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プロローグ

 ――くそあちぃ……――。


 久しぶりのパルスの殺人光線に俺、橘純一たちばなじゅんいちは眉をしかめていた。


 無造作に伸ばした黒髪の先端にあせが滴り落ちたり、夏期用制服のワイシャツにはぐっしょりと汗が背中全体に滲んでいた。


 ……ったく新陳代謝良すぎなんだよ俺は、昔からそうだ。


 ちょっと動けばすぐ汗をかくこの体質をどうにかしてほしい。替えのシャツが何枚あっても足りゃしない。


 そんなことを思いつつ、何の変鉄もない住宅街を歩いていると、背中から「おーい」とソプラノ調の声が聞こえてきた。


 この声は……。と思いつつ後ろに顔を向けるとこちらに笑顔を向けて走りよってくる制服姿の可憐な少女がいた。


「穂香か、朝からご苦労さん」


「えへへ、純一わたしの約束守ってくれたんだ。嬉しいよ」


「約束だからな」


 そう言って俺は一人出に歩きだす。照れたような笑みを浮かべていた少女――胡桃穂香くるみほのかは慌てて俺の隣に並んだ。


「そういえば純一、久しぶりの登校だね」


「あぁ。……そう、だな」


「そうだよ、えへへ」


 そんなに俺が登校することが嬉しいのか、先ほどから満面の笑顔を浮かべる穂香。その笑顔はまるで太陽のように眩しかった。


 ……羨ましいな、その笑顔。


「……眩しすぎんだよ」


「え? なんて言ったの?」


「なんでもねーよ」


 穂香への羨望の眼差しに、まったく気付く様子もない穂香はキョトンとした様子で首を傾げた。


 俺は穂香から視線を外し、終始無言になる。穂香は別段この無言状態を気にしている素振りは見せない。薄く微笑を浮かべて緑葉を眺めたり、行き交う車を見たりと、そういう始末である。


