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シガーキス

午後9時、会社を出る。最寄りの駅までのいつもの道。大通りにさしかかり駅が近づくにつれ、街は賑わいを見せてくる。豪快なサラリーマンたちの笑い声、やたらテンションの高いOLの会話、酒の力が相まって居酒屋で騒ぐ若者。僕は歩きながらそっと顔を俯けた。街の盛り上がりが、今日はなぜか、聞きたくなかった。早足で過ぎ去り、僕は導かれるように駅地下のデパートへ続く階段を降りる。並ぶ店を通り過ぎ突き当たりまで行くと、小さな喫煙所がある。店のコーナーからは外れて人は滅多におらず、蛍光灯が一本あるかないかの薄暗いところだ。誰にも言えないが、この場所は、僕の秘密基地だった。

しかし今日は、先客がいた。茶髪でロングストレートの若い女。黒のセーターとズボンに身を包んだ、なんとも近づきがたそうな雰囲気を醸し出している。女はボックスを手に握ったまま壁にもたれていた。

「…」

「…」

女は視線だけをこちらに寄越したが、すぐに逸らした。他人がいるのは初めてで引き返すことも考えたが、扉を開けてしまった今、それはできなかった。おそるおそる中に入り、壁に身を預けいつものようにタバコを吸い始めた。

「ねぇ」

突然女が声をかけてきた。

「…僕ですか。」

「お兄さんしかいないよ。」

女がフッと軽く笑う。僕は女の意図が読めず戸惑った。

「ここ、よく来るの?」

女が尋ねる。

「…まあ、たまに…」

僕が曖昧に答えると、女はふふと笑って言った。

「こんな古臭い喫煙所に来るのはだいたい、変人だけよ。」

「…」

初対面でいきなり失礼な奴だ。そっちのほうが変人なんじゃないか。

「まあ、それは私にも当てはまるんだけどね」

「…自分で言うんですね」

そう言うと女はケラケラ笑い出した。何が面白いのか。本当に掴めない相手だ。

「お兄さん、仕事は?」

「会社員です。」

「そう、会社勤めなの。大変ね。」

「別に皆がやっていることです。」

煙をふかしながら答えると、女はこちらを見て言った。

「でもお兄さん、とても疲れた顔をしてる。」

僕は驚いた。顔に出る程自分は疲れているのか。そんなことを他人に言われたのは初めてだ。確かにこのところ残業続きで碌な休みは取れていない。部下の勤務態度は悪い上、上司はまったく使えず頼りにならない状況だ。結局自分に仕事が集まっている。なのに、それを評価してくれる人はいなかった。本来なら自分のものではない業務までこなしているのに、給料にそれが反映されることはない。金をくれとは言わないから、せめて労いや感謝の言葉が欲しい。いっそやめてやろうか、なんて思ったって特に取り柄のない僕を、受け入れてくれる先はそうない。所詮僕は、都合の良い駒に過ぎないのだ。

「大丈夫?すごい顔してるけど」

女がこちらを覗き込んでいた。いつの間にかしかめ面で自分の世界に入っていたらしい。女は箱から煙草を取り出した。

「余程疲れてるのね。」

そう言うと、女はもう一度こちらに向き直った。じっと自分を見つめる。リップの綺麗に乗った唇を軽く開いて煙草を咥える。と思うと徐に僕の肩に片手を置いて、顔を近づけてきた。

ジュ…という音とともに顔は離れた。驚いて固まっていた僕が我に帰ると、女は平然と煙草を吸い始めている。フウーと煙を吐くと、ニヤと笑ってこちらを見て、言った。

「元気になれるおまじない。」

動悸のやまない中、僕は答える。

「…火が、欲しかっただけでは」

「え、バレてた?ライター、切れてんだよね」

女は楽しそうにアハハと笑った。壁に預けていた体を起こすと、

「じゃねお兄さん。お仕事頑張れ」

と言って、手なんか振りながら軽やかに立ち去っていった。

「ほんとうに、火が欲しかっただけなのかよ…」

未だ呆然としている僕はハアと、煙とため息を同時に吐く。最後まで読めない奴だった。

喫煙所には彼女の煙がまだ燻っていた。




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