後編
10
「魔術師頭殿。
あれは何だ」
「ううむ。
石像かと思ったが、ゴーレムのようじゃの。
サンドゴーレムのように見えるが、ストーンゴーレムかもしれん」
「なんだ。
分からんのか」
「子爵様。
ポルリカ殿は、かのマズルー魔道研究所で研究員を務められたおかた。
大陸でも有数の魔法使いと申してよろしいかと。
そのポルリカ殿がはっきり判別できないということは、あのゴーレムとやらが、いささかイレギュラーなのでしょう」
「手強いものである可能性もある、ということか」
「いやいや。
しょせんゴーレムじゃからの。
硬いだけじゃ。
間合いを取って攻撃すればよいだけのこと。
メタル系のゴーレムであれば破壊に時間がかかるが、砂や岩のゴーレムなど、恐れることもない。
じゃが、よい機会じゃから、お教えしよう。
ああいうものを相手にするときは、防御の高い兵士数名でおびき寄せ、足止めをして、操っている者を倒すのじゃ。
この場合、村人を皆殺しにすれば事足りる。
それが手堅いやり方というものじゃ」
11
立ち上がってまず私がしたことは、敵の戦力分析である。
ふむ。
魔法使いが多いな。
一人からはそこそこの魔力が感知される。
私は、防御障壁生成の術式を記憶領域から呼び出し、対魔法防御と対物理防御を八対二の比率に調整して、左腕を発動体に設定した。
そして、左腕を取り外し、地面に置いた。
すたすたと敵のほうに歩いていく。
村人からじゅうぶんな距離を置いて、発動キューを与える。
左腕を中心に、青白く輝くドーム型の障壁が形成された。
村人全員を、すっぽり覆っている。
しばらくのあいだ、このドームは、村人を魔法攻撃からも物理攻撃からも守ってくれる。
12
「やはり、魔法使いがおるのう。
どこからまぎれ込んだんじゃろうかのう。
一人であれだけの大きさの障壁を張ったとすれば、なかなかじゃ。
時間を掛けて準備したんじゃろうなあ。
発動の瞬間、魔力はわずかしか感じなんだ。
魔力が弱いのか、変換効率が高いのか」
「楽しそうだな、魔術師頭殿」
「子爵殿。
相手に魔術師がおるとなれば、なぶり殺しではなく、戦闘じゃ。
士気も上がるし、勝利の満足も味わえる」
「なるほど。
手間を掛けさせられただけのことはあるわけか。
さて、どう攻めればよい?」
「まずは、あの魔法障壁の性質を調べたいのう。
槍か剣で斬りつけさせてみてもらいたい。
障壁に突っ込まぬよう、注意しての」
「分かった。
ゲイラ。
騎馬兵を二人出せ」
「はっ」
12
私は、障壁の前に立ち止まって、軍勢に相対している。
殺さない程度に痛めつけて帰らせるのがよかろう。
馬に乗った兵士が二人進み出て、私を迂回してドームに接近した。
かたや槍で、かたや剣で、障壁に斬りつけている。
せっかくの武器が傷つくから、やめなさい、それ。
そう言ってあげたかったが、あいにく私には口がなかった。
しばらくして、二人の兵士は指揮官の元に引き返した。
13
「なんと対物理障壁じゃったか。
この魔術師軍団を前に、ちぐはぐなことじゃ。
まあ、魔法というものは、適性によって習得できる術が限られるから、致し方ないことではあるがのう」
「魔術師頭殿。
分かるように説明してくれ」
「あの青白い壁は、剣や槍ははね返す。
しかし、魔法の壁というものは、剣に強ければ魔法に弱く、魔法に強ければ剣に弱い。
どちらか一方の性質しか持たせられんものなのじゃ。
つまり、あの壁は、魔法攻撃を防げない、というわけじゃな。
一気に魔法攻撃をたたき込めば、この討伐は終了じゃ」
「ゴーレムは、どうする」
「放っておいてはどうかの。
ただし、村人に魔法攻撃を仕掛けると、ゴーレムはこちらに突っ込んでくるかもしれん。
そのときの守りは、よろしくお願いしたいところじゃ」
「うむ、わかった。
む?
