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君を忘れる  作者: 焦げたナポリタン
3/10

3【人は些細なモノを覚えない】

  【人は些細なモノを覚えない】


「ねえ記」

「なんだ?」

「いつから戸笈さんと仲良くなったの?」

「知らねえよ。てか、なんで言葉に棘があるんだ?」

「別に棘なんて無いけど」

「いや、あるから、めちゃくちゃトゲトゲしてるから」

 校長室に呼び出され、休学の提案を断ってから俺はいつも通り授業を受けた。そして、いつも通り昼飯を食べようとしていた。憶が作ってきた分があることはいつも通りではないが……。いや、そんな些細な異常はどうでもいい。いやいや、俺のお腹のキャパシティー的にはどうでもよくないのだが、俺の昼食風景に明らかな異常がある。それは、憶の作った弁当が白飯の上に焼いた肉が盛ってある、実におところらしい弁当だった。という事だけではない。

「今朝、私は彼と友達になったの」

「……憶、という事らしいぞ」

「という事らしいって、全然意味が分かんないんだけどっ!」

 昼休みになってすぐ、憶が俺と期裄の席近くにいつも通り座り弁当を広げたところで、教室内がざわついたのだ。その原因こそが、涼しい顔で俺の真正面に座る彼女、戸笈限だ。

 彼女は不登校ではないが、かなりの頻度で学校に来ない美少女として有名だからだ。まあ、この話は、彼女が教室の扉から俺の方をジッと見ている光景を見たクラスメイトの言葉を聞いて知った事だ。つい最近彼女の存在を知った俺は全く知らなかった。

 いやいやいや、彼女についてはどうでもいいのだ。問題なのは、学内で噂の美少女が学内で噂の記憶喪失宣告を受けた俺を訪ねてきて、昼食をともにしているという状況だ。

「戸笈さん、それ手作り?」

「ええ、簡単な物しか作れないけど、自分で食べるお弁当を作れるくらいには」

「私は記の分のお弁当も食べられるし!」

 普通にこの状況に適応して戸笈と会話をする期裄は凄いとは思う。が、落ち着きすぎだろうと突っ込みたくなる。そして、憶が無い胸を張って言っている事だが、もはや張り合う意味も分からないし、何に対して張り合っているのかもよく分からん。その前に人の弁当は食べるなよ。

「まあ友達が増える事は良いんじゃないかな? 悪い人ではなさそうだし」

「保柄くんは理解がある人で良かったわ」

「確かに悪い人ではなさそうだけど~」

 ジーッと戸笈に向ける憶の視線には明らかに疑念が含まれている。確かに、急に現れていきなり昼飯を同席されたら疑いたくなる気持ちは分からなくも無い。でも、俺と違って誰とでも仲良くなれる性格の憶にしては珍しい気がする。

 とりあえず、戸笈に関して考えるよりも昼飯を食べる事を優先した方が良いことは間違えない。何故なら、午後も授業が続くからだ。腹が減っては戦が出来ぬということわざがあるように、空腹状態では授業に集中出来ない。まあ、俺が日頃から優等生のように真面目に授業を受けているような人間か、と聞かれれば、胸を張って言える。否であると。

「それで? 戸笈さんはこいつのどこが良かったの?」

「期裄、俺を指差してコイツ呼ばわりとは失礼だな」

「だって、普通そう思うだろ? 明らかに戸笈さんと記じゃ接点無さそうだし」

「……まあな」

 戸笈は見た目通り美人だ。そして、学内でも美人だと話題に上がるほど知名度はある。更に、学校を休みがちで仲の良い友達が居るという話も聞かないときたもんだ。そんな戸笈が俺と友達になったと聞いたら誰でも不思議に思うだろう。そう思っているのは他人だけではなく俺自身も含まれるのだが。

「そうね、彼は普通の人じゃないから」

 そう言った時、雰囲気が凍り付くのを感じた。そして、その雰囲気の主な原因は憶だった。戸笈に向ける視線が疑念から敵意に変わっている。その敵意も隠すこと無く剥き出しで戸笈に放っているもんだから、同席している俺と期裄は眉をひそめた。

 しかし、その敵意を向けられている戸笈は涼しい顔をして、綺麗に層を重ねた卵焼きを一切れ口に入れる。

「記は普通だもん」

「いいえ、普通なわけないわ」

「記は普通に生活したいって言ってるの。だから、興味本位で関わろうとしないで」

「何か勘違いしているようだけど、その辺で彼に視線を向けている連中と私を同じにしないでもらえるかしら? 私は彼が一ヶ月後に記憶を失う事なんてどうでもいいの。確かにそれはこの世界では前例の無い珍しい事だと思うわ。だからそう言う点で彼を変わっているとか普通じゃ無いと思う人を否定はしない。最低だとは思うけど」

