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君を忘れる  作者: 焦げたナポリタン
10/10

10【  】

  【  】


「ほう。で、やっと付き合うわけになったと」

「なんで“やっと”が付いてるんだよ」

「だって、お互い好きなのに付き合わないから、いつ付き合うのかと思ってたし。ねえ、保柄くん」

「そうだね。記があんなに分かり易い奴だってのは意外だったけど、煮え切らないのは相変わらずだとは思ってたな」

「煮え切らないって、俺はそんなに優柔不断じゃなかったと思うが?」

 ファーストフード店の窓際の席に座り、正面に座っている憶と期裄に散々な言われ様の俺はアイスコーヒーに口を付ける。

 限と付き合う事になった。それをやっぱり友達である二人には報告しておいた方が良いだろう。そう思って二人に時間を作ってもらって話したのだが、心底驚かれると思っていた俺からしたら、二人の呆気ない反応には拍子抜けした。

「で? 俺達に彼女を紹介してくれないのか?」

「期裄らしくないな。そんな人の悪い笑顔でからかうなんて」

「そうかな~私は保柄くんの言い分は当然だと思うわよ。それに、私も幼馴染みに彼女が出来たんだから紹介してほしいし」

「憶は相変わらずニタニタ笑いやがって」

 完全に面白がってからかってやがる。この二人に俺が何を言っても無駄だ。そう思って隣に座る限に視線を向ける。その視線には「二人になんとか言ってくれ」という願いを込めた。

「紹介してくれないのかしら?」

 限はニッコリと笑っていた。……どうやら、限もからかう気らしい。

「……戸笈限だ。その、俺の彼女だよ」

 窓の外に目を向けて、目の前の二人を見ずに言う。耳に、憶がブッと吹き出す音が聞こえた。この野郎、絶対に何か仕返ししてやる。

「彼女の戸笈限です。よろしくお願いします」

 限もクスクスと笑いながらそう言う。ああ、笑われているのに『彼女』という言葉を限の口から聞けて、もうなんだかどうでも良くなれた。


 憶も期裄も心行くまで俺をからかい、それで二人とも「おめでとう」と言ってくれた。それを聞いて内心ホッとしたのは、俺だけの秘密だ。

 憶と期裄と分かれ、俺は限を家へ送るために限の家へ向かって歩いていた。

「記、今日は時間あるかしら?」

「ん? 何かまた用事があるのか?」

「いいえ、でも、もう少し私の家でお話しをしていかない? お茶とお菓子くらいは出すわ」

「そうだな。どうせ帰ってもやることないし。限と話してた方が楽しいし」

「そうかしら? 自慢ではないけれど、私は社交性の低さは折り紙付きよ?」

「そこは自慢するところじゃないぞ。まあ、社交性の低さは俺も同じようなものだ」

「フフッ、似た者同士ね」

「そうだな」

 俺はスッと限の手を取る。その俺の手を限はギュッと握り返した。俺は、その手の感触に心が温かくなって、それでその温かさに限りがある事を意識して、スッと心に冷たさが落ちた。

 もう、二週間もない。俺が俺として限と過ごせる時間は、もう残り少ないのだ。二週間後、俺が記憶を失った後、今の俺は消えてなくなる。限と出会った時に感じた事も忘れ、限と過ごした今までの思い出を忘れ、二週間後までのこれからも忘れてしまう。

