第四話 ホテル到着しました!
石造りの大通りを抜けた先で、幌馬車はゆっくりと速度を落とした。
夕暮れの空は群青に染まりかけ、塔の輪郭が黒く浮かび上がっている。異世界でも夕暮れの色は同じなんだな……。
その中でもひときわ目を引く建物が、今夜の宿だった。
「わあ……」
誰かの小さな声が、車内に漏れる。
白銀の石で組まれた外壁は、夕闇を受けて淡く青く光っていた。正面玄関へ続く階段の両脇には、水盤が並び、水面には星のような光を放つ花が浮かんでいる。門柱には繊細な魔法紋様が刻まれ、淡い光がゆっくりと脈打っていた。
日本の城にも似た外観と、決して地球ではありえない景色が融合して目を引く。
「篠原さん、ここの外観は撮影していいんですよね!?」
興奮しきりの年配の女性ににっこり笑って言う。
「はい、こちらの宿は全てのエリアで撮影可能となっております。どうぞ思い出になる写真を皆さん撮ってください」
私の許可の言葉が終わるや否や、全員がスマホを、一眼レフを構えて写真を撮り始める。
翠華国、最高級宿泊施設――《星詠みの離宮》。
今回のツアー最大の目玉の一つだ。
「本日より最終日までは、こちらのホテルに宿泊していただきます。チェックイン手続きは私が行いますので、皆さまはお荷物をお持ちになってロビーでお待ちください」
マイクを通さなくても、自然と声が通る。ツアコンとしての仕事モードだ。
ひやりとした空気の中にはどこか甘い花の香りが混じっている。庭に植えられている花だろう。
この宿は女王陛下肝いりで作られた地球の観光客専用宿として人気があり、今回、うちの会社でもようやく予約を抑えることができた宿だった。
少人数ツアーであったことが幸いし、部屋数が少なく済んだのも良かった。
幌馬車が止まり、参加者たちが荷物を手に次々に降りていく。
私は最後尾で人数の確認と、馬車内に荷物が残っていないか確認しながら外へ出た。
その瞬間、視界の端で黒い影が動く。
――リウさんだ。
彼はすでに玄関前に立ち、周囲を一瞥していた。さりげないが、隙のない視線。門から道路、屋根の縁、階段下の死角まで、順に確認しているのが分かる。
ホテルに着いても、警備は終わらない。
「異常なしです」
私の視線に気づいたのか、彼は小さく頷いた。
「ありがとうございます。ここまで無事でほっとしました」
「任務ですので」
淡々とした返答。
けれど、ほんの一瞬だけ、彼の目が柔らいだ気がした。
ホテルの大扉がゆっくりと開く。
中からこぼれた光が、夜の空気を金色に染めた。
ロビーへ一歩足を踏み入れた瞬間、思わず息をのんだ。
天井は高く、夜空のような深い藍色に塗られている。その上を、光の粒がゆっくりと流れていた。星座のように連なり、時折かすかに尾を引く。
まるで流れ星みたいだ。
「……すごい」
「天井、動いてる?」
参加者たちが見上げる。
床は白い石。だがよく見ると、細い金の線で魔法紋様が描かれている。模様はゆっくりと淡く明滅していた。
受付カウンターの奥には、角の生えた女性と、羽根耳を持つ男性のスタッフが並んでいる。制服は地球式に近いデザインだが、袖口に刺繍された紋章が異世界らしい。刺繍の輝く糸には魔力が通されていると聞いている。
「こちらでお名前を確認いたします」
私は事前に用意していたこちらの文字で書かれた宿泊名簿を差し出す。
そのときだった。
「……あれ?」
背後で小さなざわめきが起こる。
振り返ると、参加者の女性が床をじっと見つめていた。
「これ……踏んでいいんですか?」
足元の魔法紋様。
たしかに、神聖な印のようにも見える。
説明資料には「装飾兼簡易結界」と書かれていたけれど、一般の人が見れば宗教的なものに見えなくもない。
一瞬、説明が遅れた。
その間に、別の参加者が靴を脱ごうとしゃがみ込む。
ああ、まずい。
ここは土足文化だ。
靴を脱ぐと逆に不自然だし、防犯上も好ましくない。
「大丈夫です、装飾ですのでそのままで問題ありません!」
私は慌ててフォローに入る。
すると、横から低く落ち着いた声が重なった。
「この紋様は安全維持のための結界です。踏むことで効果が安定します」
リウさんだった。
専門家の説明は強い。
「えっ、踏んだ方がいいんですか?」
「はい。むしろ皆さん、均等に踏んでいただけると助かります。靴は脱がないでください」
安心したようにツアー客の口元が緩む。
参加者たちが楽し気に紋様の上を歩きだし、場の空気が整った。
……さすが。
私は胸の奥で小さく息を吐いた。
彼はいつも、足りない一言を的確に補ってくれる。
任務だから、なのだろう。
でも――
その真面目さが、少しだけ素敵だと思えた。
チェックイン手続きは滞りなく進んだ。
部屋鍵は金属ではなく、小さな水晶板だった。名前を呼ばれると、受付の女性がそれを差し出す。
「こちらに触れていただければ、お部屋の結界が個別認証されます」
参加者たちが順に水晶に指先を触れるたび、淡い光が走る。
「ハイテク……いや、ハイマジック?」
「これ失くしたらどうなるんですか?」
「紛失時は再発行可能ですが、部屋の結界が一時解除されますので、すぐに申し出てください」
私は補足しながら、人数と鍵の数を照合する。
そのときだった。
――ぱちり。
ロビーの天井の星の光が、一瞬だけ強く瞬いた。
次の瞬間、ひとつの水晶板が赤く点滅する。
「え?」
それを持っていた参加者の年配の男性が、ぎょっとした顔で固まった。
受付スタッフが一歩前に出る。
「……申し訳ございません。反応が不安定です」
空気がわずかに張り詰める。
赤い光は、異常の色だと本能的に分かる。
私の背筋に冷たいものが走る。
――入国時の簡易審査は通っているのだから、身体的にも精神的にも問題はないはずだ。
嫌な想像が一瞬よぎった。
その前に、リウさんが男性の隣に立つ。
「少しお借りします」
落ち着いた声で水晶を受け取り、指先で軽く触れる。
赤い光が、ふっと収まった。
代わりに淡い青が灯る。
受付スタッフが安堵の息をつく。
「……異世界の生命に対する軽い拒絶反応です。長時間移動で疲労が重なったためでしょうね。もう問題はありません」
リウさんはそう説明し、男性に水晶を返した。
「今日は早めにお休みください。明日には安定します」
「は、はい……すみません」
男性は恐縮した様子で頭を下げる。
私は胸の奥の緊張を、ようやく吐き出した。
異世界での“安全”は、目に見えない。
だからこそ、不安も一瞬で広がる。
でも――リウさんがいる。
それだけで、空気は落ち着きを取り戻す。
「では皆さま、夕食は一階奥の大食堂にてバイキング形式となっております。時間は二十時までですので、お部屋に荷物を置いたらお越しください」
参加者たちはそれぞれ部屋へ向かっていった。
人の波が途切れ、ロビーに静けさが戻る。
「……助かりました」
私が小声で言うと、リウさんは首を横に振る。
「観光客が安心して滞在できるようにするのが私の役目です」
その言い方が、あまりにも真っ直ぐで。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
仕事だから。
任務だから。
でもきっと、この人はそれ以上の責任感で立っている。
――だから、信頼できる。
「では、夕食の様子も確認しましょう」
「はい」
リウさんと並んで歩き出す。
異世界の夜は、まだ始まったばかりだ。