「え?」

「私が彼に興味を向けたのは、そんな事が遭っても平然としてる事。それに、大人を否定できる性格が気になったの。普通はそんな事が起こって、周りから気持ち悪い視線を向けられたら不登校になるでしょ。気持ち悪い視線は無くても、普通だったら怖いものだと思う。でも、彼は平然と彼女の手作り弁当を食べてる」

 そこで言葉を切った戸笈は俺に視線を向けてニッコリ笑い……。

「そんな人が普通な訳ないじゃ無い。すごく面白いわ」

 そう、言った。

「わ、わわわ、私は記の彼女じゃないしっ!! なんでこんなボーッとしてていつも変な事を考えてるやつなんかっ!」

 立ち上がり、大きな声で随分な事を叫ぶ憶を戸笈は首を傾げて見詰め、その視線を俺に向けてきた。

「あなたって、むっつりなの?」

「どうしてそうなる」

「だって、ボーッとしてて何時も変な事を考えてる男子高校生って言ったらむっつりでしょ?」

「男子高校生のそういう習性に関して全否定するつもりはないが、今回の場合は違う。それに俺は変な事なんて考えてない。全て意味のあることだ」

「なるほど、男子高校生が考える意味のある事ね。ごめんなさい、変態的な事しか思い付かなかったわ」

「ちょっとは考える素振りを見せろ! それに昼飯の最中にそんな事を考えるやつが居るか!」

「居るかもしれないじゃない。全ての可能性を否定するのはナンセンスだわ」

「なんか哲学っぽい話にしても無駄だからな!」

 今更他人の周りを気にしても仕方がないから全力で否定させてもらった。ここで否定しておかなければ、今後俺は戸笈から常に変態的な事を考えている奴だと思われかねない。

「まあ、あなたの考えている事については置いておいて、なんで二人は付き合ってないの?」

 首を傾げて澄んだ瞳を向けられて尋ねられる。その疑問がどういう根拠から向けられているのか分からないが、とりあえず憶の名誉を守ってやる必要がありそうだ。

「俺と憶は幼馴染みなんだよ。小さい頃からよく遊んでるし家族ぐるみの付き合いもあるから普通の男女に比べれば仲が良く見えるだろうな。あれだ、兄妹みたいなものだ」

「ふ~ん、そうなの。でも、兄妹なら手作りのお弁当なんて作ってくるかしら?」

「それは俺に聞かれてもな。なんか気が向いたから作ってくれたんじゃないか? なあ、憶」

 弁当を見て、所々焦げた卵焼きや、ちょっと形の崩れたおにぎりなんかが入っている。あとは焼いたウインナーや冷凍食品で誤魔化した感じだ。でも、焦げた卵焼きを一生懸命作ってくれたのは分かる。

「そ、そうよ! 全然、これっぽちも記の事を人間だって思ったことはないんだからっ!」

「いや、百歩譲って男子とは思われなくてもいいが、人間だとは思ってくれないと困るんだが……」

 今まで人間だと思われていなかったとすると、どうやら俺は餌付けしている野良犬とでも思われていたのだろうか? そう考えると、時々クッキーやらケーキやらを作った時に持ってきてくれる理由にも納得がいく。いや、今までは幼馴染みだからという理由だと思っていたのだが、憶の発言の方が俺の考えよりも信憑性がある。そもそも本人の発言なのだからそれは確定されたと言う事だ。

「とにかく、彼の扱いの話は置いておいて、私の話は正しく理解してもらえたかしら?」

「……誤解してごめんなさい」

「そう、誤解が解けてよかったわ」

 そう言って、再び自分の弁当に手を付け始める戸笈。まったく、彼女がなにを考えているか分からない。しかし、俺に対する悪意はないようだ。そもそも彼女が言っている“興味”というものが本当にあるのかもにわかには信じられない。仮に俺に対して興味があるのなら、ただ近くで昼飯を食べるだけではなく、もっとこう……質問とか相手からコミュニケーションを取ろうとするものではないのだろうか?

