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もう、空が暗い

作者: れおまる


 今日、その男は真っ直ぐ帰宅する気分ではなかった。特に嫌なことがあったわけでもなく、ただの気紛れだった。

 ならばあの子に会いに行こう、と思い立つ。コンビニに寄って缶ビールひとつと、チーズ鱈を二袋、そして魚肉ソーセージを一袋買う。


 電車を乗り継ぎ、最寄り駅に着いた。いつも帰宅ラッシュの人混みにまみれているだけで疲れるが、今日は別である。だって、あの子に会えるのだから。男はそれだけで嬉しかったのだ。

 信号を渡り少し歩いたところにある小さな公園に向かい、ベンチに腰を下ろす。いた。今日は探す必要が無かったので、更に嬉しくなった。


 目当ての子はこちらに気付いた瞬間、尻尾を立てて小走りで近付いてきた。自分に会えて嬉しいからではないのかもしれないが、男にとってそんな事はどうでも良かった。


 普段はあまり鳴かないが食事の催促に関してはその限りではない。毛並みと体格の良いその子は甲高い鳴き声を繰り返し発する。がさ、と袋が擦れると、更に高くなった様な気がした。


 そんなに慌てるなよ、と男は低いけれど優しく呟きながら袋の中身をベンチに置く。今日はどっちから食べさせようかな、と迷う。

 物事を決めるのは面倒臭いが、こんな選択ならば歓迎だった。とりあえず今日は数が多い方から食べてもらう事に決めた。チーズ鱈の封を切り、一本つまんだ。


 地面に落とすのは嫌だった。家畜の様に扱っている気がしてどうにも居心地が悪いのである。今か今かと待っているその子の口元に、チーズ鱈を近付けていく。

 はむ、と噛んだかと思うとみるみる溶けていくかのごとく短くなっていく。こういう時の可愛くも真剣な眼差しが、男は好きだった。目を細めるところが堪らないのである。

 その子は瞬く間に平らげて、もっとくれよと前足を膝に乗せてきた。もう一本つまんで食べさせる。人間は食事としてチーズ鱈を選ばないだろうな、と特に意味もない事を考えながら、夢中で食べるのを見ていた。


 そろそろ来る頃かなと何気なく顔を上げると、目当ての子がまたもやって来た。今いる子と良く似た柄と体格である。

 男は小さい子も好きだったが、どちらかと聞かれたら歩みが重そうな大きな体の方が良かった。ふてぶてしく寝転がる姿を見たら、それだけで十分な程だったのである。

 こちらの方は食い意地が張っており、置いてあるチーズ鱈の袋に近付けた鼻をくんくんと震わせていた。その子達の本能のままに動く姿は、見ているだけで幸せな気分だった。


 右手に食事、そして左手にも食事を持ち、その子達に食べさせる。男は交互に見つめながら、袋が空っぽになるまで繰り返した。特に笑いもせず、ただ静かに見守るだけだった。

 だが、別に誰かにこの行動を見せ付けているわけでもない。嘘臭い笑顔なんて必要ないのではないか? 男はそう思った。まあ、どうでもいいか、と呟く。会いに来て、一緒の時間を過ごす。それ以上何も望むつもりは無かったのである。


 ここでまた男は選択を迫られた。もう一袋いっておくか、それともソーセージにするか。こんな決断ならば歓迎する。さっきも同じ事を考えたかもしれない、と思いながら男は選ぶ。

 ソーセージの封を切って、オレンジ色の包みを破いた。その子達の目線が重なるのを感じながら、丁寧に剥いていく。お待たせしました、とピンクの魚肉を差し出す。


 いかん、と男はすぐ自分の過ちに気付いた。まるごとなんて気が利かないな、と苦笑いしながら適当な大きさにちぎる。

 男は少し潰して柔らかくし、その子にあげた。はむはむ咀嚼するのを楽しんでから、反対側で待っている子にもちぎってあげた。


 ここで注意しなければならない事がある。


 あまり人に慣れておらず、まだ野良の気性が強い場合はそのまま与えると口ではなく前足で取ろうとするのだ。鋭い爪が指に刺さると、軽い痛みでは済まない。

 しばらく鈍痛が指先に残るので気を付けなくてはならないのだ。なので、地面に落とした方がいいのである。慣れてからでないと、怪我をしてしまう恐れがあるのだ。


 買った時には多いかな、と思っていた食事もみるみる無くなっていった。その間、目当ての子達はひた向きに食べ続けていた。それで良いのである。まさに、男が見たかった姿を好きなだけ見せてくれたのだから。

 ソーセージ三本、そしてチーズ鱈二袋、すべて無くなったところで、男はようやく自分のために買っておいた缶ビールの存在を思い出した。


 素晴らしい今日という日、いや今というこの時間に乾杯、と男は呟いて缶を開ける。空きっ腹をちりちりと焼く炭酸のアルコールを感じながら、あまり味わう事もなく一気に飲み干した。

 もうあげるものは無かったので、男は手をそっと出した。すると、その子達は頭を擦り付けてきた。これは何度やられても堪らない。

 本来は警戒心の強い習性のはずなのだが、体重を存分にかけてくる様子からはとてもそうだとは思えなかった。しかも重みが個ではなく複数である。


 男は最早、口を閉める事など不可能だった。思う存分その子達との時間を楽しんだ。


 お腹と遊びたい欲求が満たされたその子達は、やがて公園から去っていった。特に別れの挨拶らしい行動も無かったが、人間相手じゃあるまいしそんなわざとらしいのはいいよな、と男は呟いた。



「あれ、もうこんなになってたのか」



 心行くまで楽しんでいたら、すっかり日が落ちていたのにようやく気付いた。こんなに夢中になれるというのも、また幸せである。



 普段は気付きもしない事に気付くというのは、そういう事なのかもしれない。



~おしまい~

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