後編
エアコンを完備してない部屋は、寝転がってるだけで玉のような汗をかく。 扇風機だけではどうにもならない今年の夏。
涼を取るには水風呂しかない。
しかし水場にはおばけが集まりやすいと聞く。 本当なのだろうか。
居間ですっぽんぽんになって、水を張りながら涼を取る。 シャワーからでる水を浴びてると、小学生のときの塩素シャワーを思い出す。 異様に冷たくてなかなか入れなかった。
プールか……、中学以来行ってないなぁ……。 身体も人に見られるほど魅力的じゃないし、もう無理だろうなぁ。
おっぱいを持ち上げては、人知れずため息を吐いた。
『寧ちゃんのは美乳ですね』
目の前の壁から茜が顔を出してきた。 私のおっぱいを触ろうとしてきたから、いそいで飛び退いた。 コケそうになった。
水場におばけが来るのは本当みたい。 いや茜は例外だろう。 いつでもどこでも壁をすり抜けては顔を出して、私を一人にしてしれない。 もはや同居人と変わりない。 それならば最低限のルールは守ってほしいところである。
「覗くな」
ため息交じりに言うと、茜はうれしそうに笑いカメラを取り出した。
『一枚写真撮れせてくれれば、もう覗きませんよ?』
「霊媒師呼ぶぞ」
『お金ないくせに?』
「何で知ってる……」
ここに来てすぐのころ、茜を祓ってもらおうと除霊のことを考えていた。 ネットで調べると最低でも七万もかかると知って阿保らしくなった。
『履歴を見ました』
パソコンがないはずの時代の人なのに使えるなんておかしい。
『それで撮ってもいいですか?』
「もういっぺん死ね!」
『死ねなんて……、ヒドイ!!』
茜は逃げるように風呂場から逃げていった。
……茜の相手は疲れる。 変に話しかけてきたと思ったら、怒ってどこかに行ってしまった。
茜が変なことを言ってくるからこうなるんだ。 ……罪悪感だけを残してどこか行かないでくれよ。
適当に涼を取ってから、タオルを巻いて居間に出た。 敷きっぱなしの布団が膨らんでる。 幽霊でも布団は膨らむんだ、と思いながら服を着た。 そして茜に近づいた。
「死ねはひどかった、ごめん」
『……私、本当はもっと生きていたかったです。 なんで、あのとき自害してしまったのでしょうか……?』
布団の中から茜の湿った声が聞こえてくる。
『……初恋だったんです。 ずっと家事ばっかりやらさせて、ロクに外に出たことがないんです』
「どうやって出会ったの?」
布団のそばに座った。 ひんやりとする茜の気配が感じ取れた。
『好きでもない人と見合いをしていたとき、あの人が現れたんです』
『あの人』とは茜の初恋の人なのだろう。
『あの人は見合いの料理を持ってきたのですが、足を滑らして私の見合い相手の頭に料理を落としてしまったんです。 笑いをこらえるのが大変でした……』
当時のことを思い返して、茜の声が優しくなっていった。 昨日のことのように鮮明に思い返しているのだろう。 私は口を挟まず、静かに茜の話に耳を傾けた。
『随分怒られていました。 何度も何度も頭を畳にこすりつけて謝っていました。 なんとかしてあげたいと思っていましたけど、言葉が出なかったのです。 このおかげで、見合いがなくなると思ったからです』
『最低でしょ?』と茜は自嘲ぎみに言った。
茜が生きていた時代には『戦略結婚』というものがごく一部で存在していた。 有力者同士の子供を結婚させて、事業拡大の資金を得るための結婚。 茜はそのための道具にされていた。
茜は語り続けた。
その場は一旦お開きになり、茜を含めた両親三人は別室に案内された。 茜のお父さんとお母さんは結婚は無理と悟っていたという。 茜は『お手洗いに』と言い部屋を出て、あの人を探した。 変に罪悪感が残り、気になってしまったらしい。 下手をした奉公人は容赦なく捨てられることが多いからだった。
出会った下女にあの人のことを聞くとすでに解雇が言い渡されており、荷物をまとめていると教えてくれた。
茜は下女にあの人の部屋を案内させた。 数人がまとまって使う部屋ということもあって広く作られ、必要最低限の家具しかない質素な部屋だった。 その部屋で肩を落として、荷をまとめているあの人の後ろ姿があった。
茜は後ろから『私の屋敷に来ませんか?』と尋ねた。 あの人は首を振って断った。
『なぜですか?』と問うと、『自分に自信をなくした』と答えた。 茜は重ねて『働き口はあるのですか?』と尋ねた。 あの人は力なく首を振った後、『自分はどんくさいヤツです。 これまでも幾度どなくお叱りを受け、捨てられた』と答えた。 最後に小さな声で『疲れた』と言った。
あの人は自害するつもりだった。 何度も失敗を繰り返えす自分に嫌気が差して。
茜は『少し待っててください』と言い残し、お父さんにお願いした。
『見合いを受ける代わりに、あの人を屋敷で雇ってほしい』と。
お父さんはしばし嫌そうな顔をしたが、見合いを決めるため了承した。 即席で雇用のための契約書を書いてもらい、茜はあの人に渡した。 あの人は迷う素振りを見せたが断った。
『最後の機会です。 これで挽回してみてはいかがですか?』と茜は無理に契約書を握らせた。
あの人は涙を流しながら『懸命に働きます』と言った。
『それからというもの、よく働いてくれました。 それに気遣いもできる人でした。 ちょっとした人の変化に敏感に反応できる優しい人でした。 そんな彼に私は心を惹かれてしまいました。 あんな気持ちになったのは初めてでした。 苦しくて、苦しくて……ですがどこかで満たされていました』
「でも、あんた……」
『そうですよ……、私は一応結婚した身ですから誰にも言えませんでした』
でも告白はした。 報われはしなかったけど……。
「あんたはなんでここにいるの? 恋したいなら男のところに行けばいいじゃん」
茜はようやく布団から顔を出して、私の方を見た。 今まで見たことのない優しい顔をしていた。
『茜ちゃんはどことなくあの人に似ているんです。 だから私はずっとここに居ますし、ずっと寧ちゃんのそばにいます』
不覚にもドキっとしてしまった。 まるでプロポーズのように言われて顔が赤くなる。
違う……違う……、茜は私を通してあの人を見てるだけ。 私に言った言葉じゃない。
『でも、今は寧ちゃんの方が好きですよ』
「……私も茜のことは嫌いじゃない」
危うく『好き』と言ってしまうところだった。
ちがう! ちがう!! そんな感情はいらない!!
『やっと名前で呼んでくれました』
茜の笑顔がいやに頭の中に残った。
翌日、一通の手紙がドアに挟まっていた。 宛先もなく、ただ一言だけ書いてあった。
『茜様をお願いします』
と。