ゲイラ、何か言いたそうな顔だな」
「は。
恐れ入りますが、兵士たちにも戦闘訓練をさせたいと思います。
あのゴーレムには、剣や槍は効くのですね?」
「もちろん効くとも、ゲイラ殿。
じゃが、刃物では刃が欠けることもある。
できれば槌や棍棒でたたくのがよい。
それと、人間と違ってゴーレムは痛みを感じないからの。
傷を受けてもひるんだりはせん。
その代わり、ある程度ダメージがたまると、突然動かなくなるのじゃ」
「分かりました。
子爵様、しばし兵にゴーレムを攻撃させたいと思います。
被害が出るようなら、すぐに中止いたします。
お許しいただけますか」
「許す。
やれ」
12
少女は、青い壁にぎりぎりまで近づき、目の前で起きていることを、その眼に収めていた。
すべては夢のような出来事である。
護ってくれるはずの領主が村の民を殺しにやって来るというデランの話も。
村の皆で湖のほとりに逃げて来たことも。
耳で聞き頭で理解しても、ひどく現実感のないことに思えた。
本当に領主の軍勢はやって来た。
こんな山の中に、立派な装備をした兵士たちが、自分たちを殺しにやって来た。
だが、その次に起きたことこそは、あらゆる意味で最も現実離れしていた。
石の神様が立ち上がったのである。
少女と村人を護るために。
やっぱり、あの日、右手を動かしてロルを仕留めてくれたのも、見間違いではなかった。
石の神様は、やっぱりただの石なんかではなかった。
石の神様は、左手を体から切り離して地に置いた。
左手からは、不思議な力があふれ出て、少女と村人を保護する青い壁が出来た。
そして、石の神様は、青い壁の外に独り立っている。
少女と村人を護るために。
これから何が起きるのだろう。
怖かった。
だけど、それを自分の目で見届けなくてはならない、と少女は思った。
誰かが隣に来た。
少女の手を握った。
この手は、幼なじみのリットだ。
強く握り返した。
リットの手は、暖かく、力強かった。
馬に乗った兵士が二人駆けて来た。
馬とは、こんなに大きいものなのか。
兵士とは、こんなに恐ろしいものなのか。
二人の兵士は、少女から百歩ほど離れた位置で、青い壁の間際に近づいた。
そして、馬に乗ったまま、青い壁に、剣で斬りつけ、槍で突きかかった。
少女は、壁が壊れてしまうかと恐れたが、何度打撃を受けても、壁はびくともしなかった。
二人の兵士は引き上げた。
しばらくして、もっと恐ろしいことが起きた。
数えきれないほどの兵士がやって来て、石の神様を攻撃しはじめたのだ。
槌で。
棍棒で。
剣で。
槍で。
盾で。
すさまじい音がした。
兵士たちの挙げる威嚇の声に、心臓が凍るかと思った。
こんなに攻撃され続けたら。
石の神様は死んでしまう。
やがて、兵士たちに取り囲まれ、石の神様の姿は見えなくなった。
恐ろしい物音だけが、攻撃が続いていることを示している。
「石の神様は、反撃しようとしないな」
突然、声がして、びくっとした。
それは、デランの声だった。
「どうして反撃しないんだろうか。
あの右手を一振りするだけで、何人もの兵士が吹っ飛ぶだろうに」
デランは、迷宮で奇跡的に助かったあと、少女から石の神様のおかげだといわれ、湖に来て石の神様に感謝の祈りを捧げた。
人知を超えた力に守られた、という強い実感があったため、少女の話を素直に受け入れたのだ。
村人をここに導いたのも、もしかしたら石の神様が助けてくれるかもしれない、という淡い期待がデランの胸にあったからである。
「石の神様は、まったく動かないな。
ぴくりともしない」
あんな大勢の兵士に囲まれているのに、デランには戦闘の様子が見えているらしい。
「あの軍勢の中には、俺の友達が何人かいる。
俺は、石の神様にそう言った。
もしかして、そのせいで石の神様は攻撃できないのか?」
デランが独り言のように、そう口にしたとき、少女は思わず言い返した。
「ちがうよ。
石の神様は、がまんしてるんだよ。
これで兵士さんたちが引き上げるなら、何もしないつもりなんだよ。
でも、がまんして、がまんして、それでも領主様があたしたちを殺そうとするなら」
なぜ、こんなことを思うのか。
言えるのか。
少女は自分で不思議に思った。
しかし、その言葉の正しさに、ひとかけの疑問も持たず、少女は言い切った。
「石の神様は、あいつらをやっつける」
13
「魔術師頭殿。
ゴーレムというものは、これほどまでに硬いものなのか」
子爵は苦々しい顔で、だらしなくへたり込む兵士たちを見下ろしている。
全力でゴーレムを攻撃し続けた体の疲れもさることながら、自分たちの攻撃が相手に傷一つ付けられなかった事実が、彼らを打ちのめしていた。