 俺は、記憶を失って彼女を嫌いになってしまうのだろうか? いや、そんな事は絶対あり得ない。

 俺は、記憶を失っても彼女を好きで居続ける。でも、俺は彼と限のこれからを見る事は出来ない。

「記、私と居るときに悲しい顔をしないでくれるかしら?」

「えっ?」

「思い詰めた顔をして居たわ。何を考えているのかは分からないけれど、私は記と楽しく過ごしていたいの」

「ごめん」

「そうやって謝られるのも、私は楽しくないのだけれど?」

「じゃあ、どうしろって言うんだよ……」

 困ってそう吐露する。すると、限はニッコリ笑った。

「少し、いつも通りに戻ったわね」

 そう言ってから先に歩き出してしまう限を追い掛ける。

 後ろから見ている限の姿は、後ろ姿なのに雰囲気があった。

 傾いた太陽。地面に落ちた影。凪いだ風。下がった気温。

 黄昏に立つ、高潔の美少女。

「記?」

 振り返る高潔の美少女……いや、限は首を傾げる。

「ごめん、ちょっとボーッとしてた」

「ボーッとするくらいなら、私に見惚れてほしかったわ」

 隣に並ぶと少し口を尖らせた限が言う。その限には、本当に見惚れていたなんて恥ずかしくて言えなかった。


 気付けば時が過ぎている。気付けば、過去へ行ってしまったものは振り返る事しか出来なくなる。そして、前を向けば途切れた道がどんどん近付いてくる。

 玄関の扉を開ける。いつも通りの晴れた空に浮かぶ太陽から燦々と光が降り注ぐ。そして、その先には三人が立っていた。

「記、おはよう!」

「おはよう、記」

「おはよう、記。遅いわ」

 遂に、俺は最後の日の朝を迎えた。


  【また明日】


 校門を潜ると、一斉に視線が俺に向いてきた。その視線のほとんどは、好意的な物じゃない。否定的な、恐怖を孕んだ嫌悪の視線。

 記憶を失う宣告を受けた人間は、全世界で俺しか居ない。その特殊性を気持ち悪いと感じるのは仕方がないだろう。それに、その記憶喪失のメカニズムは解明されていない。そんな異常な人間に関わろうとする人の方が稀だ。

「記、今日は部活休むから」

「そうか」

 下駄箱で上履きに履き替えていると、憶がそうボソッと言う。まあ、無理に部活に行けとも言えない。それは俺だから言える無責任な言葉でしかないから。

「放課後はみんなで遊ぶから」

「遊ぶって何するんだ?」

「……」

「何も決めてないのかよ」

 憶に疑問を返すと押し黙った。それを見て頭を掻き、視線を期裄に向ける。俺に視線を向けられた期裄は、爽やかに笑った。

「そういえば、長く記の家に行ってないな」

「俺の家? 家に来ても何も楽しい物なんて無いぞ?」

「でも、放課後からどこかに遊びに行くにしても、カラオケとかファミレスで談笑とか、そのくらいしかないだろ?」

「確かにそうかもしれないけど、だからって俺の家ってのはどうなんだ?」

 自慢ではないが、俺の家に楽しい物は無い。まあゲーム機くらいならあるが、持っているソフトは大勢でワイワイやるには向いていない物ばかりだ。

「私も記の家がいい!」

「私も記の家が良いわ」

 憶と限もそう言い、俺はどうせ遊びに行くなら、もっと楽しい場所がいい気はした。しかし、三人が俺の家がいいと言うなら、まあ良いのだろう。

 俺は、明日になれば、今のこの記憶も無くしてしまっているのだろうか。こんな三人に悲しそうな顔をさせて、しかもそれを俺に悟られないように無理に笑いもさせて。それを、俺は忘れてしまうのだろうか?

 もしかしたら「セシリアの予測は外れてました」なんて事になるかもしれない。もしそうだったら、この一ヶ月、散々騒がせた俺は憶からどんな仕打ちを受けるのだろうか……。

 でも、もし、本当に記憶が無くなっていたら……。


 学校では、みんなが俺に関わろうとしないように心掛けているのが、いつもよりヒシヒシと伝わってきた。

 この一ヶ月間、毎日のように感じていたこの雰囲気も、明日には無くなるのだろうか? それも、今の俺には分からない。

「記、限ちゃんが来たから帰るわよ」

「おう、今日は早いな」

 限のクラスは俺達のような一般的な普通科クラスではなく、頭が良い奴が通う特進科クラスと呼ばれるクラス。毎日小テストという名のテストを受けさせられ、補講も頻繁にある学科だ。

「今日は補講も小テストも無かったから」

「そうか、んじゃあ、帰るか」

 立ち上がると、後ろからクラスメイト達が俺に視線を向け、そして一斉に視線を逸らす。一体、俺はどれだけ人気者なんだろう。

「全く、不愉快ね」

「ホント、さいてー」

 あえて聞こえるように言う限と憶を後ろから眺め、近くに来ていた期裄に視線を向ける。期裄は困った様に爽やかに笑っていた。なんでか分からないが、期裄がああやって笑うと何も言えなくなる。

