57.ヒメカとオロシアーナ
創神の時代までは、まだ産室と言うものもない、分離という方法で次の命をつなげるのだ。いよいよその時になると、身体が二分する。その手順はこうだ。まず手足が分離し、四本の手足を持つヒメカとなる。次いでヒメカは屈姿勢になり動かなくなった。身体はオロチの呪力によって、さらに黒く闇の色に染まっていた。そしてヒメカの背中が割れ、蝉が脱皮する様に白い頭部が抜け出してきた。その目は閉じていたが、ヒメカにそっくりの美しい顔立ちの神は二つの胸のふくらみを持って起き上がった。
一足早く分離した手が反転する様に抜け出しヒメカの腰を両腕でつかみ力を込めた。腕の力で倒立する様にして両足をヒメカから分離した。二人の神をつなぐのは無数の細い管。それを通じてヒメカの光、そして闇が新しい神に受け継がれていくのだ。
「えいっ!」
今まで閉じていたヒメカの両目が開き、そばにいたミコトの剣をつかむとその伝達の帯を即座に切り落とした。その反動で新しい女神は後方へのけぞった。女神を反射的に受け止めたミコトには何が起こったのかわからなかった。傷口は塞がったがヒメカがさらに漆黒になり、美しい顔が苦痛に醜く歪み始めていった。
「ヒ、ヒメカ、一体何をするんだっ!」
ヒメカがその訳をミコトに伝える時間はない。
「これでいい、私の光までも受け継ぐ娘『オロシアーナ』よ。この星を守りなさい」
オロチの呪力により、ヒメカの身体はさらに黒ずみ始めた。しかし彼女は微笑みながら、ミコトに自分を消し去る様に促した。
「ミコト、この身体が完全に闇の化身と変わった時、オロチが『根の国』から現れます。私の中に『オロシアーナ』の闇を封じ込めたのは、この娘を守るため、オロチの術を利用したのです。さあ今度は私をあなたの手で消し去って下さい。決してオロチに私を渡さないで」
「何を言う、オロチになどに渡すものか!愛しいヒメカ、心配するな」
「ミコト、嬉しい……。でもオロチの力はこうして私を闇の化身にさえ変えてしまう。オロチは私を手にして『根の国』からこの地上に再び甦ろうとしています。アマオロスの闇の邪神『ヤマタノオロチ』として」
ミコトは言葉を失った。ヒメカは身体を黒く変えてもまだ心に光を残していた。
「さあ、早く。オロチが現れる前に」
突然、巨大な爪のオロチの腕が叫び声とともに天を裂き、ヒメカに向かって伸びた。
「おのれ、このわしを裏切るのかっ!」
腕がヒメカをつかもうとした時、ミコトのカムイの嵐が、一瞬でその腕を切り落とした。
「グオオオオン」
黒い霧となり、腕が消え去った時、ミコトの持つカムイの嵐の切っ先にヒメカが倒れ込んだ。
「おお、ヒメカ……」
ミコトは剣を抜きさり、投げ捨てると既に息絶えようとしているヒメカを両腕で抱きしめた。
「これでいいのです。たとえ追い払っても、何度でもオロチは私を狙うでしょう。アマテラス様によってこの闇は永遠に封印しなければなりません。ミコト、この星をオロシアーナはきっと守ってくれるでしょう。あなたと私の娘ですものね」
「ヒメカ!」
ミコトの叫びに呼応したかの様に天界から七色の光が射し、ヒメカを包むとたちまち天界に連れ去った。その後には緑に輝く勾玉『オロチの牙』が残された。それを右手で拾い上げ、ミコトは『オロシアーナ』を抱き上げると一筋の涙をこぼした。それがヒメカの最後だった。