第五話 夜の庭園で
夕食をとる大食堂は広く、地球の他の国や同じように日本から来た客で騒がしかった。
このバイキング、という形式も女王陛下が地球で体験してとても気に入ったとのことでこの宿で取り入れたらしい。
大食堂は、ロビーとはまた違う華やかさに満ちていた。
長いテーブルが幾列にも並び、その上に色とりどりの料理が整然と並んでいる。天井からは柔らかな光球が浮かび、食堂全体を温かく照らしていた。
「わあ……」
思わず、また声が漏れる。
調理法は見慣れたものだ。ロースト、グリル、蒸し料理、スープ。けれど食材が違う。
透き通った薄紫色の葉野菜のサラダ。香ばしく焼かれた、三本角の小型魔獣のロースト。白身魚に似ているが、ほんのり青い身の切り身。
香りは知っているものに近い。
「味付けは地球の調味料を輸入しているそうです」
料理札を読みながら説明すると、参加者たちがほっとしたように笑った。
「それなら安心ね」
「挑戦しやすいわ」
実際、一口食べれば馴染みのある塩味や醤油の風味が広がる。
ただ、素材の歯ごたえや香りが知っているものと少しだけ違う。
私もお皿を手にして料理を取って回る。
「……美味しい」
ひと口食べて思わず本音が漏れた。
紫の葉野菜はしゃきしゃきと軽く、ほんのり甘い。魔獣ローストは見た目よりも柔らかく、脂にくどさがない。むしろ甘い香りすらして食欲をそそる。
「篠原さん、食べてますねえ」
参加者の一人に笑われる。
「味を確認するのも仕事ですから」
そう言いながら、内心はわくわくだ。
ツアコンの醍醐味の一つは、現地の食事を経費で楽しめることだ。
ああ、全種類制覇したい。
次はスープもいいな。あの淡く光っているのは何だろう。
そのとき、静かな声が横から落ちた。
「……意外と、よく召し上がりますね」
振り向くと、リウさんがこちらを見ていた。
「え?」
「控えめな方かと」
「いえ、食べるのは好きです」
言ってから、少しだけ恥ずかしくなる。
でもリウさんは微かに目を細めた。
「健康的で良いことです」
真面目な評価。
からかわれていない。
そのことが、なぜか嬉しい。
「リウさんはあまり食べないんですか?」
「必要量は摂取しています」
必要量。
任務基準みたいな言い方だ。
「せっかくですし、もう少し楽しんでもいいのでは?」
そう言うと、ほんの一瞬だけ彼が考える。
「……では、少しだけ」
リウさんが自分の皿に取ったのは、香草をまぶした白身魚だった。
香草焼き、かな?でもそれにしては焼き加減が違う気がする……。
「それ美味しいんですか?」
「子供のころから好きなものです。アジェスタ、という香草を乾燥させてこの魚、パイエルというんですがパイエルにまぶすことで軽く焼いてそのあと、塩釜に入れて蒸し焼きにするんです」
「へえ、じゃあ私も一つ頂いてみよう」
リウさんのおススメのパイエルの香草塩釜蒸し焼きはじんわりとした塩味がほどよくしみた、香草の香りのよい料理で私もすっかり気に入ってしまった。リウさん曰く、家庭ごとの味のある料理らしい。
そんな話をするリウさんは、いつもの警備官ではなく、ただの一人の青年に見えた。
食事がひと段落したころ、参加者たちはそれぞれ満足そうに部屋へ戻っていった。
他にもたくさんいたお客さんもそれぞれ部屋に引き上げていき、大食堂の賑わいが、ゆっくりと静まっていく。
「少し、歩きますか」
不意に、リウさんが言った。
「歩く?」
「食後は軽く体を動かした方が良いと聞きます。この宿の庭は夜も開放されています」
いかにも健康管理の延長のような言い方。
けれど、その声音はどこか柔らかい。
「……はい。では、少しだけ」
「私にご案内させてください」
「よろしくお願いします」
小泉部長にメールは後でいいや……。
リウさんと並んで食堂を出る。
夜の空気は昼よりも澄んでいた。
庭へ続く扉を押し開けると、淡い光を放つ花々が静かに揺れている。
星詠みの離宮にふさわしい、星のような庭だった。
「すごくきれい……!」
隣を歩く足音が、やけに近く感じる。
腹ごなしのはずなのに、胸の奥のほうが、少しだけ落ち着かない。
庭園の小径は、淡い青白い石で舗装されていた。
踏むたびに、ほのかな光が足元に広がる。
一つ一つが優しく輝く星のようだ。