「二人ともさっさと帰るぞ」

 最後になるかもしれない学校に、名残惜しさは感じなかった。それどころか、いつも通りの、やっと帰れるという安心まで感じる始末だった。

「マジであり得ない! 何なのあの態度!」

「なんで憶がそんなに怒ってるんだよ」

「だってあの態度、あり得ないじゃない!」

「本当に酷いわね。あんな腫れ物に触れるような態度は」

「まあ、実際腫れ物なんだから仕方がないだろ」

 どう接していいか分からん奴には関わらない。それは至極真っ当な反応だ。どちらかと言えば変わらず接する事の出来る三人の方が珍しい。

「で? 俺の部屋に来て何するんだよ」

「さあ?」「とりあえず話す!」「家捜しかしら?」

 期裄、憶、限の順に答え、それぞれの返答に眉を顰める。

 まあ、期裄は空気を読む奴だから、憶や限の雰囲気に合わせて無難にやるだろう。憶のとりあえず話すというのも、その漠然とした感じが憶らしいと言えば憶らしい。だが、一人だけ不穏な単語を口にした。

「限、家捜しって何だよ家捜しって」

「文字通り、家捜しよ? 彼女としてやっと彼氏の部屋に入れるのだもの。それくらいは許されるはずよ?」

「彼女になったら、令状無しに家宅捜索出来る特権でも付与されるのかよ」

「ダメなの?」

 首を傾げて尋ねる。なんでこうも真っ直ぐな目で聞き返してくるんだろう。こんな聞き返し方をされたら、俺の持っている常識が間違っているのではないかと不安になってしまう。

