、
その向こうの、
オレンジ色で照らし出された、仄明るい境内の地面を見つめる。
辺りでは、数えきれないほどのヒグラシたちが、
その寂しそうな声を、
一心不乱に、高々と響かせている。
カナカナカナ・・・。
カナカナカナ・・・。
カナカナカナ・・・。
しばらくしてから、
私は、
もう一度、繰り返した。
「私は、見て見ぬフリをしたんだ。
彼女の投稿を、無視してしまったんだ」
「だって、
そんなことしたら、その人・・・」
少年の声が、
途中で、こちらを向いた。
私は顔を俯けたまま、
静かに目を閉じた。
そのまま、
少し間を置いてから、息をひとつ。
やがて、ゆっくりと目を開き、
顔を上げた。
視線の先に広がる、夜の闇を見据えて、
続きを、
また、ひとりで語り始める。
「その次の日、
私の新しい方の投稿に、彼女からの返事が追加で付いていた」
「詩の投稿については触れられていなかった」
「一見、いつもの雑談」
「ただ、その返事の裏に、
私は、彼女の抑えがたいほどの苛立ちを感じていた」
「凄まじい怒りの感情が、何となく伝わってきた」
「彼女の、そんな態度を、
私は、一度も見たことが無かった」
「サイト内の誰に対しても」
「どんな返事に対しても」
「どんなときでも」
「ただ淡々と、自分の言葉を綴っていた」
「礼儀正しく、落ち着いた声を返していた」
「そのときが初めてだった」
「自分の感情を露わにし、あそこまで苛立った姿を見せたのは、
そのときが初めてだった」
「迷った」
「私は迷った」
「正直に打ち明けよう、と思った」
「お互いのために距離を置こうとしたことを、
正直に打ち明けようと思った」
「でも、それをしなかった」
「自分が間違った対応をしてしまったことを、
そのときの私は認めたくなかったんだ」
「彼女を酷く傷付ける、心無い対応をしたことを、
私は認めたくなかったんだ」
「このまま気付いていないフリを続けよう」
「大丈夫、誤魔化しきれる」
「すっとぼけたフリを、この先ずっと続けていれば、
いつか向こうも、
きっと、そう思ってくれるだろう」
「大丈夫だ。何とかなる」
「私は、
彼女の、苛立った返事に、
何食わぬ顔で、普段どおりの言葉を返した」
「すぐに、
また、彼女の追加の返事が付いた」
「やはり苛立っていた」
「私も、
また、普段どおりの言葉を返した」
「そして、その日を境に、
彼女は、パタッと姿を消した」
「投稿もしないし、
仲の良い人たちに対する返信もしない」
「そのサイトから、
急にいなくなってしまったんだ・・・」
「最初は、たまたまだと思った」
「すぐに、また現れるだろうと思っていた」
「でも、
それが3日、4日と続くうちに、
次第に自分の中に、焦りの感情が募ってきた」
「サイト中のあるゆる投稿と、それに付いた全ての返事を読み、
彼女の姿を探した」
「既に開いたことのある投稿も、新たに付いた返事が無いか、
何度も何度も確かめた」
「次から次へと投稿を開き、
必死になって、彼女を探した」
「一日中、探した」
「毎日、探した」
「でも、どこにもいない」
「見付からない」
「そのときになって、
自分のした過ちと、その深刻さに気付き始めた」
「もしかして私は、
とんでもないことしてしまったのでは・・・」
「彼女を深く傷付けてしまうような、酷いことをしてしまったのでは・・・」
「二度と立ち直れなくなるような、
そんな、取り返しのつかないことをしてしまったのでは・・・」
「なんてことをしてしまったんだ・・・」
「最低だ・・・」
「もしかしたら、彼女は・・・」
「焦燥感と後悔と罪悪感が複雑に絡み合った、
一筋の光も射し込まない、重苦しい感情のままに、
押し潰されてしまいそうな、強烈な恐怖心と不安感の中で、
私は、来る日も来る日も探し続けた」
「彼女の姿を、必死に探し続けた」
「そして、探し始めてから2週間後、
4月の初め頃、
ようやく私は、彼女の投稿を見付けることが出来た」
「談話室に投稿された、そのタイトルには、
こう書いてあった」
「お別れを言いに来ました」