前編
1
「管理指令第103号が発動されます。
条件が満たされましたので、管理指令第103号が発動されます。
分岐迷宮内のすべてのかたは、すみやかに分岐迷宮外に待避してください。
なお、あらかじめ登録された管理者は、設定された地点に転送されます」
警告音とともに、アナウンスが流れた。
ふむ。
管理指令103号とは何であったかな。
ああ、そうか。
迷宮を土砂で埋め尽くし、活動が停止されるのだな。
え?
そのとき、地響きとともに迷宮の天井が崩れてきた。
私は、千五百年以上にわたりあるじと奥方様の柩を守ってきた。
その役目が、今、終わるのだ。
目を閉じて最後の時を迎えようとした。
できなかった。
よく考えたら、私にはまぶたがない。
私はストーンゴーレムなのだから。
記憶の消去を開始する。
万一、よからぬ者に私の記憶を利用されることがあれば、あるじの名誉を辱めることになる。
記憶と力を失い、私は土くれに還る。
モンスターにも、死後の世界はあるのだろうか。
2
どこだ、ここは?
土砂が降り注いできたかと思うと、私は見知らぬ場所に転送された。
山々と森に囲まれた湖のほとりである。
記憶消去プロセスを停止する。
風光明媚な場所だ。
多様な木々の色合いと形が、とても美しい。
どうして、私はここに来たのか。
アナウンスで、管理者は設定された地点に転送される、と言っていた。
私は、迷宮管理者である。
設定された地点がここなのであろう。
この場所には、何となく見覚えがある。
私は、この場所を知っている気がする。
だが、記憶領域に検索をかけても、7割以上の適合を示す地形がヒットしない。
何だろう。
何か大切な思い出が。
思い出すべきことがあったような気がするのに。
それにしても。
私はこれから何をすればよいのだろうか。
うむ。
何もすることがない。
では、このままここで座っていよう。
見事な自然を眺めながら。
3
森からウサギが飛びだしてきた。
ウサギは、私の足に激突して気絶した。
続いて少女が飛びだしてきた。
ウサギを追ってきたのであろう。
ひっくり返っているウサギと私を見て、少女は目を丸くした。
ツタでウサギの足をくくると、何を思ったか、私の足の上に置いた。
私は、二本の足をそろえて伸ばし、両手のひらを地につけて座っている。
その足のなかほどに、ウサギを安置したのである。
そして、少女は、私の正面に回り込むと、膝を突き、両手を重ねて心臓に当て、深く頭を下げて私を拝んだ。
これは、西の辺境で、神霊を拝礼する作法として行われているものである。
天文観測による位置情報でも、ここは西の辺境であると判断された。
ここは西の辺境なのだ。
西の辺境。
私は過去に、確かにここに来た。
そのとき何があったのだったか。
それを思い出せれば、私がこの地で何をすべきかも分かるのだろうか。
4
それからというもの、少女は頻繁にやって来た。
私は身動きせずに座っているから、身には土が積もり、草や苔も生える。
少女は、それをかき取り、時には水を掛けて洗ってくれる。
私は、湖に向かって座っている。
湖の水面は、変化に富んで美しい。
そこに映る山々も、季節と時間帯により異なる風景を見せる。
その景色の中で、ちょこちょこと動き回る少女を眺めるのは、とても楽しいことである。
掃除を終えると、少女は私に拝礼し、話し掛ける。
家族のこと、村のこと、自分の楽しみのことなど。
そして、私に祈願をする。
誰それは病気なので、早く治りますように。
誰それの家では食べ物が足りないので、狩りの獲物が多くなりますように。
誰それの息子は出稼ぎに出て連絡がないけど、どうぞ無事でありますように。
いつしか私は、村の事情に詳しくなった。
話すことが尽きると、少女は私の伸ばした足の上に、ちょこんと座る。
始めは恐る恐るだったが、次第に慣れてきて、やがては寝そべったり、ぐったり突っ伏したりもするようになった。
私の足は寝心地がよい、と少女は言う。
私の足の寝心地を賞めるということは、すなわち、わが造物主の偉大さを賛えることである。
さあ、いくらでも寝るがよい。
そして、私の足の寝心地良さを、骨の髄まで思い知るがよいっ。
少女はすくすくと成長していった。
子どもの成長は、早いものだ。
5
少女の悲鳴が聞こえる。
私は少女の位置を確認し、センサーで周囲を探った。
む、ロルだな。
人間が食用に珍重する獣だ。
少女は、勝手知ったる森を器用に駆けている。
ロルは、平坦な地形であれば、なかなか速く走るが、少々鈍重で方向転換が苦手である。
少女は、うまく逃げ切るだろう。
森から少女が現れた。
私のほうに走ってくる。
ロルが追いかけてくる。
少女は、私の横を駆け抜けて、私の後ろに隠れようとした。
その右足に、えぐられたような傷があり、血が流れている。
ロルが私の横を走り抜けて、少女に襲い掛かろうとする。
私は、右手を振って、ロルの頭部をはたいた。
ロルは、短く悲鳴を上げて、死んだ。
「えっ?