「ま、まさか! 記、変な本とか持ってないでしょうね!?」

「だからなんで憶が怒るんだよ」

 真っ赤な顔して、歯をガタガタ言わせながら俺を指差す憶。その憶に、俺はため息を吐く。

「確かに、彼女としてはそれは確かめておきたいわ。彼氏がどんな趣味なのかは気になるし」

 限は腕を組んで考え込みながら言う。いや、気にならないで良いから。確かめる必要もないから。

「限ちゃん、男の子はそういうのベッドの下に隠すらしいよ。ね? 保柄くん」

「えっ? ど、どうかな?」

 さしもの期裄でも、いきなり好きな女の子からエロ本の話を振られては、冷静な対応は出来ないらしい。まあ、期裄もやっぱり人の子だったという事だ。

「でも、最近の高校生で実物としてそういう物を持ってる人は少ないと思うよ。大抵、パソコンとかスマートフォンの中に画像とか動画を保存してるんじゃないかな?」

 動揺を治めて持ち直した期裄がニッコリ笑う。とりあえず話をはぐらかすしか出来なかった俺とは違って、こんな返しをするとは思わなかった。

「記、少しスマートフォンを貸してもらえるかしら?」

「嫌だよ」

 限がニッコリ笑って差し出す手を見て、すぐに拒否する。

「記……黒ね」

「ええ、真っ黒だわ」

 何も悪い事をしていないのに、いつの間にかこの扱いである。それもこれも期裄のせいだ。

「これは幼馴染みとしても確かめておく必要はあるわね!」

「何なんだよ、その超理論は。幼馴染みってそんなに色んな境界線飛び越えられる存在なのかよ……」

 彼女といい、幼馴染みといい、俺はその二つの認識を改めないのいけないのかもしれない。

 そんな話をしているうちに家まで着き、俺は玄関を開ける。

「ただいま」

「おかえり。あら? 憶ちゃんに戸笈さんに、保柄くん?」

「ああ、なんか遊びに来るって言うから連れて来た」

 ダイニングから顔を出した母さんが、後ろに居る三人を見て驚く。

「どうしよう、お菓子とかあったかしら?」

「おばさん、お邪魔します!」

「お邪魔します」

「お久しぶりです。お邪魔します。どうぞ、僕達にはお構いなく」

 期裄が笑顔で言うと、母さんはニッコリ笑ってダイニングの奥の方に消えていく。俺はそれを見て、深くため息を吐いて憶に視線を向ける。

「憶、二人連れて部屋行っててくれ」

「分かった」

 憶の後を限と期裄がついて行くのを見送って、俺はダイニングに入る。

「何も出せそうなお菓子がないわね。困ったわ」

「母さん、何も要らないって」

「そういうわけにはいかないわよ。お友達二人と彼女さんも来てるのに」

「だ、大丈夫だって、みんなお菓子食べに来たわけじゃないし」

 母さんから彼女なんて言葉を聞くのに、未だに慣れない。

 母さんと父さんには、俺と限が付き合う事になったのは、すぐに話した。父さんは「そうか」としか言わなかったが、母さんは「あんな可愛い子が記の事を好きになってくれるなんて、本当に良かったわね!」と、大変失礼な祝福を受けた。でも、その後に「てっきり、憶ちゃんと付き合うのかと思ってたけど」と笑顔で言われた時は、何ともコメントしようがなかった。

「少し、買い物に出てくるわ」

「あっ、別に気を遣わなくていいって――行っちゃったよ……」

 母さんが財布を持って飛び出して行くのを見送り、俺は頭を掻いて四人分のコップを準備する。

「記、良いのか? 麻直さん、ベッドの下に何も無いって分かった瞬間、パソコンの電源を入れてたぞ」

「良いのかって、期裄が元凶だろうが」

 俺がお茶を注いだコップの二つを手に取って、笑いながら期裄が尋ねる。

「いきなりあんな話を麻直さんから振られて、俺にどうしろって言うんだよ」

「まあ、憶は良い意味でも悪い意味でも空気読まないからな」

「それは、記もそうだろ?」

「俺はあえて読まないんだ。天然物の憶とは違う」

「尚悪いぞ、それ」

 そんな会話をしてフッと笑う。そして俺は、期裄に言った。

「期裄に頼みがある」

「何だよ、改まって」

「憶の事を頼む」

 俺がそう言うと、期裄は朗らかな笑顔を消して、真顔になる。そう言う顔をされるのではないかと、そんな気はしていた。

「まるで、記が憶さんの面倒を見られなくなる。そんな言い方だな」

「実際、そうなるかも知れないからな。そうならないかも知れない。でも、そうなった時に、きっと憶の心を傷付けてしまう。その時に憶の事を頼めるのは、期裄しか居ないんだ。だから、頼む」

「俺、麻直さんに振られた立場なんだけど」

 期裄は困った様に笑う。

 分かってる。期裄がそう言う、人の心の奥底に踏み込むのを躊躇う事は。それが好きな人の事なら、尚更慎重になることくらい。でも、他に頼める奴は居ない。

「友達の頼みだ。聞いてくれ」

「……仕方ないな、親友の頼みなら聞いてやる」

 少し戸惑った期裄は、それでも笑顔で頷いてくれた。これで、憶の事は大丈夫だ。憶が落ち込んでも、きっと期裄がなんとかしてくれる。

「記、戸笈さんの事はどうするつもりなんだ?」

「……限の事は、誰にも任せたくない。でも、一番心配だ」

「きっと、戸笈さんは人一倍辛いだろうからな」

 限の事を誰かに任せるなんて嫌だ。でも、心配なのは確かだ。きっと辛い思いをさせてしまう。

 もし、俺が限の立場だったら抱き締める今日は笑う事なんて出来ない。明日になったら、限が自分の事を綺麗さっぱり忘れてしまうかもしれないのだ。そんなの、堪えられるわけがない。でも、限はいつも通りの様子で居てくれている。それがより、心配だった。