花々は夜になると発光するらしく、淡い光が風に揺れている。庭園全体が星空の海のようで、まるで星空の中で散歩しているような気持ちになる。
「星の中にいるみたいですね……!」
思わず見上げると、空にも本物の星が瞬いていた。
この世界の星は、ほんの少しだけ地球よりも近い気がする。
輝きが大きく見えるからだろうか。
「この宿は、星の流れを観測しやすい場所に建てられています」
リウさんが静かに説明する。
「星詠み、ですもんね」
「はい。王都の中でも、魔力の流れが穏やかな区域です。ですからこの近くには観光用の天文台もあります。星詠みの仕事は、この国では陛下が勤めますので、王宮の専用の間で常に陛下が行っています」
仕事の話。
私からしたら、この国での話は仕事の報告書を書くのに役立つのでとてもありがたい。
静かな夜。花の香り。隣にいる気配。
ふと、思った。
「リウさんは……どうして今のお仕事を?」
口に出してから、少しだけ不安になる。
踏み込みすぎただろうか。
だが彼は驚いた様子もなく、少しだけ視線を空へ向けた。
「私には守る仕事が、向いていると思ったからです」
「向いている、ですか?」
「私はあまり器用ではありません。攻めるより、守る方が性に合っている」
淡々としている。
けれどその声音には、迷いがない。
「子供のころ、一度……守れなかったことがありまして」
そこで言葉が止まる。
私はそれ以上、聞かなかった。
聞いてはいけない気がした。
「それで、今は守れる側にいようと思ったわけですか?」
「はい」
静かな肯定。
その横顔は、月明かりに照らされている。
この人は、ただ真面目なのではない。
覚悟を持って立っている。
守ることへの覚悟。
それは何を守るか、という定義にもよるが、彼が守りたいのがこの国だとするなら、それはとても強い気持ちがないと成り立たないことだと分かる。
「篠原さんは?」
今度は、こちらが問われる番だった。
「私は……」
少しだけ笑う。
「最初は、ただ旅行が……特に海外が好きだったんです。だから学生時代は言語の勉強をしていました」
今では翻訳アプリのおかげで言語に関しては世界中どこでも、異世界でも会話に不自由はなくなった。
それもで自分の口でしゃべる言葉でしか伝わらないものがある、自分の目で見る価値のあるものは輝いている。
「でも添乗員になって気づきました。旅行って、その人の人生の中の、ほんの数日なんですよね」
楽しい時間。
特別な時間。
最高の思い出になる時間。
「だから、その数日を、安心して心の底から楽しんでもらえるようにしたいって。それが私がこの仕事を続けている理由です」
言いながら、なんだか少し照れる。
青臭い理想かもしれない。
でも本音だ。
隣で、足音が止まる。
「……だから、あんなに必死なのですね」
「え?」
「床の紋様も、水晶の件も。自分のことのように焦っていた」
見られていた。
胸が熱くなる。
「守る対象は違いますが」
リウさんが静かに続ける。
「目的は、同じですね。あなたも守る側の人だ」
守る。
安心を。
お客さんの思い出を。
その言葉が、夜の空気の中で静かに重なる。
視線が、自然に合う。
近い。
思ったより、近い。
なのに、不思議と怖くない。
「……そうですね」
胸の奥が、静かに温かくなる。
腹ごなしの散歩のはずなのに。
なぜか今は、この時間が終わってほしくないと思っている。
リウさんの視線は、まっすぐだった。
「あなたは、守ることに誇りを持っている」
静かな断言。
その言葉が、胸の奥に落ちる。
誇り。
そんな大げさなものだろうか、と一瞬思う。
けれど、守れなかった過去を背負って立っている人にそう言われると――軽く受け流せない。
「……そんな立派なものじゃないです」
「立派かどうかは、他人が決めることではありません」
少しだけ間を置いて、彼は続けた。
「私は、そういう志のある人を信頼します」
その一言で、呼吸が止まる。
星明かりの下。
夜風が花を揺らす。
胸の奥が、じわりと熱を持つ。
仕事だから。
任務だから。
そう言い聞かせてきたはずなのに。
――信頼されている。
それが、こんなにも嬉しいなんて。
「……ありがとうございます」
声が、少しだけ柔らかくなる。
並んで歩き出す。
足元の光が、ふたり分、ゆっくりと広がる。
腹ごなしの散歩のはずなのに。
今はただ――この人の隣を、もう少し歩いていたいと思った。