「うううむ。
わしは勘違いをしていたようじゃ。
あれは、現代の魔法使いに生み出されたものではない。
神々や神霊によって生み出されたものなのじゃろう。
太古の遺物。
……いや。
ことによると、あのゴーレム自身が」
「子爵様。
ぶざまな結果となり、申し訳もございません。
このままでは、兵士たちは自信を失ってしまいます。
どうか、私めに出撃のお許しを」
ゲイラは、そう言って、腰の魔剣に手を掛けた。
ゲイラが親衛隊長の座にあるのは、誰よりも剣の腕が立つからである。
先代男爵は、男爵家の家宝である魔剣を、ゲイラに貸し与えた。
岩をも切り裂く、極めて強力な恩寵を持つ剣である。
「うむ。
ここはゲイラに出てもらうよりあるまい。
あの怪物を斬り捨ててまいれっ」
「御意っ」
ゲイラは、愛馬を駆り、ゴーレムに突進した。
すらりと抜き放った魔剣が、突如、黄金の燐光をまとった。
〈クリティカル・インパクト〉
日に三度しか使えない、魔剣の特殊攻撃である。
これを発動させて斬りつければ、いかなる盾も鎧も、やすやすと断ち切れる。
沈みかけた夕日を浴び、大きく魔剣を振りかぶって石の怪物に挑みかかるその姿を、すべての兵士と村人が見守った。
馬は見る間にゴーレムにたどりつき、魔剣がゴーレムの太い首筋に斜め上からたたき付けられ。
パッキーーーーーン。
真っ二つに折れた。
13
「子爵様。
召還獣を使用いたしますぞ」
さすがの子爵も、この言葉には、すぐに許しを与えることができなかった。
魔法使いポルリカは、八人の弟子を率いて男爵家に迎えられた。
その八人が八人とも、強力な召還獣を使役する。
そもそもは、この召還獣が、兄である当代男爵の野心に火を付けたのである。
その存在は徹底して秘密にされた。
だが、できれば、実戦で使う前に一度見ておきたくはある。
この山奥なら人に見られる心配もない。
そもそも、魔術師軍団は、魔術師頭であるポルリカの裁量下にある。
子爵は、無言により諾意を示した。
ポルリカは、弟子八人に魔獣を召還させた。
空に八つの巨大な魔法陣が浮かび上がる。
色とりどりの奇怪な文様が形作られ、生き物のように成長しながらうごめく。
そして、文様が一定の軌道を描き終えたとき、そこには、八体のレッド・ワイバーンが翼をはためかせていた。
レッド・ワイバーンは小型の飛竜であるが、内臓を体の外側に貼り付けたような不気味な外見をしている。
この魔獣は、恐るべき魔法攻撃を行う。
火炎弾である。
レッド・ワイバーンの火炎弾は、王城の城門をもはじき飛ばす。
八体が同時に火炎弾を放つとなれば、その威力は想像することも難しい。
八体のレッド・ワイバーンは、村人たちを守る障壁の上空から、次々に火炎弾を吹き付けた。
その一撃ごとが、巨大な火柱を上げる。
離れて見守る軍勢にまで、熱と音の余波が伝わり、兵士たちに、村人たちが今まさに地獄にいることを教えた。
目を焼き耳をつんざく破壊のシンフォニーは、この世の終わりを思わせた。
轟音と閃光が収まったとき。
そこには、何事もなかったかのように静かな光を放つ障壁があった。
村人の誰一人として傷を受けてはいない。
障壁は、村人を守りきったのである。
「ば、馬鹿なっ。
何ということじゃ!
では、あれは、対魔法防御も兼ねているというのか?
対魔法防御と対物理防御が同時に可能な障壁など、聞いたこともないわっ。
い、いや。
仮にあれが、対魔法障壁であったとしてもじゃ。
レッド・ワイバーン八体じゃぞっ。
レッド・ワイバーン八体の吐く火炎弾を防ぎきるなど、あり得ん。
いったい、わしらが相手にしておるのは、何者なのじゃ?」
そのとき、謎のゴーレムが右手を持ち上げた。
その手のひらは、空を舞うレッド・ワイバーンに向けられている。
14
空に出現した八体のモンスターが、火の玉を障壁に吹き付けた。
ふむ。
あのモンスターたちを退けたら、軍勢は引き下がってくれるかもしれない。
殺すのは、かわいそうだ。
あのモンスターたちは、主人の命を懸命に果たそうとしているだけなのだ。
私と同じではないか。
あれらを殺すことなど、私にはできない。
軽い衝撃波を浴びせて、追い返すことにしよう。
八匹のモンスターたちは、自軍のほうに帰ろうとしていた。
私は、右手をモンスターたちに向け、軽いダメージを与える程度の威力に絞って、衝撃波を放った。
八匹の飛行モンスターたちは、粉々にすりつぶされ、その血肉が敵軍の兵士たちの上に降り注いだ。
臓物のシャワーを浴びた兵士たちは、ぎゃあぎゃあと騒いでいる。
あれ?
