63.櫻井栄吉
櫻井栄吉
「由美子はもともと虫人ではなかった」
マンジュとアロマの母、リカーナが次元の谷で出会った「死ねない迷い人」それが櫻井という博士だった。
「それは、ラグナの力を手に入れるために、ヨミ族たちの戦いがようやく終結したときのことだ。ヨミ族の頂点に立ったのは、手足のほとんどを失った大グモだった。大グモは手に短剣を隠し持ちながらこう言った」
「ラグナ、ヨミ族の戦士の戦いを見たろう。わしがお前にとって最高の餌だ。さあわしに寄生しろ」
ラグナが飛び上がろうとしたときだった。
「お止めなさい、そんなものでは倒せはしない。ラグナは全て見通している、あなたの心は全て」
女の声を聞き、ラグナは笑った。
「クククッ、その女の言う通り。ヨミの戦士にとどめを刺さず、倒したことくらい見過ごすと思うのか。お前はルノクスのムシビト、あのリリナの娘『リカーナ』だろう。母に劣らず美しい」
「性懲りも無く、こんなところでまたムシビトたちに寄生していたなんて。一体何のために」
「準備運動もかねてな、異界の餌が欲しくてその前に体を慣らしておかねばな」
ダゴスはラグナに聞いた。
「準備運動だと?」
「異界には、亜硫酸ガスというものがある。地底から噴き出すマグマや火口の煙、ヒトが創り出したものまである。わしはそれが苦手でな、ほらその岩の陰を見てみろ。それが、異界のヒトという知的生命体だ」
その男は、考古学者だった。『櫻井栄吉』という。彼はシャングリラを探し当て次元の谷に迷い込んだところをラグナに試しに『寄生』されたのだ。
「やはり、人にはすぐに寄生できぬ。だからこうして抜け出したという訳だ、礼の代わりにほら、この男はもはや永遠に死なぬ体にしてやったぞ、クククッ」
灰色のしわだらけの男は目ばかり爛々と輝いている。岩を伝って近づいて来てこう言った。
「頼む、殺してくれ……、既に妻も娘も死んでいる。生きていても何の意味も無い」
「ああして既に数百年はさまよっている」
「なんという事を、やはりお前は神などではない、悪魔そのものだ」
リカーナはそう言うと両手を天に上げた。
「マナの力でラグナ、お前を浄化します」
まばゆい七つの光から黒い光とともに一振りの刀が現れた。それが後の『黒龍刀』と呼ばれるものだ。一瞬で勝負はつき、ラグナは消え去った。
「かたじけない、わしたちのために」
リカーナは力尽きそのまま倒れた。抱き起こすダゴスの手を振りほどき、リカーナは立ち上がった。
「まだ間に合います、ヨミの戦士たちを救う事ができます。もう少しで私の力が戻ります」
「わしにできる事なら何でもする、彼らを助けてやってくれ」
リカーナは答えた。
「ラグナの事を教えてくれたのは虫人の姉妹。できる事なら私たちとともに新しいムシビトの国を創っていただけないですか。ヨミ族という名を忘れて……」
リカーナは、まだラグナは生き残っていることをダゴスに告げた。そしてヨミの戦士たちに術をかけた。
「ラグナ再誕のとき、ヨミの戦士よ甦れ。ヤミを打ち祓う先陣となれ」
そう言って刀を振り、その学者も打ち祓った。男は砂になった。理由はどうであれ、リカーナはヒトを殺した事をずっと気にしていた」
その学者「櫻井栄吉」の娘の名が由美子だったことまでリカーナは突き止めたのだ。