「で? 一ヶ月どうするの?」

「は?」

「は? じゃないわ、残り一ヶ月ただ無駄に過ごすつもりなの? と聞いているのだけど」

「いや、俺は普通に過ごしていればそれで――」

「あなたの言っているのは普通なのではなくて、ただ怠惰なだけよ」

「怠惰って」

「だってそうでしょう? 人には寿命というものがあるの、寿命というのは死を迎えるまでのその人間に残された残り時間の事を指す言葉よ」

「そんなの改めて説明されなくても分かってるって」

「じゃあ、何かをしようとしないの? 記憶を一ヶ月に無くすからと言って一ヶ月をただ無駄に過ごす気? この世の中には、あなたみたいに記憶を失わなくても自分の夢や目標のために努力している人は沢山居るわ。そういう人からすれば、あなたの行動は普通ではなくただ怠惰に時間を浪費しているだけよ」

「ま、まあ確かにな」

 俺も、普通がいいからと言ってもそりゃあ何か面白い事や驚く事があれば良いと思う。そもそも、俺の普通というのは、他人が俺の記憶がなくなるという事に過敏に反応して、気を遣われたり明らかに意識されたりする事を嫌っての事だ。だけど、一ヶ月で出来る事はそんなに多くない。一ヶ月という期間は思っている以上に短い事くらい分かっている。だが、俺もつい昨日記憶喪失の宣告を受けたばかりなのだ。今すぐにこの一ヶ月を充実させるなんて事を思いつける訳も無い。

 それに、この世の中で一介の高校生に出来る事はあまりにも少なく、小さい。

 たとえば、俺が記憶を失う前に宇宙に行きたいと願ったら、それは実現するだろうか? この世の中に宇宙へ行くための費用を全額負担してくれる富豪でも居れば実現できるだろうが、そんな可能性ははっきり言って無い。たとえが飛躍しているかもしてないが、願ったからと言って何でも出来る世の中では無いという事だ。

 でも、だからと言って何も望まないのは、確かに戸笈の言うとおり自分の幸福に対して怠惰なのかもしれない。

「あなたは何がしたいの?」

「いや、そんな急に何がしたいかって聞かれてもな……。普通そんな簡単に思いつく事じゃないだろ?」

「私はあなたと仲良くなりたいわ」

「えっ? お、おう……そうか」

 真っ直ぐ俺の目を見てそう言われた。誰が見ても口を揃えて美人だと表現するだろう戸笈の容姿でそう言われれば、ただの男子高校生の俺は口ごもるしか無い。しかし、素直という言葉で片付けられないくらい戸笈という人間は真っ直ぐすぎる。なんだかんだひねくれ者だと自負している俺からしたら、あまりにも真っ直ぐ過ぎて扱いづらい。ただでも俺の側には真っ直ぐな幼馴染みが居るって言うのに、更に真っ直ぐな人間が増えたらどう対応していいか分からない。

「そうだね。じゃあこういうのはどうかな? この一ヶ月でみんなのやりたいことを一つずつやるって言うのは? ただし高校生の俺達でも出来る範囲で」

「やりたいことか~いいねいいね!」

 期裄の提案に楽しそうに同意する憶。期裄は朗らかな笑顔を向けているが、俺の方を見てニヤリと笑った。奴め、なにか企んでやがるな。

「とりあえず、やりたいことは一人ずつ順番に提示していくことにしよう」

「って事は、そいつ以外のやりたいことはその時点では分かんないって事か?」

「そう。順番が早い人はそれだけやりたい事に使える時間が沢山ある。でもその代わり、遅い人は他の人のやりたい事を見てから考える時間が沢山ある」

「じゃあ、俺は最後でいいや。期裄の話だと、一番になった奴はすぐにやりたい事を考えないといけないんだろ? ムリムリ」

「二人はどうする?」

「一番がいい!」「一番がいいわね」

 同時に一番を希望する二人。二人は声が重なった事を確認すると、互いの視線を合わせた。憶の視線は戸笈への不満を含んだ視線で、戸笈の視線は憶を斜め上から見下ろしているような余裕を感じられる涼しい視線だ。

「俺は何番でも良いけど、こういうのは競った方が面白そうだから三人でじゃんけんをしよう」

 チラリと俺に向けた期裄の視線から俺は顔を逸らして逃げる。まるで俺が空気の読めない人間みたいじゃないか。まあ、空気が読むという能力が俺に無いことくらい、俺自身が一番分かってるのだが……。だからこそ、それを改めて言われているような気になるとばつが悪い。