おかしいな、と思って記憶を確かめたら、この威力設定はヒュドラなどの大型で強靱な魔獣を気絶させる数字であった。
この百分の一程度の出力でよかったのだ。
記憶消去のプロセスのため、情報と情報の関連づけが妙なことになっているようだ。
いかん、いかん。
かわいそうなことをした。
だがまあ、済んでしまったことはしかたがない。
うむ。
15
「い、今の魔法は何だっ?
ポルリカ!
今の魔法は何なのだっ?」
「ええい、知りませんわいっ。
あのような広範囲で射程が長く強力な、それも空中のレッド・ワイバーン八体を一瞬に。
あんな魔法は、聞いたこともないわ。
儀式もしておらん。
呪文を唱える様子もなかった。
いや、だ、第一あれはゴーレムじゃ!
なぜゴーレムが魔法を使えるのじゃ?」
「く、くそっ。
顔についた血糊が取れん!
あんな攻撃を、こちらに向けられたらっ」
「そ、そうじゃった。
魔術師第四分隊!
対魔法防御じゃっ。
詠唱を合わせよ!
ほかの魔術師分隊は、各個にゴーレムを攻撃するのじゃっ」
命令を受けた魔術師たちが、対魔法防御の魔法を発動するため、準備詠唱を開始した。
それを見届けてから、ポルリカ自身も、メテオ・ストライクの準備詠唱を開始した。
火系の最上位魔法であり、範囲殲滅魔法である。
火系の、それも最高の才能を持った魔法使いしか習得できない。
一人よく一軍に伍することさえ可能にする、強大な魔術である。
「メテオ・ストライク!!」
発動詠唱とともに、巨大な彗星が、ゴーレムを直撃した。
大魔術師ポルリカの魔力の過半が込められた彗星の大きさは、圧巻である。
地を揺るがし砂を巻き上げるその威力は、兵士たちに勇気を、村人たちに絶望を与えずにはおかない。
魔術師たちは、これに鼓舞され、次々と攻撃魔法を放つ。
光弾が。
雷撃が。
氷の刃が。
石のハンマーが。
水の蛇が。
ありとあらゆる属性の破壊の秘術が、ゴーレムただ一体に殺到する。
轟音が響き渡り、凶悪な光が無数に飛び交い、目を焼く。
砂の嵐が、水煙が荒れ狂う。
繰り返し繰り返し大地はえぐられ、その余波は、青い障壁に降りかかった。
青い障壁は、びくともしない。
だが、ゴーレムは障壁の外に立っている。
その体に、天を焼き地をうがつ魔法攻撃の嵐が降り注ぎ続けた。
どれほど魔術の乱舞が続いたか。
これほどの威力の攻撃を、これほど長時間打ち続ける必要などなかった。
しょせんは無抵抗のゴーレム一体なのである。
だが、圧倒的な破壊の力をあえて使ったことで、魔法使いたちは自信を取り戻し、兵士たちは新たな勇気を得た。
やがて魔法使いたちは魔力を使い果たし、攻撃は停止した。
しんと静まりかえり、何の物音も聞こえない。
いや。
魔法の乱射により深くえぐり取られた大地のくぼみから。
何かが上ってきた。
ゴーレムである。
村人たちは、歓声を上げた。
ゴーレムは、軍勢に右手を向けた。
「く、来るぞっ。
あの恐ろしい魔法攻撃だ!」
「ええいっ。
うろたえなさるなっ。
対魔法障壁は、きちんと作動しておる。
この人数で張った障壁じゃ。
びくともするものではないわっ」
ゴーレムは攻撃を撃ち出した。
空気をゆがませる不可思議な圧力が、その手のひらから発せられ、魔法使いたちが生成した対魔法障壁に到達した。
その破壊の波は、障壁などなかったかのように、するりと内部に侵入した。
そして、兵士たちに襲いかかった。
兵士たちだけではない。
馬も木々も、そこら中のすべてが、衝撃波に吹き飛ばされた。
吹き上げられ、宙を舞い、地にたたきつけられる。
倒れた軍勢の上に、土や木が降り注いだ。
男爵軍の誰一人、立つこともできない。
戦いは、終わった。
そのとき、一人の伝令兵が、馬を駆って到着した。
「し、子爵様!