えっ?
えっ?
い、今、石の神様、動いたよね?
動いたよねっ?」
私は答えない。
意地悪をしているわけではない。
私には、発声器官が備わっていないのだ。
「確かに動いたよっ?
右手でばあーんって。
ねえ、石の神様?
かみさまってばっ」
ロルの成獣がまるまる一頭。
少女の村にとっては大変なごちそうである。
少女は、大人を連れてきて、ロルを持って帰るだろう。
今夜の村は、宴会になるかもしれない。
塩漬けにされた肉は、冬のあいだの貴重な食料になるだろう。
「何かお返事してよ〜〜〜っ」
6
「石神様、石神様。
大変なの」
む、どうした?
ゴルム爺さんの年取った狩猟犬が、ついに息を引き取ったかね?
「ヤークのお父さんのデランさんが、昨日迷宮に入って、夜が明けても帰って来ないの」
迷宮とは、村の近くにある七階層までしかない迷宮で、モンスターも弱いかわり、得られるドロップ品も大したことはない。
それでも、元兵士だったデランにとっては、自分の実力にあった稼ぎ場である。
一日おきぐらいで迷宮に入っては、一家五人が食べるのに十分な品を得ている。
デランは、一日以上迷宮にこもることはない。
翌日になっても出て来ないとなると、何かよくないことが起きたと考えられる。
「ヤークは、自分が迷宮に入って見て来るって言って聞かないの」
それは無謀というものだよ。
ヤークは、まだ八歳にすぎない。
体力も勇気も乏しい。
いつも君に泣かされているではないか。
第一階層の牙鼠でさえ、ヤークには強敵だ。
第一、迷宮の第二階層以下に入るためには、騎士や冒険者などの恩寵職が必要だよ。
ある時期からそうなったのだ。
「アンドルさんとボルカさんが助けに行こうとしたんだけど、駄目だったの。
村で迷宮に入れるのは、デランさんだけなんだって」
私は迷宮にアクセスした。
管理者権限を発動し、手動制御モードにする。
私は迷宮管理者である。
亡きあるじに次ぐ管理者権限を持っている。
この大陸で、私に干渉不可能な迷宮は、数少ないはずである。
「だから、神様、お願い。
デランさんを助けてっ」
迷宮内をサーチ。
いた。
第七階層だ。
かなりの数のゴブリンに囲まれている。
一時的に、ゴブリンを非アクティブに設定する。
しかし、ゴブリンはすでに高いヘイト状態にあるらしく、散っていこうとしない。
「あたし、石の神様にお願いしてくるって、ヤークや、村のみんなに言ったの。
石の神様は、みんなを見守ってくれてるって、いつも言ってるんだから」
このままでは詳しい情報が得にくいので、ゴブリンの一匹に憑依する。
ゴブリンの目を通して現場を見て、状況を理解した。
あれがデランだな。
岩壁の陰に隠れ、盾をうまく使って、何とかゴブリンたちの攻撃をしのいでいる。
すぐ後ろが第六階層への階段である。
そこに飛び込めば、ゴブリンたちは追えない。
だが、飛び出せば集中攻撃を受ける。
あ、デランがころんだ。
「ううん。
見守ってくれてるだけじゃない。
いざとなったら、動き出して、強い力で助けてくれるの。
あたしが野良ロルに襲われたときも、そうだった。
あのときは、村中で石の神様にお礼の祈祷をしたのよ」
デランに攻撃を仕掛けたゴブリンを、憑依したゴブリンで攻撃する。
背中に傷を受けたゴブリンは、怒りの表情で振り返り、反撃してきた。
私の憑依したゴブリンは、頭蓋骨を割られて倒れた。
よし。
ほかのゴブリンたちも、この異常な事態に注意を向けている。
デランも、信じがたいものを見る目で、こちらを見ている。
私は、この階のモンスターのリポップを一時停止すると、次のゴブリンに憑依した。
そして、デランに近いゴブリンを攻撃した。
一匹を倒したが、周りのゴブリンたちの集中攻撃を受けて倒れた。
あとは、これを繰り返せばよい。
「石の神様は強いもんね。
どんなモンスターより強いもんね。
あたし、信じてる」
最後に生き残ったゴブリンに憑依すると、デランをよく見た。
ひどい傷を負っている。
動くこともできないようだ。
だが幸いにも、ここのゴブリンはポーションをドロップする。
私は、周りに落ちているポーションをかき集めると、デランの近くに置いた。
迷宮の中で人間が赤ポーションを服用すれば、どんなひどい傷もたちどころに治る。
「デランさんを助けて。
お願い」
じゅうぶん遠い場所に移動してから、憑依を解除した。
「あ。
か、神様。
神様の胸が、ちかちかって光ってる。
聞いてくれたのねっ。
あたしのお願い、聞いてくれたんでしょっ?」
何が起きたのか確認するため、記録を調べてみよう。
「ああっ。
もう一度光った。
大丈夫なんだよね?