 かく言う俺は自分から話題を切ったことに後悔していた。


 自分のせいなのに、何故か無性に腹が立っていた。


「ねぇ、純一」


「んだよ」


 びくりと穂香は背中を震わせた。


 出した本人もびっくりな程、俺の声は相手を威圧するかのような低い声が出ていた。


「あ……えっと、今日は“天気が良いね”」


「そうだな。お前にとったら“天気が良い”だろうけど俺みてぇな汗野郎には“灼熱地獄”だよ」


「あの……えへへ、へ」


 トゲの含んだ俺の物言いに穂香は顔を俯かせる。


 ――そんな顔すんなよ。俺が悪いんだから――。


 そう思っても、俺は穂香に謝ることが出来ず、ただ静寂が辺りを包んだ。


 悪い空気のまま歩き続けて数分、高校へと続く一本道で穂香の友達が声をかけてきた。


「ほーのかっ! おはよう」


「! しまちゃん……おはよ」


 穂香よりも元気そうな少女――しまちゃんと呼ばれた娘は俺の顔を見るとあからさまに嫌な顔をした。


「ねぇ穂香、なんでこんな“根暗野郎”と一緒にいるわけ? うわぁ……脇汗やば」


「し、しまちゃん……!」


 しまちゃんと呼ばれた娘は鼻をつまんで穂香と俺との距離を引き離した。


 臭いも嗅いでねぇのに、鼻をつまむんじゃねぇよくそ女。


 くそ女の俺への態度に沸き上がる怒りを必死に抑える。穂香はただ俯いていた。


 そんな俺の怒りゲージほぼ満タン状態など無視してくそ女は言葉の暴力を振るう。


「こんな奴に“穂香みたいな娘”が構う必要ないよ。さ、いこ」


「ちょ、ちょっと……」


 くそ女は穂香の手を無理矢理引いて、学校へと歩き始めた。


 くそ女の言葉に俺はふっ、と笑みを溢した。


 ――穂香みたいな娘が構う必要はないよ――。


 その通りだ。


 穂香は誰が見たって美少女だ。それに頭も良くて優しい娘が俺みたいな“根暗”で“愚図”が関わっていい奴じゃない。


 わかってるじゃねぇか、“くそ女”。


 俺の笑いに気付いたのかくそ女は足を止め、俺の顔を鬱陶しそうに見つめた。


「なにこっちみて笑ってるのよ。気持ちわるぅー。もう構ってらんないわ、行こ行こ」


「う、ぅん」


 元々構う気なんてあるわけねぇだろうが、消え失せろくそ女が。


 穂香は何度もこちらに視線を向けていたが隣のくそ女に注意されたのか、それ以降は振り向く様子など無かった。


「……帰るか」


 穂香達に背中を向けて、来た道を戻る。


 途中、洋服屋のガラスに視線をやった。


 顔を覆うほどに伸びた前髪と過剰な猫背、加えて病気を患ったかのように真っ白い肌。


 さっきのくそ女の態度に納得がいく。


 こんな男が美少女の隣で歩いてたら、苦情の一言や二言いいたくもなるわな。


 俺は自嘲気味に笑うと、その場を跡にした。



 車通りの多い大通りへと出て、信号待ちをしていると、隣にランドセルを背負った小学生、それも低学年の子供が焦った表情で信号待ちをしていた。


 携帯を開いて俺は現時刻を確認する。


 ――8時25分――。


 その時刻と少年の焦りようから見て、察しがつく俺。


 遅刻しかないだろう。


 市内の小学校は確か、8時20分までが範囲内タイムリミットなはずだ。


 ……俺もあったなぁ、遅刻。でも、俺の場合は近道をして、25分までに学校に到着してたからあんまり怒られなかったけどな。


 昔のことを懐かしんでいたら、信号待ちをしていた少年が駆け出した。


 青になったのか。と思って顔を上げて信号機を一瞥する。


 ――“赤”だった――。


 少年は大幅な遅刻を恐れ、我慢ならず駆け出したようだ。


 奥の歩道にいた大人が声を荒げる。


「あぶないっ!!」


 少年がその声に気付き右に顔を向ける。


 最悪なことに大型のトラックが少年の目前にまで迫ってきていた。


 普通、この状況を目の当たりにした者は“助からない”と口を揃えて言うだろうが、俺にはそうは思えなかった。


 だから――無意識に俺の体は前に飛び出る。


 弓で解き放たれた矢の如く、俺は全身全霊で少年に体当たりをする。


 少年は突然の衝撃に驚愕していたがそれでいい、なんとか少年の安全は確保されたぞ。


 そうして安堵の表情を浮かべた俺だったが、一つ重要なことに気付いた。


 ――俺、轢かれるじゃん――。


 次の瞬間、強烈な衝撃が右側の体から全身に伝わり、言葉では到底言い表せないような激痛を感じた。


 俺は弧を描くように文字通り飛んでいき、後頭部をコンクリートに思い切り強打してしまった。


 吐き気や目眩、それに激痛が重なり合って立ち上がることは愚か喋ることすらできない。


 これはもう死んだ、と嫌に冷静な思考で結論に至る。


 ――でもまぁ、これでよかったのかもな――。


 とある“事件”を境に塞ぎこんでしまった俺はもしかすると死に場所を求めていたのかもしれない。


 となるとこれは投身自殺ってわけだな。良い最期だ。


 薄れ行く意識の中、突如視界に写ったのは穂香のあの“笑顔”。


 太陽みたいに眩しくて直視できないような笑顔が突然、悲しみの表情に変わる。


 ――そうだ、あいつに謝らなきゃいけないことがあるんだった――。


 喧嘩別れ染みたことをした朝の通学風景を思い出す。さっきの穂香の悲しみの表情はあの時の顔だ。


 だから、まだ死ぬ訳には――。


 だけど、一度死に場所を求めた者は生きることは出来ず、止まらずに走ってきたトラックのタイヤに頭を砕かれた。


 その場に残ったのはぐちゃぐちゃに砕け散った頭部と可憐な少女の叫び声だった。

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