私の素敵な王子様
昔々、あるところに、とっても平和な王国がありました。
しかし、問題が一つありました。その国の王と妃の間には子どもが一人もいませんでした。ゆえに、お世継ぎがいないのです。
そんなある雨の日に、城下の農地を視察していた妃が溝で溺れかけている蛙を見つけました。その蛙は奇妙なくらい泳ぎが下手くそで、妃は大変不憫に思い、助けてあげました。
すると、蛙は妃の手からひょいと跳びおり、そして朗々と語り始めました。
「やぁ、なんとお礼を言っていいものやら。人間の語彙の少ない私ですので、代わりに一つ、お告げをば」
なかなか流暢に人の言葉を操りながら、蛙は言いました。
「じきに、あなたは子どもを授かるでしょう。それはそれは美しい女の子です。それでは」
言うだけ言って、蛙はぴょんぴょん跳んで行きました。
あとに残された妃はただただ狐につままれるばかり。
しかし、蛙の言ったことは本当でした。一年後に、王と妃の間には可愛い姫君が生まれたのです。
長年、子どもを授かるのを夢見ていた二人は、それはもう喜びました。子どもが生まれたお祝いに、パーティーを開くような始末。育てる前から親バカ確定ですね。
そんな二人はついうっかり、一人の知り合いに招待状を出すのを忘れてしまいました。しかも、よりにもよって、そういうことに一番繊細な人物です。一度でも仲間外れにされると、一生引きずる勢いで根に持つ、ガラスのハートの面倒臭いやつでした。
そいつは厄介なことに魔法を使える数少ない人間でした。そいつは噂でパーティーがあるのを聞きつけ、自分のところに招待状がいつ来るか、とかなりウキウキしながら待っていたのに来なかったので、かなりショックを受けつつ、呪いの大魔法を準備して、姫君の生誕記念パーティーに殴り込みに行きました。
「ああ、なんと悲しきことでしょう。私が招待されなかったばかりに、姫は僅か齢十五にして、その命を落とすのだ!!」
呪いを発動させ、言いたい放題言った魔法使いは、満足したのか、すぐ帰りました。
さて、親バカ二人は娘への死の宣告にショックを受けます。場の誰もが、二人にかける言葉を見つけられずにいました。たった一人を除いては。
そのたった一人は、隣の友好国の首相でした。
首相は溜め息を一つ、王の肩をぽん、と叩き、言いました。
「招待状出し忘れたお前が悪い」
ばっさり切った首相に誰もが驚きます。けれど、みんな忘れていました。首相はこういう人です。
首相は悪いことは悪い、と切って捨てます。けれど、全く心のない人間ではありませんでした。ちょっぴり他よりオブラートが薄いだけです。
「お前が悪いが、娘さんが死ぬのが、やつの八つ当たりだというのも確かだ。八つ当たりで殺される娘さんがあまりにも不憫だ。というわけで、俺の方でなんとか、やつの力に干渉して、死から眠り、に呪いを緩和してやろう。一つ貸しだぞ」
「おお、恩に着る」
なんだかんだで首相は自分の部下の手を借り、様々な方面から呪いにアプローチして、王に宣言したとおり、姫君への呪いを緩和することができました。
それはいいのですが。
「呪いを完全に解くには、他の誰かが犠牲になるしかない。俺たちの力で死を避けることはできたが、お姫さんにそのときが来て、眠り出したら、目を覚ます方法がないんだ」
呪いをなかったことにすることはできないので、姫君を起こすには、別の誰かが身代わりに呪いを引き受けなければならない、という事実を首相は包み隠さず王に伝えました。
王はそこでごもりました。王にも妃にも、娘への愛はあっても、それを自分の命と天秤にかける根性はありませんでした。
当然、王や妃が持たないものをこの国の他の者が持つはずもなく、そんな現状に首相は再び溜め息を吐きました。
何年月日が経とうと、人の性根というのはそうやすやすと変わるものでもありません。娘のタイムリミットがあと五年に迫っても、変わらない王と妃の様子に、とうとう首相はお手上げポーズをとりました。
「じゃあ、あんまり切りたくなかったカードだが、埒が開かんので切らせてもらおう」
そう言って首相が提案したのは。
「じきにうちの国は政権交代だ。そのとき、新たに首相になったやつに、お前たちの姫さんを嫁にやれ。所謂、政略結婚ってやつだ。お前たちには姫さんのことで俺に一つ借りがあるだろう? と言ったら断れまい」
辛口で、悪役然としてすぱすぱ提案という名のごり押しをしていく首相。その真意に王も妃も辿り着けぬうちに、姫君は長い眠りについてしまいました。よくわからないけれど、首相がこれしか方法はないというので、それを信じて、王と妃は娘の政略結婚を了承しました。
さて、ここからが腕の見せどころ。首相は選挙前にあらゆる方面に手を回し、ある青年が首相になるよう、手段を選ばず、奔走しました。