デランさんは、大丈夫なんだよね?」
なんと、七階層にはボスがいたのか。
しかも、ゴブリンキング。
倒されて、白銀の短剣をドロップしている。
よくも一人で倒したものだ。
そうか。
分かった。
デランの上の娘は、来月結婚する。
娘の門出を祝うのに、お金が欲しかったのだな。
相当に時間をかけて、何とか倒したのだろう。
「ありがとう、神様。
ほんとにありがとう、石の神様」
うおっ。
な、泣いているのか?
泣いているんだな。
そ、それは、涙だな?
泣くな。
私の足に涙をこぼすな。
私は、その液体が苦手なのだ。
7
「ゲイラよ。
こんな山深くの村一つをつぶすことで、そなたの言うような効果があるものか、いささか疑問に思えてきたぞ」
「子爵様。
あの村は、特別なのです。
山自体が、神霊の加護を受けた聖地であると、古い言い伝えにあります。
近隣の平民どもは、そのことをよく知っており、あの村の者が町で買い物をするときには、まがい物を売りつけない取り決めがあるほどなのです。
ご領主様の徴兵令に逆らったため、あの村が皆殺しの目に遭ったと聞けば、他地区の平民どもは、無茶な徴兵にも素直に従うようになるでしょう」
「これ。
無茶な徴兵とは何か。
物言いに気をつけよ」
「は。
これはご無礼をいたしました。
しかし、農村と山間部の男共を根こそぎ兵士に取り、使い捨てにするのですからな。
ご領主様のお心を知ったら、領民どもは驚きましょう」
「ははは。
千載一遇の機会なのだ。
伯爵は、異人たちとの大戦で、精鋭をことごとく失った。
わが男爵家には、密かに養い育ててきた強大な魔術師軍団がある。
伯爵と一族を城ごと焼き滅ぼせば、あの豊かな土地が兄上の物になる。
国も今は混乱のさなかにある。
兄上の領有権を認めるほかあるまいよ。
だが、魔術師軍団が攻撃できる位置まで近づくのを、相手も黙って見ているわけはないからな。
盾が要る。
農民や猟師や木こりは、体だけは頑丈だからな。
盾にするにはもってこいだ」
「村々には、女ばかりが残りますな」
「うむ。
無駄にしてはもったいない。
新領土に引きずってゆき、兵士たちの慰みものとする。
やがて生まれる子どもらは、労働力の足しになろう」
「ははっ。
それにしても、魔術師頭のポルリカ殿は、やる気まんまんですな。
何も魔法使い全員を連れて来ずともよかったでしょうに。
遠征費用もばかになりません」
「そう言うな。
初めて実戦で心置きなく力を振るえるのだ。
気持ちも高ぶろう。
魔法使いたちに実地経験を積ませることは、必要なことなのだ」
「それはそうですな。
反撃の心配がまったくない状態で、ただ平民どもに魔法を打ち込めばよいのですから。
人を殺すことに慣れておかねば、伯爵領を攻める際、どんなしくじりをしないとも限りませんからな」
「やるからには、きちんとやるよう伝えよ。
殺し尽くすのだ。
いや。
噂を伝える者二人か三人は、逃がしたほうがよいか。
兵士どもには、護衛に撤するよう、よく言い聞かせておけ。
血に狂って村に飛び込めば、魔法に撃たれてしまうとな」
「ははっ」
7
「デランよ。
急に皆を集めて、どうしたんじゃ」
「村長。
説明もせず、こんなことをして、済まない。
だが、一大事なんだ。
みんなも聞いてくれ!
