137.消え去るもの
消え去るもの
「そうか、なっぴ。地下壕なら気温の上昇に絶えられる、さすがにあの強い放射線を直接虫人に浴びせるわけにはいかないな……」
タイスケの言葉をなっぴは遮った。
「ううん、本当は虫人達の顔がまともに見られなかったからなの……」
「まともにみられない?」
「そう、私は彼等に大きな嘘をついて、ルノクスの地下壕に置き去りにしてきたの」
「嘘……」
「そう、ルノクス再生と引き換えに消滅するのは虫人達ではないの、私たちの記憶……」
「俺たちの記憶だって?」
「そう、地球の事も全て彼らの記憶から消滅してしまう。それが私とマンジュリカが交わした約束」
「そうだったのか」
なっぴは、アマテラスから降り注ぐ光が結界を突き抜けていく様を見ながらそう言った。
「タイスケ、見て。海が蒸気となって結界を内側から押し上げていく。冷やされた蒸気は地上に雨となって降りはじめている。その繰り返しがやがて新しい結界としてルノクスを包み込む」
強力な紫外線、それを防ぎ地表に生命の光のみを伝える「結界」。その最古のもの「オゾン」はこうして生まれていったのだろう。
「彼らにはまた新しい歴史が始まる。虫人としてようやく独り立ちできるようになったわ」
「なっぴ、それをお前が手伝ったことを誰も覚えているものはいないのか。なんだか寂しい気がするけど……」
タイスケはルノクスの引力圏に近づくとエンジンを止めた。正確にルノクスの衛星軌道に乗った「amato2」は機体の入念なチェックを始めた。AI「サクヤ」は忙しく各システムを調べる。タイスケは宇宙服を着て「スペクトル光発電パネル」の破損を調べている。なっぴは館内に残っていた。
「ごめんね、私の虫人たち……」
彼女は「アマトの丘」に固定されたカメラを通じ、ハニカムモニターに送られる映像にそうつぶやいた。地平線の彼方には「アマテラス」の起動により、青い輝きを増した「ツクヨミ」がひとつ浮かんでいた。
「夜になればここには新しく生まれ変わった虫人たちが現れる、きっとみんな不思議がるわね。あの丘に残った、大きなくぼみと大掛かりな固定カメラを見たら……」
宇宙服を脱ぎ、タイスケが戻ってきた。手際よく「アマト」の最後の点検は終了した。
「さあ。そろそろ衛星軌道からスイング・バイだ、虫人の星ルノクスに最後の別れをしよう」
しかし、彼女は操縦席を彼に譲ろうとはしなかった。
「ね、もうじき日が暮れる。虫人たちが現れるまでもう少しここで待ちましょう」
「今更何を言うかと思ったら、気は確かか?」
実際、それまでさほど時間はかからないだろう。だが、彼は首を横に振った。
「だめだ、なっぴ。僕たちがここにいるうちは、ルノクスは本物の星にはなれない。それに虫人たちの心の中には、すでに僕たちの記憶はないんだよ……」
それでもなっぴは操縦桿を話そうとしない、タイスケは彼女を操縦席から引き剥がしにかかった。
「やだ、やだ、やだーっ!」
「やれやれ、まるで小学生だな、全く……」
「もし、ルノクスに残り虫人たちと暮らすと私が言ったら、タイスケは私を軽蔑する?」
「いや、ちっとも。今からここを出発したって、いつ着くかわからない。それに無事に着いたとしても、もうとっくに地球さえないかも知れない」
「そんな……」
「少なくともこの星はこれから何もかも始まる。先人たちの知恵も高度な技術もそのまま残っているし、地球に戻ることだけが正しいことではないと思うよ」
タイスケはそう言うと、操縦桿を握った手を離した。なっぴの顔色が一瞬で変わった。
「タイスケ、本当にルノクスに残っていいのね?」
「それがお前の出した答えならな」
「……ルノクスに残る……」
虫人たちには二人の記憶はない、もしかしたらなっぴとタイスケは侵略者に映るかも知れない。
「虫人とともに暮らしたいというのなら、二人で暮らそうか、この星で」