「自分の彼女は自分でどうにかしろよ」

 コップを持った期裄が俺の方を向いてダイニングの出入り口を顎で指す。

「そろそろ、行かないと記の性癖バレるぞ」

「ああ、そろそろ諦めて憶が文句垂れ始める頃かな」

 互いに笑顔を作り言う。その笑顔はやっぱり、期裄の方が上手かった。


 部屋に入ると、パソコンの前で頭を抱える憶と、両腕を胸の前で組んで立っている限が見えた。

「ちょっと! なんでパスワードなんか掛けてるのよ!」

「どっかの誰かみたいに、勝手に人のパソコンの中身を漁ろうとする奴が居るかもしれないからな」

 パスワードの認証画面のまま進んでいないパソコンの画面を見て、俺はマウスを操作して電源を落とす。

「せっかく面白い話の種になると思ったのにー」

「人のプライベートを話の種にしようとするな。ほら、お茶持ってきたから」

「ありがと」

「ありがとう」

 憶と限にコップを渡してから、期裄が背の低いテーブルの上に置いたコップの前に座る。

「それにしても、記の部屋っていつ来ても何も無いわね」

「何も無くてすみませんねぇー」

 部屋を見渡した憶の感想に、俺はコップのお茶を飲みながら答える。

「でも、男の子の部屋ってもう少し散らかっているものだと思っていたわ」

「まあ俺の部屋は散らかりようがないからな」

 物がそこまで多くないから掃除も行き届いているし、こまめに掃除もしている。まあ、自発的にやる事はあまり多くないが。

「そういえばさ、限ちゃんってやっぱり人気あるよね! バレー部の男子に限ちゃんの連絡先を教えてって聞かれたし」

「あー、俺も何人か男子に聞かれたよ」

「マジかよ……」

 憶と期裄の話に、俺は不安になる。彼女が周りからもモテると言うのは悪い気はしない。でも不安にはなるものだ。

 自分よりイケメンの男や、イケメンでなくても自分より魅力的な男が限を狙っていたら。そう考えると背中に寒気が走る。

「でもちゃんと、彼氏いるからダメって言っといた」

「俺も、戸笈さんには彼氏が居るって断ったよ」

「よくやった二人とも」

 二人の満足いく答えに俺は何度も頷く。二人を介して近付いてくる内は安心だろう。

「私は記以外の男子は御免ね。あの下心しか見えない下卑た目を向ける連中に興味は無いわ」

「まあ、男子ってそんなものよね。結局は、そういう事しか頭にないのが男子だし」

 男子に対して苦評する女子二人を前に、男子二人は何も言うことが出来ない。概ね合っているといえば合っているから、という理由ではない。こういうのは触れないのが吉だからだ。

「あっ! いい物あるじゃん!」

 部屋を見渡していた憶が本棚から小学校と中学校の卒業アルバムを取り出す。

 どっちも、出来上がった直後は「懐かしいなー」なんて思いながら、広げて見たものだ。でもそれに飽きて本棚にとりあえず入れてからは、開く事はなかった。

「うわー懐かしー! 見て見て、これ記なんだよー。今より可愛げがあるよね」

「本当だわ。別人みたいに満面の笑みね」

「俺だって笑うぞ」

「でも、中学の時はブスッとして写真に写ってるじゃん。ほら」

 憶が、今度は中学の卒業アルバムを広げて俺に見せる。そのアルバムに写る俺は、カメラマンに怒っているかのように愛想が無い。しかし、中学男子に「笑って笑って」なんて言われながら撮られても、そう簡単に笑える奴がそんなに居るもんじゃない。

「保柄くんも相変わらずね」

「まあ、まだ卒業してから一年も経ってないからね」

 それから、小学と中学の卒業アルバムを交互に見て捲り、思い出話に花が咲く。

「小学校四年の時にさ、初めて記が学年リレーの選手に選ばれたの。んでさ、その時は四年の学年リレーを進行役の先生が飛ばしちゃって、全校リレーの後に四年の学年リレーをやる事になったのよ」

 その事はよく覚えている。後にも先にも、俺がリレーの選手に選ばれたのはそれ一回きりだったからだ。

「んで、その時うちのチームは負けてて、その四年の学年リレーで一位だったら逆転優勝って感じだったんだけど、リレーが始まったらうちのチームがビリでさ、みんなあーダメかーって諦めてたのよ。そしたら第三走者の記が前を走ってる全員、ごぼう抜きしたの」

 ニコニコ笑う憶の言葉にあの時の事を思い出す。

 自分の番が来るでの間、みんなが明らかに諦めているのが分かった。今では信じられないが、その光景を見て俺は何だか悔しいと思ったのだ。それで、バトンを受け取って俺は全力で走った。