「じゃあ、最初はグー、じゃんけんポン!」


 じゃんけんの結果から言えば、一番は憶、二番は期裄、三番は戸笈という順番になった。憶は戸笈に勝ち誇った表情でグーに握った拳を突き上げ、戸笈の涼しげな表情が微かに曇ったように俺からは見えた。憶に負けた上に期裄にも負けたのだから、涼しげな対応をしていた戸笈でも悔しかったのかも知れない。

 そして、期裄も戸笈も後日やりたい事を発表する事になり、今は憶のやりたい事とやらの発表を待っている所だ。しかし、既に憶はやりたい事が決まっているようで、ニコニコと笑って……発表をもったいぶっている。

「麻直さん? まだ発表しない気? もうすぐ昼休みが終わってしまうのだけれど?」

 じゃんけんが終わって三分が経過し、戸笈が若干イライラの込められた視線を向けて言う。三分という時間は話をもったいぶるにしてはちょっと引っ張り過ぎだと言うのは俺も同意見だから、とりあえず話を進めなければいけない。

「もったいぶらないで言えよ、憶。どうせ大した事じゃないんだろ?」

「なによ! 大した事じゃ無いって」

「だって、憶のやりたい事ってどうせどこかでワイワイ騒ぎたいとかそんなんだろ?」

「えっ!? なんで分かったの!?」

「憶が分かりやすいんだよ!」

 得意げだった憶の顔がシュンと沈み若干テンションが落ちた事が端から分かる。期裄は大きくため息を吐いて俺を見て、戸笈はなんだか「よくやった」と言わんばかりの満足げな表情を浮かべている。

「記のせいでなんかつまんなくなったけど、私がやりたいのは『お泊まり会』。みんなでどこか海辺のペンションに泊まってワイワイ騒ぐの!」

 憶のやりたい事は大体俺の言ったとおりだったが、泊まりがけというのが予想外だった。憶は、文化祭とか体育祭、遠足という学校行事には積極的で、学校行事でなくてもみんなで盛り上がるような事は好きな奴だ。そんなイベント好きの憶も、確かに修学旅行とか宿泊学習とか、泊まりがけの学校行事の時は一段とテンションが高かった覚えがある。しかし、泊まりがけとはかなりハードルが高そうだ。そもそも、憶がペンションというものを正しく理解しているとは限らない。どうせ、なんだか響きがオシャレというだけで出した単語だろう。

「泊まりがけとなると、土日に限られてくるね。でも次の土日に全員の予定が合えば出来そうだね」

「期裄、予定が合えば出来るもんじゃないだろ? 第一、憶の言った海辺のペンションって、借りるのに幾ら掛かるかも分かんないんだぞ。だけど、高校生の小遣いでどうにかなる額じゃないのは明らかだろ」

「いや、海辺じゃないしペンションでもないんだけど、タダで泊まれる場所の宛てはある」

「タダ!?」

 タダに過剰反応する憶を見てニッコリ笑った期裄は話を再開する。

「ここから来るまで二時間くらい行った山の中に、知り合いがやってるキャンプ場があるんだ。そこにペンションじゃないんだけど、バンガローがある」

「ばんがろー?」

「広さはまちまちだろうが、電気と水道も通ってて一応キッチンとか風呂とかは付いてる宿泊小屋の事だ」

「え! 良いじゃん良いじゃん! みんなで料理作って花火して!」

「花火って、まだ夏じゃないんだが」

「いいじゃんいいじゃん! この際、季節感なんてどうでもいいよ!」

 憶は日本人の百人中百人が、夏を感じさせるものとして認識している夏の風物詩にたいして滅多なことを言う。とりあえず、俺から日本の夏を彩ってくれている花火と花火職人の人たちに謝っておこう。あなた達のおかげで毎年夏を感じています、ごめんなさい。

「でも、いいのかしら? まだ確認を取っていないのに確定してしまって」

 戸笈の言うとおりだ。俺達はただ遊びに行くだけだが、向こうからしたら商売道具をタダ借りされるのだ。はいそうですか、なんて簡単に貸してくれる訳が無い。

「いや、今の時期はまだ泊まりの客は来ないよ。来るとしても大型連休と夏休み時期、あとは年末年始にちらほらと、くらいだから」

「そうは言ってもな」

「実は、ちょっと前に話が来てたんだ。設備点検も兼ねて泊まりに来ないかって。やっぱり長く使わない時期もあるから、設備がちゃんと使えるか確かめる必要があるんだ。定期的に点検はしてるみたいだけど、実際に泊まった方が確実だから」