その結果、首相はもう二度と国政の舞台には戻れなくなってしまいましたが、目的の人物を新しい首相にすることに成功しました。
その青年は一国を背負うにはあまりに若すぎる青年でした。それもそうでしょう。首相は姫君と釣り合いが取れるように考えて選んだ人物ですから。
それはさておき。問題は青年の性格にありました。首相よりも、あの面倒臭い魔法使いよりも、一癖も二癖もある性格の持ち主だったのです。
前首相と同じく、彼は切れ味の鋭い言葉の刃を持っていました。ゆえに、問題でした。
彼は政略結婚について、こんな風に切ったのです。
「隣国のお姫さんと結婚? そんなの知りませんよ。僕は政略結婚なんて嫌いです。会ったこともない女性と結婚とか、それって女性に対する冒涜ですよ」
こんな風に、ばっさり。
切られてしまった王は、困り果てました。それで、前首相に助けを求めました。
前首相はと言えば、こんな男だから、首相に選んだのだ、と抜かします。
簡潔に述べましょう。この青年はフェミニストだったのです。
女性に対する心遣いは言動にも表れているとおりです。まず、前首相は青年に、その台詞を言わせることが目的でした。
が、王はまだ前首相の真意が読み取れません。前首相は若干呆れつつ、フォローを入れてやりました。
「会ったこともない女性と結婚なんて、と言ったな」
「はい」
「なら、会ってみて判断すればいい」
さらりと前首相は青年に姫君の経緯を説明しました。
「まあ、発端は面倒臭い魔法使いなんだが、この国の姫さんは呪いをかけられて、長い眠りについてしまった。どんなに手を尽くしても起こすことはできない。君は私が見込んだ男だ。姫さんに会って、何か手を考えてはくれないか」
「なるほど、長い眠りについてしまった姫君ですか。呪い云々はおいておくとして、興味は湧きました。会ってみましょう」
前首相の思惑どおりにことが運び始めました。
青年は姫君の眠る部屋に行きました。そして、愛らしい姫君の顔にほうと溜め息をこぼしました。
それから、誰もが予想だにしなかった一言を口にします。
「姫君の呪い、解かなきゃだめですか?」
「はい?」
「このまま眠らせていても、いいんじゃないですか?」
衝撃的な告白です。さすがの前首相も、この反応は予想していませんでした。そのため、わけを問います。
「だって、姫君の寝顔、とっても可愛いですよ。僕はこのまま眺めていたい」
…………いやいやいや。
「というわけで、代わりに政略結婚の件、承諾いたしましょう。この姫君は僕のものだ」
冗談なのか何なのか、青年はすらすら述べ、異論は認めません、と宣言しました。ちゃっかり姫君のベッドに腰掛け、ベッドからはみ出た姫君の手の甲に軽く口づけをしました。
「閉じられた瞼の奥の色を見られないのは惜しいですが」
そんなことを呟き、青年はその夜、姫君のベッドの傍らで、眠りにつきました。
その翌朝のことです。
「ふわぁ、ん? あら、お父様、お母様、この方はだぁれ?」
そんな緊張感のない声を上げて、なんと姫君は目覚めました!!
これには城中が大騒ぎ。お祝いパーティーだ、と懲りない親バカたちが言い出したとき、それを止める者がいました。前首相です。
「パーティーとは不謹慎だと思いませんか? 王よ」
「何を言うか。娘が目覚めたのだぞ。これを祝わずして何を祝う」
そんな王の様子に、この件の間幾度吐いたか知れぬ溜め息を、前首相は吐きました。
「わかってらっしゃらない。お姫さんが目覚めたということは、代わりに誰かが呪いを引き受けたということです。誰が引き受けたと思います?」
「はて?」
どこまでもパーな王に溜め息を吐くのも疲れてきた前首相。そんな彼に正解を告げたのは、なんと目覚めたばかりの姫君でした。
「ベッドの傍らにいらした、あのお方ですね」
「いかにも」
姫君は肯定を受け、その愛らしい顔を憂いに翳らせました。
「なにゆえに、見も知らぬあのお方が、わたくしの身代わりを」
姫君の疑問に、前首相は全ての目論見を明かしました。
「あの青年は、実に女性にストイックでしてね。一度惚れたら、一生尽くす。それを私が利用した」
悪役然として、前首相は言いました。
「それでも彼はさとい人間だ。おそらく、どこかで私の目論見を看破していたはず。でなければ、寝際にあんなことは言わない」
「閉じられた瞼の奥の色を見られないのは惜しいですが」
青年はそう言っていました。瞼の奥など、見ようと思えば、いくらでも手はあります。それを見ることがかなわないと言ったのは……
「そんな。全てを承知で、あのお方は」
なぜ、と姫君は空に問いました。
すると、窓辺にぴょんといつかの蛙が入ってきて告げました。
「あなたが、可愛かったからですよ、と青年は言いました」