 俺が走り出して、前の選手の背中がどんどん近付いてくる光景。同じチームの先生達から聞こえる怒鳴り声のような声援。一人、二人と抜き去る毎に、目に見えて盛り上がるのが分かるチームのみんな。そして、最後の選手を抜き去った時に上がった歓声と声援。あれは、正直気持ちよかった。

「んで、アンカーは記が作ったリードを守って一位でゴール。それでうちのチームが優勝になって、みんなで飛び上がって喜んだの」

「俺は、諦めてたみんなにしてやったりって思ったぞ」

「本当、あの時の記は凄くカッコ良かった。実際、四年の時はバレンタインにチョコいっぱい貰ってたしね」

「毎年、母さんと憶からしか貰ってなかったから、母さん驚いてたなーそう言えば」

「そう、良かったわね。メッセージ欄も女の子の名前でいっぱい見たいだし」

 限が唇を尖らせて俺にアルバムの最後にあるメッセージ欄を見せる。

「それは俺のに誰も書いてないからみんなで書こうって、憶が女子の中に持って行ったんだよ」

「中学の時のメッセージ欄も女の子ばかりだわ。男子は保柄くんだけよ?」

「仲の良い男子なんて期裄くらいしか居なかったんだよ。んで、また空欄の多い俺のアルバムを憶が持って行って」

 不機嫌な限にたじろいでいると、急に限が笑顔になった。

「高校の卒業アルバムは他の女の子が書けないくらい私がメッセージを書いてあげるわ」

「そ、そっか、ありがとう」

 なんとなくお祝いのメッセージ以外にも、様々なダメ出しを書かれそうだ。

「あっ!! そう言えば、記のやりたい事やってないじゃん!」

 ハッと思い出した様に立ち上がる憶を、俺達三人は見上げる。

「何か無いの?」

「今日の事を忘れたくないかな。……えっ?」

 憶の言葉に何も考えずにそう言った、そう言ってしまった自分に驚いた。そうしたら急に、目が熱くなってきた。

「ごめん……」

 やってしまった。俺が何も考えずに言ってしまった言葉で、空気を重くしてしまった。

「そんなの、そんなの私だって忘れてほしくない!」

 立っている憶が拳を握り、歯を食いしばって怒鳴る。そして、目からは止めどなく涙を流していた。

「私だって嫌! 今日の事だけじゃない! 今までの事も、私の事も全部忘れちゃうなんて絶対に嫌だ! 嫌だよ!」

「ごめん、憶……」

「俺も嫌だな」

「期裄……」

 期裄までもが、涙を流してそれでも笑顔を作りながら言う。

「親友に忘れられるなんて、俺だって嫌に決まってる。決まってるけど、どうしようもない。そのどうしようもない事が、記のために何もしてやれない事が嫌だ」

 それは期裄が何か負い目に感じる事じゃない。期裄は何も悪くない。それどころか、この一ヶ月俺を支えてくれた、助けてくれた。

「でも、一番嫌なのは記だよな。一番、怖いのは記なんだ。だから、こんなわがままは言いたくない。でも、出来るなら俺は記に忘れてほしくない。まだこれからだろう。高校の文化祭は中学より盛り上がるらしいし、二年になれば修学旅行がある。それを今の記とやれないなんて嫌だ。たった一晩で積み重ねたものが綺麗さっぱり無くなるなんて、認められない」

