第九話 最後の夜の平和な風景
「皆さま、本日は急な予定変更にもかかわらずご参加ありがとうございます」
夕方に医務室から解放され、夜の天文台広場に、私は立っていた。
制服のジャケットを整え、いつもの営業用の声を出す。
右肩はまだ少し重いし痛い。派手に動かさなければ大丈夫。そんな焦燥感を表情には出さない。
私の周りにはツアー客の皆様が集まってる。不参加の人はいない。
「本来は午後に予定しておりました目の前に見える王立天文台見学ですが、王宮側のご厚意により、本日特別に夜間貸切での見学が可能となりました」
参加者から小さなどよめきが起こる。
「夜間貸切ってすごくない?」
「逆にレアじゃない?」
よかった。
雰囲気は悪くない。
「こちらでの撮影許可区域は星座宮とテラスのみとなっておりますのであらかじめご了解ください」
私は胸の奥で、そっと息を吐く。
仕事だ。
私はツアーコンダクターなのだ。
ツアー客の皆様に旅を楽しんでもらい満足させることが仕事だ。
ふと視線を横へ向ける。
リウさんが少し離れた位置で立っている。
視線は常に周囲を走っている。
少しピリピリしているようにも見えるのは、大聖堂のテロをまだ気にしているのだろう。
とてえもまじめで仕事熱心な人だから……。
警備は明らかに多い。
天文台を見に行くだけなのに。
「では、移動いたします」
私は笑顔で先導する。
石階段を上るごとに、夜気がひんやりと肌に触れる。
風が気持ちいい場所だな、なんて思いながら天文台の扉を開けてもらう。
王宮の灯りが背後で小さくなり、空がゆっくりと開けていく。
「うわ……」
誰かが思わず声を漏らした。
天文台の円形テラスに出た瞬間、視界いっぱいに星が広がる。
まるでプラネタリウムのような夜空。
地球の夜空よりも、ずっと近い。
星々が瞬いているというより、呼吸しているように見える。
「この国では、北の空に見えるあの三つ星を“王冠の標”と呼びます」
私は事前に教わった説明を思い出しながら案内を続ける。
本当なら専門の職員の方に説明してもらう予定だったが、あんなことがあったのでできなくなり、代わりに、と短い時間でリウさんに手伝ってもらって何とか私に知識を詰め込んでもらった。
もちろん、専門の方の説明には遠く及ばないけれど、それでもできるだけのことを。
「あれは女王陛下の守護星とされているそうです」
「へえー」
「こちらでの撮影はできますので、皆様どうぞお写真を撮ってくださいね」
私の声のあとに参加者がスマホやカメラを構える。
シャッター音が静かな夜に溶けていく。
「わあ、星がすごくきれいに撮れてますね!」
木下さんの声に振り向くと一人参加で一眼レフを持っていた青年のカメラを彼女がのぞき込んでいた。
「ああ、うん。ツアーパンフで見た時から、ここからの星空を撮りたくて、このカメラにしたから……」
「そうなんですね!あの、良かったらこっちで撮った写真みせてもらったりできますか?」
積極的にぐいぐいいくなぁ。若いなぁ。……いいなぁ、その行動力。
「ぼ、僕の撮った写真で良かったらどうぞ」
「わ、嬉しい!私、実は配信チャンネルやってて、カメラにも興味あるんですけど持ってないんです。カメラ選びのアドバイスとかもお願いしていいですか?」
「僕で良ければ……」
「じゃあ連絡先交換しちゃいましょう」
その少し離れた位置で、リウさんが周囲を見回している。
その横顔は、星ではなく闇を探しているようだった。
そのとき、ふと気づく。
王冠の標のすぐ下に、わずかに紫がかった星がある。
ほんの一瞬、昨日の床の色を思い出す。
――紫色。
胸の奥がわずかにざわつく。
大丈夫、ここにはあんな危険はない。
「……篠原さん?まだケガ痛いんですか?」
木下さんが不安そうに私のそばに寄ってきて問いかける。
私はすぐに笑顔を作る。
お客さんに心配かけるなんてツアコン失格だ。
「大丈夫です。ほら、あの星は願いが叶うって言われているんですって」
「へえ!」
嘘ではない。
ただ、本当でもない。
観光用の説明だ。
背後で、衣擦れの音がした。
振り向かなくても分かる。
リウさんが立ち位置を変えたのだ。
常に私と参加者を視界に入る位置へ。
警戒は解いていない。
それでも今夜は静かだ。
風が吹き、天文台の旗が小さく揺れる。
何も起こらない。
本当に、何も。
だからこそ分かる。
嵐は、まだ去っていない。
それでも。
私は星の説明を続ける。
最後の一人が満足そうに頷くまで。
「篠原さん!あの奥にある星空を描いた絵は撮ってもいいのかしら!」
カップルの女の子のほうが話しかけてくる。
指さしたのは、星座宮のテラスの横に書かれている壁画の星空だ。
濃紺の壁に、輝く塗料で描かれた星空は本物の星のように瞬いていてとても美しい。
「ええ、あの星空はここを訪れる地球からの観光客の写真の背景にするために描かれているそうなので、問題ないですよ。よろしければ、お二人並んだところを撮らせていただきますが、いかがですか?」
「わ、いいんですか!お願いします!ね、いいよね、陽くん」
「ああ、もちろん。それじゃお願いします」
デジタルカメラを渡され、2人をフレームの真ん中に捕らえてシャッターを押す。
慣れないカメラのせいか、うまく撮れた気がしなくて、再度撮りなおそうとしていると声をかけられた。
「あの……よければ僕のカメラでも撮りましょうか?」
一眼レフを持った青年がそう言ってくれ、カップルの二人は嬉しそうに頷いて、お願いしていた。
こういう旅行ならではのコミュニケーションはとても見ていて楽しいツアコンの醍醐味の一つだ。
実際、ツアーで仲良くなって、その後もお付き合いは続く、という話は色々聞く。
見知らぬ他人の人生が、旅と言う特別な器の時間で混じり合い、未来へつながっていく、というとても素晴らしい瞬間を今私は見ているのだ。
老夫婦がベランダで寄り添って星空を見ている背中が見えて、ああ、年をとってもあんな風に仲良くいられるご夫婦は素敵だなぁと心が暖かくなる。
うん、今回、私このツアーの仕事引き受けて良かったな。
初めての異世界を楽しんでくれているお客さんたちがいて、私たちを守ってくれるリウさんがいて。
怖い思いはしたけど、これは労災が降りるだろうし、もう痛みもあまりない。
明日は、帰還ゲートのターミナルにあるお土産売り場を見るのが楽しみだ。
そうだ、小泉部長に今夜のうちに労災の申請だけしておかないと。
リウさんに証明お願いしようかな。
と、リウさんの姿を探すと入り口で微動だにせずまだ立っていた。
本当にまじめで仕事熱心な人だ。
視線が合い、少し微笑んで会釈をすると、リウさんも軽く会釈を返してくれた。
今夜はもう何も起きない。それでも。
――これは、嵐の前の静けさなのかもしれない。
それでも私は笑顔で案内を続ける。
明日、皆さんを無事に帰すまで。
この旅が嫌な思い出にならないように。