 期裄の話には筋が通っている。そして、期裄が伊達や酔狂でこんなくだらない嘘を吐くような奴ではない。だから期裄の言っていることは真実だ。だったら一番大きな問題は解決された事になる。あとは、全員の予定に関してだ。

「ちなみに、俺は何も予定はないよ」

「私も空いてる! 今度の土日は部活休むからっ!」

「おい、それは予定が空いてるんじゃなくて、予定を空けるって言うんだぞ」

「私も土日に予定はないわ」

「はぁ~俺もこれと言って用事は無い」

「じゃあ、決まりだな」

 一番懸念されていたはずの四人の予定は案外簡単に都合が付いた。一番予定が合わなそうな部活動生の憶は予定を空けるようだし。しかし、憶に続いて予定が空いてなさそうな戸笈も空いているとは意外だった。

 戸笈の学校外の生活ははっきり言って謎だ。

 家族構成も分からないし、部活動をしていない事は明らかだが趣味や習い事の類いの話は全く聞かない。だから、休日の予定を予想しにくい。期裄は俺と同じで暇人だし最初から問題は無い。いや、時々クラスメイトから遊びに誘われて行っているのを見るが、そもそも予定が入っていたら期裄が話を提案するわけがない。

「よし、こっちから知り合いには話しておくから今度の土日には予定を絶対入れないでくれよ」

「わかったわ」

「わかった」

「ありがとう保柄くん! 楽しみだな~お泊まり会!」

 実に楽しそうに笑う憶を見て、期裄はニッコリと笑う。あんだけ喜んでいる顔を見ればそれは嬉しくなるだろう。特に、憶が相手なら期裄はなおさらなんだろうと思う。

 それにしても、急な話のわりに戸笈が乗ってきたのは意外だった。幾ら自分で友達になったと宣言したと言っても、泊まりがけで出かけるという行為に抵抗を見せてもいいはずだからだ。俺と憶は幼馴染みだからそのハードル自体が無いし、期裄とも俺達は長い付き合いだから気心も知れている。しかし、戸笈は今日初めて話した人間達と泊まりがけで出かけるのだ。

「…………あれ? そういえば戸笈、いいのか?」

「なんの事?」

「いや、俺と期裄が居るけど?」

「ああ、確かにそれはちょっと問題だね。戸笈さん本人は良いとしても、きっとご両親は反対されるんじゃないかな?」

「大丈夫よ。あの人達は私に無関心だから、そもそも学校を無断で欠席していても何も言ってこないし」

「そうは言っても、年頃の娘が同級生の男と泊まりで遊びに行くなんて聞いたら心配するだろ」

 俺も期裄も決して野獣な部類の男子高校生ではない。実に紳士的な男子高校生だ。だから、一般的に心配されるような間違いが起こる訳が無い。でも、俺や期裄を知らない戸笈の親からしたら心中穏やかでは無いはずだ。

「保柄くんは優しい人だから大丈夫。それに記にはそんな戸笈さんを襲う勇気も気合いもないから安心していいよ」

「なんだか俺が根性無しみたいないいかただな、おい」

「あるの?」

「いえ……ありません。ごめんなさい」

 怖い、俺を睨み付ける憶の目が怖い。あまりにも怖いから思わず謝ってしまった。

「でも、ちゃんと言ってお父さんとお母さんに許してもらった方がいいよ」

「分かったわ。でも、大人の使う善処します、という言葉に止めておくことにするわ」

 憶の言葉に戸笈はそう言うものの、大人の世界で、善処しますとか努力しますという言葉は総じてなんの意味を持たない言葉だ。ただその場を逃れるために使う、その場を乗り切るだけの使い捨ての言葉。そういう意味で戸笈が使ったのなら、彼女が親に了解をとる事はないだろう。

 さっきの戸笈の親に関する話題の反応から察するに、あまり両親と上手く行っていないのではないかという予想をしてしまう。それは俺の妄想であって完全なる邪推なのだが、あのハキハキとしていて物事をズバズバと言う戸笈が言葉を濁したという事は、きっとそうなんだろう。

 しかし、戸笈の家庭の問題を俺が色々考えたって仕方が無い。そう言い切ってしまうと、俺は自分が酷く冷たい人間に思えてしまう。でも、実際そうなのだ。俺が戸笈の家庭事情を憂いだところで、彼女に対して出来る事は何もない。それに、彼女が望まない以上、そういう考えは思いやりでもなんでもなく、ただの余計なお世話でしかない。