領主様の兵が、この村に向かっている。
俺たちを皆殺しにするつもりなんだ」
「デ、デラン。
それは、本当か?」
「ああ、長。
本当だとも。
領主様の軍にいる友達が、こっそり教えてくれたんだ。
この前の徴兵令に逆らった、というのが理由だそうだ」
「五歳以上の男すべてを半年間無給で領主様に差し出すなど、できるわけがない!
しかも兵役じゃ。
けがもすれば、死にもする。
こんな無茶な話はありはせんわ。
出せる範囲で男を出す」
「はなから命令拒否を理由にするつもりで、絶対に従えない条件を出してきてるんだ。
とにかく、急いで逃げなくちゃならん」
「に、逃げるというても、どこへ逃げる?」
「山奥に行く。
湖の近くがいい。
石の神様の所だ。
水も、木の実もあるし、魚も穫れる」
8
「ゲイラよ。
では、村人は、その山奥の湖とやらにいるというのか」
「は、子爵様。
ポルリカ殿の使い魔が発見いたしました。
山の中に逃げれば見つからない、と考えたのでしょうな」
「実際、丸一日を無駄にしたわ。
そのうえ、道もろくにない山道を進まねばならんのか」
「太古に神竜が作った湖といわれておりまして、普段は誰も近づかないはずなのですが」
「ふん。
いまいましい虫けらどもが。
帰着の日が遅れるぶんだけ、わしが兄上から叱責をくらうわ!
このたびのことには、わが男爵家のすべてが懸かっておるのだ。
急ぎ出発するぞ。
一人残らず細切れにしてやらねば気が済まんわっ」
9
人間というものは、騒がしいものだ。
昨日ここに来たときには、びくびくした感じだったのに。
今は、ぺちゃくちゃ話したり、魚を釣ったり、木の実を取ったり。
まったく遠慮というものがない。
美しかった波打ち際は、すっかり踏み荒らされている。
村人たちが最初にしたことは、私を全員で拝礼することだった。
村長は、「石の神様から、あんまり離れるんじゃないぞ」などと村人に注意している。
「来たっ。
来たぞーーーー。
ご領主様の兵が、南から来たあーー」
「おおお、こんな所まで追って来たのか。
デラン、皆を集めてくれっ」
「うむ。
みんなー!
集まれーーー!
打ち合わせどおり、東に逃げるぞー!」
「だっ、だめだー!
東からも、馬に乗った兵隊が来てるぞーー!」
「なにっ?
よしっ。
じゃあ、西だ。
西へ逃げる。
荷物に構うなっ。
森に出た者は、そのまま散り散りに逃げることになってる。
おれたちは、西に逃げるぞー」
「デランーーっ。
に、西からも、馬に乗った兵隊が来るーーーー!」
「えええっ?
馬鹿なっ。
こんな田舎の村一つ懲罰するのに、どれだけ兵を連れて来てるんだ?
しばらく隠れてれば、諦めて引き返すと思ったのに」
ふむ。
ずいぶん大勢の兵士がやって来る。
うまく村人たちを追い立てている。
村人は、しぜん、一箇所に固まる。
私の周りに。
「石の神様!
助けて。
村の人たちを助けてください!
お願い」
少女が私の前にひざまずく。
「石の神様!
お助けくだせえ。
お願えです」
「神様」
「石の神様」
村人が、次々に私に平伏していく。
私に助けを求めている。
そのとき、私の記憶領域で、懐かしい声が再生された。
「ヴォーグ。
ヴォーグ。
人には優しくしなさい。
困っている人間がいて、お前が助けてあげられるなら、その手を貸してあげなさい」
そうだ。
あるじは、そうおっしゃった。
私は、周囲を見た。
不安そうに寄り添い固まる人々。
ある者は泣き、ある者は呆然とし、ある者は怒りをあらわにしている。
領主によって殺されるという理不尽を前に、なすすべのない村人たち。
この者たちは助けを必要としている。
そして私には、この者たちを助ける力がある。
何年ぶりかで、私は立ち上がった。