 感情的に理性的な事を言う。空気を読めるから空気を読むから、期裄はこの悲しい雰囲気の中で葛藤している。

「…………」

 限は俯いて黙ってしまった。

 もう、今の俺でいられるのは今日で最後かもしれないのに、俺は最後の最後になんて記憶をみんなに作ってしまったのだろう。

「でも、絶対にまた四人でここにこうやって集まれるようにする」

 憶の力強い言葉が響く。俺よりもちっさいのに、すごくすごく頼りになる声だった。

「そうだな、麻直さんの言う通りだ。それに記憶を無くしても記は記。絶対に俺達は仲良くなれる」

 期裄がいつもの、爽やかな笑みを俺に向ける。

「ありがとう」

 俺にはその言葉しか思い付かなかった。


「じゃあね!」

「じゃあ」

「ああ、ありがとう二人とも」

 流石に、高校生と言っても未成年である俺達が夜遅く外を出歩くわけにも行かず、日が落ちてくる頃にお開きになった。

 期裄は手を上げて歩き出し、憶は勢い良く手を振って振り返らずに走り出して行った。

「さて、俺達も行くか」

「…………」

 黙って頷く限の手を取り、俺は歩き出す。

 しばらく歩いた所で、急に限が立ち止まり俺は後ろに引っ張られて振り返る。

「帰りたくないわ」

 振り返って目が合った瞬間。限がそう言う。

「帰らないとダメだ」

「嫌よ、記が私の事を忘れてしまうのよ。このまま帰れるわけないじゃない」

 限のわがままに、俺はたまらなく愛おしさを感じた。感じてからは、もう衝動的に体が動いていた。

「限、ごめん。悲しい思いをさせて」

 薄暗い住宅街のど真ん中で、俺は限を抱き締めた。小さくて繊細柔らかい限。甘い香りがして、抱き締めているだけで天国に行けてしまいそうな幸福を感じる。

 俺は少し体を離して、そして限にキスをした。

 俺の記憶があるうちに、俺が俺でいる間にしておきたかった事。

「俺のやりたい事の二つ目。ファーストキス」

「……ズルいわ。一人一つだけでしょ?」

「限だって二つやったじゃないか」

 自分の事を棚に上げて、真っ赤な顔して不満を言った限が黙りこくる。限を完全に言い含められたのは、これが初めてだ。

「記、ここに名前を書いてくれるかしら。ちゃんと下の名前で書いて」

 小さな石ころを持った限が、その石ころを差し出し、ブロック塀を指差しながら言う。

 俺は不思議に思いながらも『ふみ』と平仮名で書き、石ころを限に返す。すると、限はその隣に『かなめ』と自分の名前を書いて、二人の名前の上に横長の三角形を描く。

「これは?」

「相合傘よ」

「いや、相合傘って名前の間に線があるだろ。あの、傘の持つところみたいなのが」

 俺の知っている相合傘とは大分違う形の相合傘に首を傾げると、限は俺と限の名前の間を指でなぞる。

「名前の間に線を描かなかったのは、二人を隔てるものが無いように、二人は何にも別つ事は出来ない、そういう意味よ。例えどんな人が現れようと、例え時が、記憶が、私達を引き裂こうとしても無駄。私は記をずっと好きだし、記にまた私の事を好きになってもらう。好きにさせてみせるわ」

「俺だって、絶対にまた限を好きになるよ。それは確信出来る」

 こんなに可愛い女の子が側に居てくれるのだ。絶対に好きになるに決まっている。

 しばらく、そのちょっと変わった相合傘を二人で眺めていると限が俺に背を向ける。

「ここまでで良いわ」

「ここまでって、まだ家を出たばかりだぞ」

 明日にはもう限の事を忘れてしまっているかもしれないんだ。一秒でも長く、一緒に――。

「明日も会えるわ」

「限……」

「明日も明後日も明々後日も弥の明後日も。来月も再来月も、来年も再来年も、その先もずっと。私達がこの世界に立っている限り、私達はいつでも会える。離れ離れの所に置き去りにされたって、絶対に出逢える。だから、また明日」

 限は凄く眩しい笑顔をしていた。そんな笑顔を見せられたら、忘れてしまうかもしれないから、なんて言えるわけがない。

「そうだな、また明日だ」

 背中を向けて駆け出す限の後ろ姿を見詰める。

 俺は明日を迎えたら君を忘れる。でも、その後も君が俺の側に居てくれるなら、俺は今よりももっと君を覚えていくだろう。

 俺が忘れるのは、きっとそのこれからの君をもっと沢山覚えるため。俺の乏しい記憶量じゃ足りないから、神様がその分の記憶領域を空けてくれるからなんだ。

 だから、俺は君を忘れる。これからもっと、君を記憶に刻みつけていくために。

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