事が露見いたしましたっ。
伯爵は、バルデモストのバヌースト侯より兵を借りて、わが本城を急襲。
敵は少数ながら、すさまじき手練れぞろいっ。
ご領主男爵閣下は討ち死に!
まもなく、ここにも敵が参ります!
子爵様、お逃げくださいませっ。
子爵様!」
16
あれ?
対魔法障壁を張ってる?
発動には魔力を使うけれど、攻撃自体は物理衝撃波だから、対魔法障壁は効かないよ?
と教えてあげたい気もしたが、あいにく私には口がなかった。
とにかく、ぎりぎりまで手加減して、衝撃波を撃つ。
よし。
全員吹っ飛んだな。
死者は出ていないはず。
たぶん。
これでもまだ戦いを続ける気なら、今度は殺すことにしよう。
それにしても、さっきのはメテオだったよな?
ずいぶんぬるい攻撃だ。
わが友モルトナのメテオを見せてやりたいものだ。
あれをくらうと目が覚めるぞ。
そう思いながら、私は振り返った。
湖と、大きな青白いドーム。
ドームの中の三人の姿が、私の目に映った。
少女の横にいるのは、リットだろうな。
後ろにデランがいる。
む?
この三人。
誰かに似ている。
三人が、この場所に、あんなふうに並んで立つ風景を、私は見たことがある。
そうだ!
思い出したぞ。
わが造物主と、奥方様と、わが友モルトナだ。
私たちは、ここに来た。
だが、あのときは。
私は、風景を記憶し、その画像から湖の部分を消去した。
そして、その画像を記憶領域から検索した。
植相や地形の変化の度合いを大きめに設定して。
ヒットした。
九十二パーセントの適合率だ。
そうだ。
私は、この場所を知っている。
私は、ずっと昔、ここに来たことがある。
皆とともに。
みんな、ここがすっかり気に入ったが、あいにく奥方様と仲の悪い神霊が近くに来た。
それで、ここを離れることになったのだった。
奥方様は、この地に水の祝福をお与えになった。
やがてここには湖ができ、川が生まれ、森はさらに豊かになり、人の暮らしを支えるようになる、とおっしゃっていた。
造物主は、迷宮をお造りになった。
やがて湖の底に沈むべき迷宮を。
そして、こうおっしやった。
「ヴォーグ。
いつか私たちと離れることになったら、お前はここに来なさい。
この迷宮で、お前はエネルギーを補給できる。
この美しい場所で、静かに暮らしなさい。
そして近くに人の集落ができたら、彼らの邪魔をすることなく、見守ってあげなさい」
そうだった。
そのように仰せであった。
なぜ今まで思い出さなかったのだろうか。
ああ。
この碧の水の底に。
あるじが私のためにあつらえてくださった迷宮がある。
ずっと私を待っていてくれた迷宮が。
私は、あれこれと昔のことを思い出していた。
そのあいだに、軍勢はすっかり姿を消していた。
もう、村を攻撃することは諦めてくれたろうか。
そうであることを祈る。
さあ。
迷宮に行かなくては!
おっと。
その前に、左腕を回収しなくてはならない。
うっ。
入れない。
障壁の中に入れない。
うむ。
この障壁は、時間が来るまで、何ものも通さない。
中からも、外からも。
村人も、私も。
左腕が私のそばにあれば障壁を解除できるが、ちょっと遠すぎる。
左腕を回収するには障壁を解除しなくてはならず、障壁を解除するには左腕が要る。
うむ。
つまり、今は左腕を回収できない。
論理的だ。
丸一日で障壁は消えるのだが、早く迷宮に行きたい。
まあ、よかろう。
この次、地上に出てきたとき、回収するとしよう。
十年先になるか、百年先になるか、知らないが。
16
「リット!
デランさん!
見てっ。
神様が、石の魔神様が、湖の中に入っていく。
やっぱり、石の神様は、湖の神竜さまのお使いだったんだ。
あたしたちを守って、お役目を終えたから、神竜様の元に報告に行くんだ!
神様ーーっ。
石の神様ーーーー!!
ありがとうーーー。
ずっと、ずっと、守ってくれて、ありがとうーーー!
大好きだよーーーーっ」
村人たちは、地に伏して、ゴーレムに感謝の祈りを捧げた。
人々が見守るなか、ゴーレムは深みへ歩みを進めた。
その姿が水に没するまで、さほどの時間はかからなかった。
とうに日は沈み、残照も消えて、夜のとばりが降りようとしている。
月と星々が優しい光を落として、さざ波を宝石のように輝かせる。
村人たちは、神々の恩寵に思いをはせながら、ずっと湖を見つめていた。
(了)