「じゃあ、問題はなにもなさそうだね」

「うんうん! あ、でも今の時期に花火って売ってるのかな?」

「確かに時期的にはかなり早いからね。今の時期から売ってるのかな? 帰りにちょっと探してみようか」

「ありがと! 三人ともよろしく!」

「やっぱり俺も行くのか……」

「当たり前でしょ! 私は部活で行けないし、保柄くんと戸笈さんだけに任せちゃ悪いし!」

「期裄、今日はまっすぐ――」

「ダメだね」

 ニッコリ笑って否定する期裄、まあ期裄が憶に対して甘いのは知ってるから仕方がない。

 しかし、こんな時期でも花火は売っているのだろうか? まだ夜は肌寒いし、浴衣で花火というより薄手の防寒着を気ながらの花火になってしまいそうだ。

「では、放課後に校門に集合でいいかしら? 私は別のクラスだし」

「そうだね、ショートホームルームが終わったら校門に集合して花火を買いに行こう。記もちゃんとめんどくさがらずに行くんだからな?」

「分かってるって」

 憶は改めて言う必要はないが、賑やかな事が好きだ。期裄はイメージ的にあまり騒がしい事が好きではなさそうだが、交友の広さからそういう騒がしい事には慣れているようだ。そして、俺だが、俺はもちろん騒がしいのが苦手だ。幼馴染みの憶が騒がしいからどうしても無理だとは言わないが、出来れば騒がしい事は避けて通りたいタイプの人間だ。最近は、昔っから憶が騒がしかったからその反動で俺が騒がしい事が苦手になったのでは無いか、そういう学説も俺の中だけで論じられている。

 しかし、俺よりも以外だったのが戸笈だ。親が許すか許さないかという問題の以前に、戸笈本人がお泊まり会なんて事を好むとは思わなかった。俺は戸笈との面識はほとんど無く、戸笈の事を何も知らないと言って良い。だが、雰囲気で分かる事もある。

 彼女は人とある一定の距離を意図的に取っている。それは傍目から見ても明らかだろう。でもそれ以外にも、人を諦めているような、そんな印象を受けた。

 大の大人、それも学校の教師に向かって向けた言葉は辛辣なものだった。でもそれは怒りを向けたというものではない。戸笈が俺のために怒るとは思えないというのもそうだが、やっぱり感情を剥き出しにしていなかったというのが大きい。戸笈は冷静で淡々としていたのだ。まるで、人という生き物に対大した期待を持っていないかのような、そんな雰囲気だった。

 だから、戸笈が参加するのは以外だった。

「何か失礼な事を考えてる?」

「いや、なんでもない」

 弁当箱を片付けて立ち上がった戸笈は、長い黒髪をふわりとなびかせて座ったままの俺を上から一瞥する。

 他人の思っている事なんて、所詮俺には分からない。だから、戸笈の考えている事について俺がどれだけ考えたって意味がない。だから、俺が考えていた事は真実かどうかも分からない俺の想像でしかない。それに、たとえ戸笈が人という生き物に大した期待を持っていないとしても、それは俺には関係ない事だ。

「じゃあ、また放課後に」

 そう言って歩きさる戸笈を見送った後、俺の腕を憶が突いてきた。視線を戸笈の後ろ姿から憶に向けると、なんだか俺の方を疑いの込められた目で見てくる。

「記、記って昔っからそういう所あるよね?」

「はぁ? そういう所ってどういう所だよ」

「確かに、そうだね。麻直さんよりも付き合いは短いけど、俺も記にはそういう所があると思う」

「だから、そういう所ってどういう所だよ」

 憶はなんだか機嫌が悪そうで、期裄は半ば呆れた様子で言う。俺は二人があまりにもハッキリした事を言わないから、とりあえずその“そういう所”という話題は聞き流す事にした。

「よし! 午後の授業も頑張るぞ~」

 グッと拳を握って気合いを入れる憶。その憶を穏やかな笑顔で見る期裄。そして、俺は視線を窓の外に移した。

 空は蒼い。でも真っ青な訳では無く白い雲が空を漂っていて、太陽の光も差している。俺はこの空を一ヶ月後には覚えていないだろう。それは、俺が記憶を失うからという訳では無く、こんな何の変哲も無い日の空なんて覚えていない事が普通で、覚えていたらそれはもの凄い記憶力の持ち主しかいない。だから、これは些細なものなのだ。だけど、でも、なんだが……。

 こんな些細な景色がとても重要なものに思えた。

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